第107話 伯爵、因縁をつけられる(その1)

「ふう」

セドリック・タリウス伯爵はお茶を飲むと一息ついた。彼は今、アステラ王国の首都チキ郊外にある豪商の建てた別邸にいた。たまたま用事があって都に出向き、知人の貴族と面会していたところ、政財界に大きな影響力を持つ商人がお茶会を開く、ということで、

「きみもよかったら来るといい」

とその催しに招待されていた知人に連れられて、この屋敷まで来ていた。別邸でありながら、田舎にあるタリウス家の本宅よりも豪華なつくりの建物に圧倒されつつも、豪商をはじめとした主だった関係者に一通り挨拶を済ませたのだが、

「あとはきみの好きにするといい」

とそれまで一緒にいてくれた知人が何処かに行ってしまったので、すっかり心細い思いをしてしまっていた。「勝手に連れてきて放置するとは」と呆れたものの、断り切れずについてきてしまった我が身を怨むべきなのだ、と伯爵は無念を飲み込んだ。

もともと彼は社交的ではなく、休日には書斎にこもって一人で読書をしたり書き物をするのを好み、人づきあいはどちらかと言えば苦手な方だった。とはいえ、貴族の長男として生まれついた以上、自分勝手は許されるものではない、とよく承知をしていて、ストレスを抱えながらも家名を汚さぬよう日夜勤めに励んでいた。それでも、ふとしたはずみに心の裡に深く沈めたはずのわだかまりが浮上しかけることもたまにあったのだが、

(わたしはあいつとは違う)

とそのたびに強く思い、ほとんど無理矢理に押さえつけては、不満を再び奥底へと追いやっていた。つまり、自分のわがままで家を出奔した妹への怒りが彼を貴族たらしめる根拠のひとつになっていたのだ。見る人が見れば彼の心の持ちようがすっかりいびつなものになってしまっているのが一目瞭然ではあったが、あまりに長く肉親を憎んだために、自らの精神が闊達さを失い偏狭なものに成り果てていることにセドリックは気づけずにいた。

(盛況だな)

大きなガラス窓から差しこむ午後の光で、広い室内は明るく見える。誰も知る人のいないパーティーは大勢の客でかなり盛り上がっていて、親しげに語り合い笑いさざめく声が白い壁に背中を向けた伯爵の鼓膜を打った。群衆の中でこそひときわ寂寥感を味わえるものだ、とタリウス家の若い当主はまたひとつ何かを学んだように思う。夜会で相手をしてもらえない娘を哀れんで「壁の花」と呼ぶことがあるが、今の自分もそのような者だろう、という気がした。もっとも、わたしは花と呼ばれるほど美しくもないが、とひとり苦笑いしながら、手にしたカップからお茶を飲もうとしたそのとき、

「貴公はセドリック・タリウス伯爵か?」

いきなり声をかけられた。見ると、黒のタキシードを着たいかつい男がこちらを見ていた。セドリックよりも大きな身体をしていたが、一番気になったのは長いもみあげだった。

「いかにも、わたしはタリウスだが」

覚えのない顔だ、と思いながら頭の中の名簿をめくっていると、「おい」とその男が近くのテーブル席に呼びかけた。すると、3人の男が立ち上がり、こちらへと近づいてきた。一人だけで多人数を相手にするのは気に入らないが、そのうえ男たちが共通して野卑な雰囲気を身にまとっているのも気に入らなかった。とはいうものの、既に4人に囲まれてしまって逃げるわけにもいかない、と伯爵は観念しながらも、

「失礼だが、前にお会いしたことがあるだろうか?」

たぶんないだろう、と思いながら訊いてみると、

「いや、貴公とこうして会うのは初めてだ」

と最初に声をかけてきた長いもみあげの男が答えてから、薄汚れた歯を剥き出して、

「しかし、貴公の妹御のことはよく知っている」

と言った。傍目にも「言った」ではなく「吐き捨てた」と感じられる態度で、あまり楽しい要件ではない、という当初からの予感が正しかったのをセドリックは確信する。

「ほう。セイジアと知り合い、ということか。では、あいつがまた何か迷惑でもかけたのだろうか?」

「全くもってその通りだ。兄君はよくわかっておいでのようだ」

4人の男たちの怒りがふつふつと高まってくるのを感じながらも、

「申し訳ないが、妹への苦情を持ち込まれても困る。あいつはだいぶ以前にわがタリウス家を飛び出していて、わたしとはもはや他人と言ってもいい関係でしかない」

その場を切り抜ける方便ではなく、ほとんど本気でそう言っていた。だが、相手はそう受け取らなかったようで、

「そうはいくか。タリウスの家名を名乗っている以上、あんたにも責任を取ってもらう」

「あんた」と来たか、と貴族を装う薄い表皮の下の粗野な態度を露出させた男を冷ややかに見つめながら、

「失礼だが、貴公の名を伺いたい。どうやら話が長くなりそうなのでな」

セドリック・タリウスは普段は生真面目で慎重な性格をしていたが、取り立てて臆病というわけでもなかった。1対4の緊迫した状況でも比較的落ち着き払っていたあたりは、最強の女騎士の兄にふさわしい勇気ある態度といえたのだが、

「よく覚えておくがいい。わしはレノックス・レセップス侯爵だ」

もみあげが印象的な男に名乗られた瞬間、セドリックは男が何を話そうとしているのか、そして妹セイジアへの怒りの理由をすっかり把握していた。

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