第95話 ふたりの脱出行(その9)

オージン・スバルを乗せた馬が歩みを止めた。攻撃の間合いに入った騎士が何をしてくるか、傭兵崩れどもは敵愾心と恐怖心が混ざった思いで睨みつけていたが、スバルは出し抜けに右手にぶら下げていた長剣を、さっき最初に矢を放った頬骨の張った男に向かって突き付けた。そして、

「今からおまえの心臓を突く」

と堂々と予告してから、

「避けるのも、防ぐのも、反撃するのも自由だ」

好きにするといい。そう言い放った。信じがたい言葉に悪党は皆呆然とした後、笑いを爆発させた。こんな馬鹿を見たことがなかった。これから自分のすることを前もって言ってしまっては、上手く行くはずがないではないか。攻撃すると事前にわかっていて、誰が大人しくそのまま喰らうというのか。

「わたしの言ったことが、そんなにおかしかったか?」

黒い鎧の騎士が首を捻ったのも、男たちの笑いのツボをさらに刺激した。

(いくらなんでも無茶だ)

離れた場所ではらはらしながら様子を見ていたシーザーもスバルの行動を疑問に感じていた。大勢の敵にたったひとりで挑むただでさえ不利な状況を、天馬騎士団団長がさらに困難なものにしているとしか思えなかった。

「もういい。さっさとやっちまいな」

頭が陥没したボスが笑いすぎたあまり涙を流しながら部下に命じる。お遊びにいつまでも付き合っているつもりはなかった。合点承知、とばかりに頬骨の張った男は既に矢をつがえてあったボウガンを頭のおかしい騎士に向けようとする。さっきは外してしまったが、これだけの至近距離だ。命中しないはずがなく、鎧だって貫けるはずだった。

(もらった!)

勝利を確信していた男の動きが急に止まる。胸に突然違和感が生じたのだ。何か固いものが体内に瞬間移動して来たかのような、と思いながら問題の箇所を目視すると、

「は?」

左胸に刃が刺さっているではないか。そんな馬鹿な。目の前の騎士はまるで動く様子はなかったというのに。

「おまえ、いったい、なにを」

どばあ、と口から大量の血を溢れさせながら男が口走る。心臓が破裂してもう生きてはいられないが、せめて何故自分が死に至ったのか知りたかったのかもしれない。だが、

「だから、言っておいただろう? おまえの心臓を突く、と。なのに何故何もしなかったのだ?」

何もしなかったんじゃない。何もできなかったんだ。そう反論しようとしたが、騎士が剣を引き抜いたのと同時に、悪漢は姿勢を保つことができなくなり、手からボウガンを取り落とした直後に、横ざまに落馬した。

(わけわかんねえ)

地面に激突する前に男の意識は失われ、自分がどのようにして死んだのかは永遠の疑問となってしまった。

予告された殺人があっけなく現実のものになってしまったのに、犯罪者集団も少年騎士も唖然として何もできなくなってしまう。人は動かず、鳥は飛ばず、葉も風にそよぐことのない、一幅の絵画と化したかのような夕闇の森の中で、オージン・スバルと彼を乗せた馬だけが唯一生命を持って動いていた。

「次はおまえの首を刎ねる」

水牛のような大きな角が2本ついた兜をかぶった長い髭の男に向かって「蒼天の鷹」は宣言する。

「必死にならなければ、あの男の二の舞になるぞ」

それはもちろん望むところではなく、

「いやあああああっ」

怪鳥のごとき叫びをあげて、死を宣告してきた騎士の脳天めがけて斧を振り下ろそうとしたが、すぱん、と軽快な音がしたかと思うと、男の頭部は兜ごと消失し、その10秒後にやっと落下してきて、ずん、と両方の角を天然の腐葉土に突き立てていた。

「『いやああああっ』とか叫んでないで、自分の身を守るべきだったな」

どうしてそうしなかったんだろう? と純粋に疑問に思った様子でスバルはいささか残念そうにつぶやいたが、その他の人間は信じがたい現象に驚愕するあまり、突っ込みを入れる余裕はまるでなかった。今回も騎士は何も動いていないように見えたのに、またしても人が死んだのだ。原因と過程をすっとばして結果だけが生じる、という因果律に反した現象が起こっていた。

(どうなってやがる?)

ボスは脂汗をだらだら流し、流れた汗が頭頂部のクレーターに溜まっていく。あの騎士が何をしているのかさっぱりわからない。わからないが、部下が死んだこと、これからさらに死んでいくこと、そして自分も死んでいくこと、それは薄々感づいていた。やられる前にやるか、さっさと逃げるべきだったが、身体がピクリとも動かせない。それなりの修羅場を踏んでいたはずのならず者たちは、蛇に睨まれた鼠のように敵の接近をただ待ち受けることしかできなくなっていた。

「では、続けるぞ」

スバルはそう言って、次々と悪人を成敗していった。予告した箇所を攻撃し、あっさりと死に至らしめる。あまりに展開が一方的すぎて、それはもはや戦闘ではなく、果実の収穫に近いものになっていた。男たちはそれまでの悪行の報いとして、命を刈り取られていく。

