第108話 伯爵、因縁をつけられる(その2)

「貴殿がレセップス侯爵、ということは、ジンバ村の件か」

セドリック・タリウスがそう言うと、

「ああ、そうだ。あんたの妹のおかげでこっちはえらい目に遭っているんだ」

レノックス・レセップスは頷きながらもわずかにたじろいだ様子を見せる。名乗っただけですぐに事情を察した金髪の若者に警戒心が芽生えたのかもしれなかったが、すぐに気を取り直すと伯爵に向かって抗議を始めた。レセップス家は長年にわたってジンバ村から税金を徴収してきたのだが、セイジア・タリウスの出現で今後はそれができなくなってしまったからだ。辺境の貴族にとっては、ひとつの村といえど貴重な財源であるのに違いなく、侯爵家にとっては大きな痛手となったのは明らかだった。レセップスのドスをきかせた声には気の弱い者ならば震え上がってしまいそうな迫力があったが、一通り話を聞き終えてもセドリックは大して表情も変えずに、

「話はわかったが、そうなるとわからないことが出てきた」

「何がわからんのだ?」

闘犬のように睨みつけてきた侯爵に、

「貴殿がわたしに苦情を申し立てるのはわかるが、他の方々がこうやってわたしを取り囲んでいる理由がわからない。ジンバ村に関してはわがタリウス家とそちらの問題のはずだが」

クールに言い切った伯爵に向かって、

「理由がないとは言わせんぞ」

3人の男たちが一斉に怒鳴った。話を聞いてみると、レセップス家からジンバ村の実効支配を取り戻したセイは、その後ジンバ村のみならず近隣の村の困り事の解決にも乗り出したのだという。

「困っている村はジンバ村だけではないだろうし、レセップス以外にもひどい貴族がいるはずだ」

そう考えてじっとしていられる女騎士ではなく、無理難題を押し付けている領主の館に単身乗り込んでは、強引に解決を図っていたらしい。そのおかげでかなり手痛い目に遭わされた貴族も多く、青年を囲んでいる男たちもそれらの一員なのだろう。貴族たちの猛抗議をセドリックは涼やかな顔で受け止めていたのだが、

「あんたが兄として妹を押さえつけていないからこうなるんだ」

と、一人の男に言われたのには、噴き出しそうになるのをこらえなければならなかった。

(馬鹿を言え。を押さえつけられる者などこの世にいるものか)

それができていたら、わたしはもっと心安らかな人生を歩めていたはずだ、と反論したかったところだが、人前で声を荒げるのは貴族らしい振舞いとは言えなかったし、それ以上にこの高貴な青年にとって好ましい行動ではなかったので、無言のまま男たちの抗議を受け止め続けた。

「話は了解した」

4人の男に取り囲まれて逃げることもできないまま、5分以上にわたって恫喝された人間とは思えない落ち着き払った態度でセドリック・タリウスは答える。

「それで、貴公らはわたしにどうしてほしいのだ?」

そう言われて、

「もちろん、ジンバ村の統治権をわがレセップス家に戻すことだ」

待ってました、とばかりにレノックス・レセップスが、にやり、と笑うと、

「それから、こちらのみんなにしかるべき賠償をすることだな。あんたの妹のしでかしたことを考えれば、はした金で済むのなら、そちらにとっても有難い話だと思うがね」

へっへっへっ、と側面と背後の男たちが貴族らしからぬ下卑た笑い声をあげたのを聞いて、

「なるほど。そういうことか」

肩をすくめながら、セドリック・タリウスは溜息をつく。ひとつの家の主となるのも楽ではない、と父から地位を引き継いで以来、毎晩眠る前に思っていることを改めて感じてから、対面したレセップス侯爵の角ばった顔をしっかりと見た。

「まず、最初にお詫びをすることにしよう。ジンバ村に関しては、領主であるわがタリウス家が管理すべきであったにも関わらず、長年の間それを怠り、レセップス家に任せきりにしていたのは事実だ。歴代のタリウス家の当主を代表して謝罪する。誠に申し訳なかった」

伯爵は侯爵に向かって頭を下げる。普通なら情けなく見える行動のはずが、びしっ、と音が出そうなほどに姿勢が見事に決まっていたので、全くそうは見えない。そして、

「それから、そちらの方々にもお詫びをせねばなるまい。わが妹セイジアは昔から加減を知らないやつで、わたしも大いに困らされたから、貴公らの不満は痛いほどに分かるつもりだ。不快な思いをさせてしまったことを深く謝罪したい」

そう言って、もう一度頭を下げた。レセップス侯爵を初めとした4人の貴族たちはセドリックに謝られても満足するどころか動揺してしまっていた。それというのも、自分たちにサロンのいたるところから視線が集まってきているのにようやく気付いたからだ。セドリック・タリウスは妹同様に端正な容貌の持ち主だ。そんな美しい外見の若者が数人の男たちに取り囲まれて頭を下げさせられているのが、人目を惹かないはずがなかった。それ以前に侯爵たちの怒鳴り声はティータイムを楽しんでいた客たちの不興を大いに買ってもいた。自分たちに不利な雰囲気になりつつあるのを感じたレセップスは顔をひきつらせたが、

