第99話 脱出行の後で(後編)

遠征を終えた黒獅子騎士団はアステラ王国の首都チキに帰還し、戦いの疲れを癒すと、次の戦いの準備を始めた。

「おりゃあっ!」

昼下がりの訓練場で、シーザー・レオンハルトが父を相手に1対1の立ち合いを挑んでいた。鋭い踏み込みから繰り出される槍の勢いには、仲間たちも思わず目を見張るものがあった。最近の少年は進境著しく、日に日に成長しているのが明らかだった。息をするたびに強くなっているような感覚すらおぼえてしまうほどだ。

「だあっ! だあっ! とりゃあっ!」

休むことなく将軍の頑強な肉体を立て続けに打ち据えようとしていたシーザーだったが、

「むん!」

老騎士の槍の一振りであっさりと地面へと転がされる。足を払われたのだ。受け身を取れずにまともに背中を痛打した少年騎士は呼吸が出来なくなる。

(やっぱり親父にはまだかなわない)

そう思いながらも、気持ちは不思議と晴れやかだった。見上げた空は目に染みるほどに青い。

「甘いわ」

レオンハルト将軍はそう言って息子を見下ろしたが、

(なかなかきつい打ち込みをするようになりおった)

とその成長を認めてもいた。少年はほんの一瞬だけ「アステラの猛虎」に本気を出させたのだ。そこへ、だだだだだ、と突然誰かが駆けてきた。

「じいちゃーん!」

大柄な老人に金髪の少女が飛びついてきたので、寝転んだままのシーザーも他の騎士たちも仰天してしまう。

「じいちゃん、じいちゃん、じいちゃん!」

向日葵を思わせる華やかな笑顔を浮かべたセイジア・タリウスに抱きつかれた将軍は迷惑そうな表情をする。

「騒々しいぞ、セイジア。おまえには恥じらいというものがないのか」

「だって、じいちゃんには心配かけちゃったからさ。お礼を言いたくて来たんだ」

「心配などしておらんし、礼を言われるようなこともしておらん」

「え? だって、わたしの病気のお見舞いに果物がいっぱい入った籠を送ってくれたじゃないか?」

騎士たちの視線が上官へと集中する。

(やっぱり、セイのことが気に入ってるんじゃねえか)

シーザーが思ったのと似たり寄ったりの感想をその場にいた誰もが頭に思い描いていた。たまに出稽古に来る天馬騎士団のかわいらしい騎士を将軍が目にかけているのはどう見ても明らかだったが、それを指摘されると、

「贔屓などしておらんわ!」

と逆ギレされるので勇気ある黒獅子騎士団の団員でも、突っ込みを入れるのは憚られる、というのが実情だった。

「まあ、とにかく元気になったのならそれで良い。そろそろおまえが来る頃だと思って、都で評判のスイーツの店からケーキを取り寄せてあるから、後で食べるといい」

「わーい、やったーっ!」

セイに首根っこにかじりつかれて満更でもなさそうな様子の「アステラの猛虎」は、「息子のおれよりも随分と甘いじゃないか」と言いたげなシーザーの視線に気づいて、

「女子には糖分が必要だからな。別に甘やかしてなどおらん」

こほん、と咳払いをする。それなら角砂糖でも舐めさせておけよ、と少年騎士が思っているところへ、

「セイ、何をしている。閣下に迷惑をかけるんじゃない」

そう言いながらやってきたのは、オージン・スバルだった。思いがけない天馬騎士団団長の来訪に、騎士たちは言われるまでもなく「気を付け」の姿勢を取り、シーザーも慌てて立ち上がった。「蒼天の鷹」を尊敬しない騎士などアステラには存在しないはずだった。

「スバルか。ここに来るとは珍しい」

表情を変えないまま将軍がつぶやくと、

「病み上がりの部下がどうしてもここで稽古をしたい、というので、付き添いで来たんです」

やれやれ、といいたげに端正な容貌の騎士は肩をすくめ、

(さすがのスバルもこのおてんばには苦労させられていると見える)

