第100話 ガールズトークinジンバ村(前編)
話は現在に戻る。
「もう少しで出来るから、待っておいてくだされ、ナーガさん」
寝室の扉から顔だけを出してそう言ってきたベルトランに「いや、おかまいなく」とナーガ・リュウケイビッチが答えたときには、姉妹の父親の姿はもうそこにはなかった。
「遠慮なさらないで。わたしたちにはそれくらいしかできないんですもの」
ベッドから上体だけを起こしたアンナが言うと、
「おねえちゃんの言う通りよ。それに、お父さんの作った煮物はとてもおいしいから、ナーガさんにも食べてもらいたいの」
すぐ横に座っていたモニカにも微笑まれて、そこまで言われると断るのも悪い気がしたので、ナーガは夕食を一家と一緒に食べることにした。長女の病気を診るために毎日通っているうちに、美貌の騎士は家族ともかなり打ち解けてきていた。
「アンナ、おまえはもう立って歩けるだけの体力は十分戻っているはずなのだが」
モクジュから来た少女騎士は肺の病で臥せっている娘に声をかける。ナーガの懸命な治療の甲斐もあって、アンナはだいぶ回復していた。痩せてしまっていた顔も丸みを取り戻しつつある。
「そうかもしれませんが、なんだか怖くって」
「そんなこと言ってたら、いつまでも起きられないわよ」
妹に怒られても、「でも」と気乗りのしない様子の姉を見て、
「まあ、無理にやらせるのはよくない。アンナの好きなようにさせてやろう」
ナーガがかすかに微笑むとモニカもそれ以上言い募りはしなかった。アンナは間違いなく健康になっているから、普通に歩けるようになるのも時間の問題で、焦ることはないはずだった。
「でも、おねえちゃん、寝てばっかりいるから、シーザーさんを見られなかったんじゃない」
モニカが意地悪な笑みを浮かべると、
「ああ、それは本当にそう! ねえ、シーザーさんって本当にそんなにかっこよかったの?」
アンナが身を乗り出して訊ねてきた。先刻からこの部屋にいる3人の少女の中では、今日の昼間に突然村にやってきたシーザー・レオンハルトという青年の話題で持ちきりだった。
「だから、さっきから言ってるじゃない。すっごくイケメンだった、って。ねえ、ナーガさんもそう思うでしょ?」
モニカに話を振られて、
「わたしの個人的な感想はともかく、客観的に見てなかなかいい男であるのは確かだな」
ナーガはかすかに顔を赤らめながら答える。
「ええーっ。じゃあ、そんなにカッコよかったんだ。わたしも見たかったなあ」
心からガッカリした様子の姉を見て、
「ふふーん。わたしなんか転びそうになったところを助けてもらったんだから」
何故か自慢げに胸を張る妹に、ナーガは噴き出しそうになって、
「しかし、若い男が一人やってきたくらいで、そこまで騒ぐことはないだろう」
と穏当な突っ込みを入れたところ、姉妹から笑みが消えてお手本にしたくなるような真顔に変貌していた。そして、
「何を言ってるんですか! 若い男の人は限りある資源なんですよ! 水よりも酸素よりも貴重なんです!」
モニカが顔をピンクに染めて叫ぶと、
「ナーガさんにはお世話になってますが、その言葉だけは見過ごせません! あまり贅沢を言わないでください!」
病気のアンナまで身を乗り出してきたので、「わかった、わかった」と少女騎士は姉妹のすさまじい勢いに発言の撤回を余儀なくされた。戦場でもこれほどの猛攻を受けたことがあっただろうか? とナーガは目を白黒させる。
「ナーガさんもお気づきかも知れませんが、この村には若い男の人がいないんですよ」
ぜえぜえ、と息を荒くしてアンナが俯く。病気の症状のせいなのか、興奮したからなのか、見当がつかずに少女騎士が困っていると、
「そうなんです。おじいちゃんとおじさんと男の子はいても、男の人がいないんです」
だから潤いがなくって、とモニカがつまらなさそうな顔をする。そう言われてみると、確かに若い男をこのジンバ村で見た覚えがない、とよそもののナーガも気付く。
「なるほど。ということは、おまえたちも結婚相手を見つけるのが大変なのかもな」
何の気なしにつぶやくと、
「まさにその通りです!」
と仲良し姉妹がハモって言ってきたので、さすがの「
「この村に相手がいないとなると、よその村に嫁ぐか、逆によそからお婿さんを探してくるしかないんですけど、どっちもすっごく大変じゃないですか」
モニカがそう言うと、
「お父さんもモニカも心配だから、わたしとしてはこの村を離れたくないんです。できれば、お婿さんに来てもらいたいんですけど、わざわざ知らない土地に来てくれる人ってなかなかいないんです」
アンナも困った顔をした。年上の少女はこの世界においては結婚適齢期を迎えていて、年下の方も遠からずそうなる、とあって、彼女たちにとっては差し迫った問題になっている、というのをナーガも理解する。
(普通の娘として生きるのもなかなか大変だな)
ナーガ・リュウケイビッチは2人の少女の悩みを「くだらない」と笑いはしなかった。戦場を生き抜き、祖父に死なれ、国を追われた彼女とは苦悩のスケールが違っていたかもしれないが、それでも村の娘たちにとっては重大な問題なのだ、ということを理解していた。市井に生きる庶民の心情が分かる程度に、貴族出身の美しい騎士はこの数年で苦労を積み重ねていたのだ。手にしたカップから薄いお茶を飲んでいるうちにあることに気づく。
「いや、ちょっと待て。この村にも若い男はいるじゃないか」
と言いながら顔を上げると、「え?」とよく似た顔の2人の少女は、きょとん、とした表情をする。まるで思い当たらない様子の娘たちに、
「ほら、村長だ。あいつはまだ若いだろう?」
そう言われてやっと、
「ああ、そういえば」
アンナは、ぽん、と手を叩き、
「ハニガンのこと、忘れてたね」
モニカも気まずそうに笑う。村長のことを忘れるなよ、とナーガは呆れてしまうが、
「そう、そのハニガンだ。わたしもあまり話はしていないが、あいつはまだ20歳そこそこで独身だったはずだ。あいつは結婚相手としてはどうなんだ?」
と訊いたところ、
「それはないです」
と姉妹に即座に同時にきっぱり否定される。
「ないです、って、どういうことだ? 見たところ真面目そうで何の問題もなさそうに見えるが」
あまりにはっきり言い切られたので動揺しながら金色の瞳の美少女が訊ねると、
「確かに真面目でいい人なんですけど、そういう風に見たことはないですね」
アンナが頷きながら呟き、
「わたしも同じ。優しいお兄ちゃん、って感じで、男の人としてどうこう、とは思えないかも」
モニカも同意する。
(不憫なやつだ)
よく知らない青年にナーガは同情してしまう。若い娘に男性として見られていないのが、なんとなく気の毒に思えたのだ。
「っていうか、ハニガンもわたしたちをそんな風には見てないと思うし」
モニカがそう言ったので、
「いや、そんなことはないだろう。おまえたちはかわいらしくて、とても魅力的だ」
凛としたたたずまいのナーガにはっきり言われて、アンナもモニカも恥ずかしそうな表情になる。
「もうっ。そんなことを言って。ナーガさん、からかうのはやめてください」
何故かモニカに怒られる。
「わたしは別にからかってなど」
「それに、わたしが言いたかったのはそういうことじゃないんです」
と言ってから、モニカは、にやり、と意味ありげに笑って、
「ハニガンはナーガさんのことが好きなんじゃないかなあ、ってわたしは思ってるんです」
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