常識を超えた光景を食い入るようにして見つめながら、シーザーは身体の震えを止められなくなっていた。だが、

(おれにはなんとなくわかる)

そんな風に感じてもいた。今の自分はスバルと同じ「騎士」を名乗るなどおこがましい、としか思えなかったが、しかし、それでも、悪人たちがまるで理解できなかったものをわずかなりとも感づいているだけでも、この少年はやはり「騎士」なのだろう。少し遠くにいるシーザーの目には、スバルが実に無造作に剣を振るうと、敵があっけなく倒れていくようにしか見えなかった。だが、

(あの人はただ単に剣を振っているわけじゃない)

それはわかっていた。と言っても、何か小細工をしている、というわけでもない。「蒼天の鷹」が何の気なしにやっていることは、すさまじい修練の上で成り立っていることなのだ。人のやることならば、同じ人としてどうにでもできる。しかし、自然のやることを、人はどうすることもできない。風が吹くのも、雨が降るのも、花が咲くのも、人にはどうすることもできない。つまり、オージン・スバルは自らを鍛え続けた結果、その動きを自然現象の域にまで高めていたのだ。だから、何をやってくるのか分かっていても止められないし、躱すこともできないのだ。いったいどれほどの訓練を積み重ねればそうなれるのだろう。何千回、何万回、いやそれ以上剣を振るったところでたどりつけるのだろうか。シーザー・レオンハルトは自分が歩き始めた道のりの遠大さに今やっと気づいて、途方に暮れかけながらも、騎士の戦いぶりから目が離せないでいた。

「待たせたな」

スバルが目の前に近づいてきて、ボスは辛うじて悲鳴を飲み込んだ。部下はみな死んだ。残るは彼一人だ。

「おまえをどうするかは、最初に決めてあった」

音もなく切先を突き付けて、

「脳天から真っ二つに斬り下げてやる。そうすれば、頭の形など気にならなくなるだろう」

親切を施してやるかのような口調に、悪の首魁は混乱しながらも怒りを抑えきれない。それで命がなくなってしまっては何の意味もないではないか。しかし、命乞いをしたところで無駄だ、というのは男にはわかっていた。だから、せめて最後は虚勢を張ろうとする。荒くれ者を率いていただけあって、それなりの胆力の持ち主なのだろう。

「名前を聞かせろ」

「ん?」

「せめて自分を殺す人間の名前くらい、最後に知っておきてえんだ」

武骨な顔に浮かぶ不敵な笑みに感心したらしく、

「なるほど。これはすまなかった」

騎士は馬上で姿勢を正すと、

「申し遅れた。わたしは、アステラ王国天馬騎士団団長オージン・スバルという者だ」

その名を聞いたボスの目が驚愕に見開かれる。

(「蒼天の鷹」じゃねえか!)

彼の頭を陥没させた「アステラの猛虎」ティグレ・レオンハルトと並んで称賛される勇者だ。そんな人間を敵に回した愚かさを悔やむ余裕はなく、

「では、御免」

スバルは剣を振り下ろした。今回も予告通りに、大男のでかい頭めがけて長剣は弧を描いていった。のだが、

(は?)

ボスの目には闇に白くきらめく刃の動きがきわめてスローに見えていた。かたつむりが這う方がよほど速く思えるほどだ。あまりにのろいので避けようと思えば避けられるはずだったが、自分の動きもまたお話にならないほどのろかった。じたばたして悪戦苦闘した挙句、「蒼天の鷹」の剣は避けられない、という結論にたどり着く。

(いつになったら当たりやがる)

一日が過ぎ、三日が経ち、十日を越えても、まだ剣は届かない。諦めて待ち続けるのと、諦めきれなくなって体を動かそうとするのを繰り返しているうちに、一か月、半年、一年、十年と時間だけが過ぎ、いつしか男は年老いて、肌は乾き切り皺が寄り痩せ衰えた惨めな姿と成り果てた。

(やっとだ)

彼の頭に剣が届いたのはちょうど百年目だった。刃が肌に触れ、金属の冷たさを直に感じた。ようやく死ねる、と思ったが、それは間違いで、そこからがまた長かった。肌が裂け血が流れ出すまでが二百年、肉が破れ骨が砕けるまでが五百年、頭蓋が崩れ脳髄が撹拌されるまで千年かかった。その間、自らを襲う苦痛からは逃れられず、意識を失うことも発狂することもできない男は、肉体の機能が完全に失われるまで、おのれが死に至るまでのプロセスを隅々まで味わう以外にできることはなく、人間も生物も惑星も消え失せるほどの長い年月の果てにようやくこの宇宙からその存在を完全に消滅させた。

「ずいぶんあっさりとしたものだったな」

もう少し抵抗されると思っていたが、とオージン・スバルは両断された男の亡骸を見下ろしながらつぶやいた。わずか0.01秒に満たない時間での決着に呆気ない思いを禁じえなかった騎士は、冷たい大地に斃れた敵が永劫の苦痛に見舞われていたとはもちろん知る由もなかった。人の領域を超えた技は、相対した敵をただ殺すのではなく魂までも滅ぼしてしまうのだが、その技を受けた者は誰一人として生き残れはしないので、その事実がこの世界で知られることはなく、技を放ったスバル自身ですら知ることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る