「それがわかっているなら、しかるべき対応を取ってもらおうか」

と金色の髪をしっかりセットした若者に言い放つ。だが、

「お断りする」

セドリックに即座に返答されたので、唖然としてしまう。

「何を言いやがる。貴殿は自らの非を認めたではないか。にもかかわらず、責任を取ろうとしないとは、往生際が悪いにも程がある」

そうだそうだ、ぎゃあぎゃあ、と怒鳴る、というより吠える、と言った方がいいほどの大きな声で青年を責めだした男たちに、サロンの空気は一層不穏なものへとなっていくが、

「こちらに非があったのは確かで、それは謝罪させてもらった。だが、われわれにはそれ以外の非はない以上、貴殿らの申し出に応えることはできない」

セドリックは母親から受け継いだ妹と同じ青い瞳を光らせて、

「レセップス家の行状については妹からも報告を受けている。重すぎる税を課し、娘をかどわかすなど言語道断だ。本来の領主であるタリウス家の当主としても看過できず、憂慮していたところだった」

そう言うと伯爵はレセップス家がジンバ村で働いていた数々の無法を次から次に挙げていった。攻守は入れ替わり、ひたすらガードに徹していた青年は敵の守りの隙をつき、巧みにディフェンスを崩していく。相手を責め立てているはずなのに、その論じ方には刺々しいものがまるでなく、聞き入る聴衆にも不快感を与えないどころか、かえって清涼感すら与える爽やかな弁舌であった。

「ジンバ村の支配権に関しても、セイジアがしっかりと調べ上げていて、証拠も揃っている。争いの余地などない」

セドリックがそう言うと、

「あんたは妹の、あんな女の言うことを信じるというのか」

思いがけない抵抗に遭ったレセップス侯爵が歯ぎしりしながら反論すると、

「残念ながら信じるしかない。ではあるが、ひとつだけ取り柄があって、それは嘘をつかない、ということだ。黙っていればいいのに自分からわざわざ失敗を打ち明けて、叱られたことや罰を受けたことは何度もある」

馬鹿なやつだ、とセドリックは苦笑いを浮かべるが、その目に暖かな光が宿ったのは妹を思いやる心情のあらわれなのだろうか。

「それに、報告を受けて、わたし個人としても調べを進めていたところだ。東の国境付近において利を貪る貴族が少なくない、という感触を得ていたのだが、貴殿らの反応を見るとどうやらその通りだったらしい」

青年貴族は毅然と顔を上げ、

「さて、そうなると、頭を下げるべきなのは一体誰なのか、という話になりそうだが」

皮肉をこめたかすかな微笑みを見たレセップスの顔が怒りで熟柿のように赤く染まっていくが、ごお、とニンニク臭い熱い息を撒き散らしてから、にやり、といかにも狡猾そうに笑う。

「事を荒立てて困るのは、タリウス伯爵、あんたの方ではないか? われわれには頼もしい味方がついているのだ。大っぴらに騒いで損をしたくはないだろう?」

今回、侯爵たちが都までやってきたのもセイジア・タリウスに対抗する手段をとるためだった。政財界の大物たちに貢物をして、しかるべき便宜を取り図ってもらえる算段は付いていた。このお茶会にやってきたのもそういった工作の一環で、そこで偶然タリウス伯爵を見つけたわけだった。そのために男には余裕を生じていたのだが、

「望むところだ」

「なに?」

目の前の青年の様子が一変しているのにレセップスは気づく。といっても見た目は何も変わっていない。彼の内側が、心が変わったのだ。

「法を踏みにじり、多くの人々を苦しめておきながら、それを力で認めさせようとする者に負けてなどなるものか。レセップス侯爵、貴殿がそのつもりならば、わたしは全力で受けて立つ。万人が見守る場で公明正大に決着をつけようではないか」

セドリック・タリウスの正義感が熱く燃え上がっていた。もし仮にこの状況を妹のセイジアが見ていたら、

「兄上は変わらないな」

と困った顔をしつつも微笑んだことだろう。伯爵は小さな頃から曲がったことが大嫌いで、貴族の子供たちだけで遊んでいる場で、年長の少年たちがよってたかって女の子をいじめているのを見ると、かなわないとわかっていても立ち向かっていき、泣かされながらも必死で食らいついていったものだった。そんな兄をセイは心から尊敬し愛していたのだが、正しさを信じ貫こうとするがために、貴族としての道を外れた妹を兄は決して許せないのだから、運命は皮肉に出来ていて、なおかつ残酷に出来上がっているのかもしれない。

「後悔するぞ、タリウス伯爵」

「貴殿はもう悔やんでいるように見えるが。レセップス侯爵」

2人の貴族の睨み合いに、午後のサロンの緊迫度は高まっていき、それが最高に達したそのとき、

ぱん! ぱん!

と誰かが手を叩いた音が広く明るい室内に高く響き渡った。

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