レオンハルト将軍は心の中だけで苦笑いを浮かべた。

「まあ、わたしもここに用事があったので、ちょうどいい機会ではあったのですが」

「ほう? 一体どのような用事だ?」

少女に抱きつかれたまま、興味ありげに老騎士が隻眼を光らせると、「ええ」とスバルは頷いて、

「この前のセイの捜索にあたっては、黒獅子騎士団にも迷惑をかけてしまったようですから、そのお詫びをしなければならない、と思いまして」

一息ついてから、

「それで、ここで一緒に稽古をさせてもらおう、と思ったのですが」

団員たちは声を出せないほどに驚く。オージン・スバルに直接稽古をつけてもらうなど、滅多にないことだった。一流の騎士の相手を務めるのはこの上ない名誉であったが、しかし、それは同時にこの上なく恐ろしいことだというのも、彼らはよく知っていた。

「団長ともう一度立ち合うくらいなら、爆薬を抱えて敵陣に突っ込んだ方がマシだ」

と、いつかの飲み会で天馬騎士団にいる友人が顔を真っ青にしていたのを思い出す騎士もいた。外見は穏やかに見えても、スバルとの訓練は苛烈を極めるもので、鍛え抜かれた精鋭である騎士団員すら音を上げてしまうほどのものだったのだ。

「さて、誰に最初に相手になってもらおうか」

さわやかな笑みを浮かべるスバルと視線を合わせないように男たちはどうにか顔を逸らそうとする。貧乏籤を引くのはごめんだ、と大の男たちがびくびくしていると、

「おれからお願いしてもいいですか?」

一歩前に出てそう申し出たのはシーザーだった。向こう見ずな少年に騎士団の先輩たちが呆れたが、

「ほう? おまえがわたしの相手になってくれるのか、シーザー」

「ええ、ぜひお願いします」

そう言って頭を下げた。「願ってもないチャンスだ」と若い騎士は思っていた。彼もスバルの強さは当然知っている。賊どもを一蹴したのを目撃したばかりで、今の自分が到底かなう相手ではない、というのもよく知っている。しかし、だからこそ、立ち向かう意味があるとも思っていた。

(今のおれの全てをぶつけるんだ。そして、もっとすごいおれになるんだ)

そんな意気込みを感じたのか、

「そうだな。おまえはセイのためによくやってくれた。わたしとしても礼がしたかったところだ」

涼やかな笑みを浮かべた長身の騎士は、

「よかろう。そういうことなら、まずはおまえに相手になってもらおう。わたしとしても全力で行かせてもらうから、おまえもそのつもりで来るといい」

そう言うと、準備をするのか、何処かへと歩き去っていく。その背中が既に気迫で漲っているように思われて、「お手柔らかにお願いします」と言いたくなったシーザーに、

「やめておいた方がいいんじゃないのか?」

セイがにやにやと笑いかける。さっきまで将軍に抱きついていたのに、いつの間にか近づかれて少年は少しだけびくっとしてしまう。彼女の輝かんほどの美しさもまた彼を怯ませていた。

「なんだよ、因縁つけるんじゃねえよ」

「そうじゃない。おまえを心配してやってるんだ。わたしが一番団長の相手をしているからよく知っているつもりだが、あの人は洒落にならないほど強いぞ。わずかな油断も見逃してはくれない。興味半分でやるつもりなら、本当にやめておいた方がいい」

