第109話 伯爵、因縁をつけられる(その3)

手を叩いたのは、セドリック・タリウスとレノックス・レセップスたちに一番近いテーブルに座っていた老婦人だった。

「ねえ、ボクちゃんたち。どうせじゃれあうなら、こんな部屋の中じゃなくて、お外で思い切りしてらっしゃい」

今日はいい天気よ、と言って彼女は微笑む。鶴のように痩せた身体をシンプルな黒のロングドレスで包み、かつては相当な美しさを誇っていたであろうことが容易に想像がつく、と書くと、

「どうせもう若くも美しくもありませんからね」

などと本人からやんわり猛毒を吐かれそうなので、今でも若々しく美しい、と書いておくことにする。

「申し訳ありません。お見苦しいところをお見せしました」

伯爵は失態に気が付くとすぐに頭を下げた。かっとなって周りが見えなくなるなど、貴族としてあるまじきことだ、と自らの振舞いを恥じたが、老婦人は若者をそれ以上責めはせず、興味深そうに見つめた。ふたつの瞳はまばゆい光を放っていて、好奇心を隠し切れないでいる。外見は変わっても、内面は少女時代とあまり変わっていないことを、その輝きは証明しているかのように思われた。

「これまでにあなた方とお会いしたことはないし、わたくしもたまたまここに居合わせただけで、事情は分からないのだけれど」

ぐっ、と手にしたグラスから黄金色のシャンパンを飲み干すと、

「大の男がよってたかってひとりをやっつけようとするのは感心しない、というのはわかるわ」

そうよねえ、と同じテーブルを囲んでいた同年代の身なりのいい女性たちに声をかけると、「ええ」「その通りね」と同意する声があがった。老婦人が言ったように、揉め事においては少数派を支持したくなる心性が働いていたのに加えて、伯爵は若くて美形で、対する侯爵は若くもなく美形でもない、とくれば女性の目線で考えればどちらを支持したくなるかは言うまでもない、というところだった。

「申し訳ないが、部外者は口を挟まないでいただけないか」

自らの不利を察したのか、レセップスは老婦人に攻撃的な口調で物申したが、

「そうね、その通りね。あなたみたいな若い方は、棺桶に片足突っ込んだ婆さんの言うことなど聞く耳持たなくて当然よね。これは失礼したわ」

痛撃を食らってそれ以上何も言えなくなってしまう。言葉以上に老婦人の身体から滲み出る迫力に圧倒されていた。辺境暮らしの貴族には到底かなわないオーラが彼女から放たれていたのだ。役者が違う、と事の成り行きを見守っていたお茶会の参加者がそのように感じていると、

「ねえ、ひとつ提案したいのだけれど」

すっ、と身体と同じく細く長い右の人差し指を淑女が伸ばす。

「こうやって関わりを持ってしまった以上、わたくしにも責任があります。トラブルは引き延ばしにせずにその場で解決するのが何より大事、というのはおわかり?」

そう訊かれれば、セドリックとしてもレセップスとしても縦に首を振るしかない。

「でも、ああでもない、こうでもない、と言い合ったところでらちが明かない、というのもお利口なボクちゃんたちには当然わかるわよね? だから、貴族らしく解決することにしましょう」

「貴族らしい解決法、ですか?」

伯爵が訊き返すと、「ええ」と老婦人はにんまり笑って、もう一度手を打ち鳴らした。

「お呼びでしょうか?」

よく訓練されているらしく、すぐにやってきたウエイターに、「ええ、お呼びよ」と冗談ぽく言った女性は、給仕の耳に何事かをささやく。思いがけない事を耳にしたのか、ウエイターの目が一瞬だけ見開かれたが、

「かしこまりました」

とすぐに何事もなかったかのような態度に戻って、そそくさと引き上がていったあたりにも熟練されているのが見て取れた。それから待つこと3分。

「お待たせしました」

老婦人から注文された品を持ってきたウエイターを見て、誰かが声をあげた。それもそのはずで、彼がうやうやしく持っている銀のトレイに乗せられていたのは、二振りのサーベルなのだ。にぎやかなパーティーにはふさわしい代物とは到底言えなかった。

「これは?」

驚愕に口をあんぐりと開けるレセップス侯爵を、

「見てわからない? デザートをおごってくれるとでも思ってたの?」

黒いドレスの女性は呆れ顔で見る。

「つまり」

セドリック・タリウスはそこで言葉を切ってから、

「決闘をしろ、ということですか?」

と訊き返す。すると、

「ご名答。貴族の男なら、自らの誇りのために命をかける覚悟は当然あるはずよね?」

老婦人は金髪の若者に微笑みかけるが、物騒な言葉を耳にした人々はそれどころではなく、部屋の中は大きくざわつきだしていた。

(無茶苦茶だ)

と伯爵と侯爵も思っていた。突然とんでもない状況に持ち込まれたうえに、他人事だと思って気軽に無理難題を押し付けてきた銀髪のレディーにも苛立っていた。初対面の人間に命懸けの勝負をさせようとするとは、性格破綻者ではないのか。

「別に無理にやらなくてもいいのよ。ここでやめておうちに帰っても、おばあちゃんは何とも思わないわ」

自分から話を振っておきながら、つまらなそうに欠伸をした淑女にレセップスの頭の温度は急上昇していくが、

(いや待て)

と思い直した。もしかすると、これは千載一遇のチャンスではないか、という気がしたのだ。一般論でいっても、領地をめぐる争いというのは多大な労力がかかる上に、解決までに長い月日を必要とするものだ。それに加えて、先程のセドリック・タリウスの様子を見ても、紛争に発展した場合、かなり激しく抵抗されることは想像するに難くなかった。権力者を味方につけた自分が負けるはずはない、と思ってはいても、勝利にたどりつくまでにぶちあたるであろう数々の困難を考えると、今から目の前が暗くなってしまう。だが、今ここで決闘をする、となると話が違ってくる。相手を打ち倒しさえすれば、すぐにケリがつくのだ。余計な金も苦労もしないですむ、というのが吝嗇な侯爵には何より気に入った。ただし、自分が打ち倒されるリスクも当然存在するわけだが、

(その心配はなかろう)

と男は見ていた。侯爵は毎日身体を鍛えていて、武芸の心得もそれなりにあった。しかし、対するタリウス伯爵はそうではない、というのに気が付いていた。見たところ、体力は人並みかそれ以下のやわな男だ。力勝負になれば自らの勝利は疑いようがない、と考えたレセップスは決断する。

「やむを得まい」

必要以上に勿体ぶった態度で大柄な男はトレイに乗せられたサーベルを手に取る。

「男として、貴族として生まれついた以上、避けて通れぬ勝負、というものがある。このレノックス・レセップス、セドリック・タリウス殿と決闘することにいたす」

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