少女の言葉に本気が含まれているのを感じたが、

「いいんだよ。おれだって本気でやってやるつもりだ」

生半可な気持ちで願い出たわけではない。それに、セイがスバルの相手をしているのなら、自分も尚更相手をしなければならない、と思っていた。

「ふうん」

セイは少年の無謀さに感心しつつも呆れた様子だったが、

「まあ、おまえがそのつもりなら構わないけどな。団長も手加減して、首をすっ飛ばすくらいで勘弁してくれることだろう」

勘弁のレベルがおかしいだろう、と言い返したかったが、少女騎士の青い瞳に見つめられて何も言えなくなる。

「なんだよ、じろじろ見るんじゃねえよ」

どぎまぎしながらそう言うと、

「変わったな、おまえ」

「はあ?」

「上手く言えないが、この前よりもずっとちゃんとしている。一体何があった?」

そう言われてもシーザーには自分が変わった自覚などないので困ってしまう。ただ、もしも自分が変わったとすれば、少女と共に森の中を逃げ惑ったあの経験が変えたのだ、という気がした。

(おまえがおれを変えたんだよ)

と思ってもそれを口に出すことはできない。その代わりに、

「おまえには言いたいことがあるんだけどよ」

そう言っていた。

「なんだ? 苦情があるなら承るが」

役場の係みたいなことを言われて笑いそうになるが、

「苦情とかじゃねえけどよ」

そう言ってから、しばらく考えて、

「おまえには責任を取ってもらわないといけない、と思っている」

「責任?」

きょとん、とする金髪ポニーテールの娘に向かって、「ああ、そうだ」とシーザーは頷いて、

「おまえには責任を取ってもらうつもりでいるから、覚悟しておけ。おれが言いたいのはそれだけだ」

それだけ言うと、少年騎士は顔を背けた。顔が赤くなっている自覚があった。確かに、目の前の少女が自分を変えたのだろう。何もかも中途半端だった自分が騎士を本気で目指し始め、それ以外の道を歩けなくなったのも、あの脱出行がきっかけなのだ。そして、今、彼は彼女に本気で恋をしていた。

(こいつをおれのものにするんだ)

そう心に決めていた。騎士としても恋人としても勝利を収め、二重の意味で少女には責任を取ってもらうつもりだった。だが、

(今はまだ言えねえ。今のおれには言う資格がない)

想いを伝えるためにも強くならねばならなかった。そんな覚悟がシーザー・レオンハルトの中に宿っていた。

「おまえが何を言っているのかはよくわからないが」

セイはしばし首を傾げていたが、

「おまえがいいやつだというのはわかっているつもりだ」

と言って、

「わかった。責任を取ってやろう」

にっこり笑った。

(こいつ、何の意味も分かってねえくせに)

と少年騎士は呆れながらも、

「言ったからな!」

とひっくり返った声で叫んで、汗をダラダラ流しながら顔の色を林檎よりも赤くする。その様子を2人の勇者がじっと眺めていた。

「馬鹿息子め。よりによって一番厄介なものに手を出しおった」

「アステラの猛虎」が溜息をつくと、

「まあ、若者らしくて結構なことではありませんか」

準備を済ませて戻ってきた「蒼天の鷹」が微笑む。レオンハルト将軍とスバルには少年の恋心は筒抜けだったのだ。

「じゃあ、早速だが、やるぞ、シーザー」

憧れの騎士に声をかけられて、

「はい! お願いします!」

瞬時に真剣な表情になったシーザーは手にしていた槍をしっかりと構えた。

「じいちゃん、わたしたちもやろう」

人懐っこい牧羊犬が駆けるように近づいてきたセイに、

「『じいちゃん』はよせ、と言うておろうに」

将軍は困ったような顔をしてみせた。また今日もこの娘にしつこく食らいつかれるのが憂鬱でもあり楽しみでもあった。そして、青空の下で、騎士たちは訓練に励んでいく。

かくして、シーザー・レオンハルトは騎士としての道を、そして恋の道を同時に歩みはじめたわけだが、その2つの旅路が想像を上回る苛酷なものになることを、そして目指す恋人がそれからもさらに美しく強くなっていくことを、歩き出したときまだ少年だった彼にはとても想像できないことであったのに違いなかった。


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