第94話 ふたりの脱出行(その8)
「だんちょう」
オージン・スバルの到来を知ったセイが目覚める。
「来てくれたんですね」
闇の中でほのかに光る青い瞳を見つめながら、
「従者にいなくなられて探し回る騎士など、世界にわたし一人くらいなものだ」
ありがたく思え、と天馬騎士団団長が溜息混じりにつぶやいたのは、自らの心配性に呆れていたせいなのかもしれない。
「ごめんなさい」
「悪いと思っているなら、早く身体を治すことだ。そうしたら、たっぷりしごいてやる」
えへへ、と金髪の少女が少し気まずそうに笑う。スバルの顔はフルフェイスの兜に覆われていて見ることはできないが、おそらく同じように微笑んでいるのだろう、と傍で見守るシーザーには思われた。主従を越えて、親子にも近い絆が2人の間にはあるはずだった。
「すぐに命に関わるほどのものではないな」
おそらく疲労が出たのだろう、とスバルが部下の病状に見当をつけていると、
「でも、早く医者に診てもらった方が」
年少の騎士の言葉に「そうだな」と歴戦の勇士が頷いたそのとき、
「おお、てめえ、一体何者だ?」
頭にへこみのある大男が馬に乗って現れた。その後ろには十数騎の集団が従っている。少年と少女を執拗につけ狙っていた悪党どもがついに追いついたのだ。
「何処のどなたか存じ上げないが、そこの坊っちゃんと嬢ちゃんには野暮用があるんでね。さっさと引き渡してもらえるとありがたい」
スキンヘッドのボスがへらへら笑いながら大声を上げると、部下たちも下卑た歓声を上げた。たった一騎、助けに現れたところで自分たちの優位は揺らがないと思い込んでいるのだろう。悪漢の言葉を聞いたスバルは「ふむ」と少し考えてから、
「おまえたち、昨日も見かけたな」
とつぶやき、要求を無視されたボスは「あん?」と間抜け面を曝すが、近頃はセイが手入れを担当していることもあってか、よく磨かれて黒光りする鎧に身を包んだ騎士は、「ああ、なるほど」と何かを納得した様子で、
「モクジュは傭兵を雇って、それを別動隊としてわれわれの横腹を衝いたわけか。正規軍しかいない、と思い込んだがゆえに不覚をとったわけだ」
反省せねばならない、とひとりごつスバルを「空気の読めないやつだ」と悪党どもは呆れたように見たが、わずかな時間で素性を見抜かれたことにボスの心に焦りが生じる。
「おう、その通りよ。おれたちはみんなアステラには怨み骨髄、ってなもんでな」
開き直って正体を自分から暴露しようとした悪漢に、
「ふむ。それでは、そのご自慢の頭をレオンハルト将軍にイメチェンされた仕返しにシーザーを襲おうとしたわけか」
スバルに先回りされてボスはまたしてもあんぐりと口を大きく開けてしまう。「蒼天の鷹」と呼ばれる騎士は武勇もさることながら知略においてもずば抜けた資質を持ち合わせていて、脳味噌の代わりに藁を頭に詰め込んだ賊がかなうはずもなかった。
「しかし、その頭、貴殿にはなかなかお似合いだと思うが。髪型ではなく頭部を直接変形させるなど、なかなか洒落ているではないか。そのうち、都のセレブの間でもファッションとして流行るのではないか? それに、頭のくぼみに水を溜めれば水筒を持たずに済むから実用的でもある。もっと前向きに受け止めてもいい気もするが」
「やかましい!」
傭兵崩れの頭目は逆上していた。嘲弄されたり揶揄されるのは当然腹立たしいが、目の前の騎士は冗談のつもりでなく本気で賛辞を送っているつもりで、それがかえって怒りをかき立てる結果になっていた。
(いつもの団長だ)
高熱で朦朧としながらも成り行きを見守っていたセイは可笑しくなってしまう。オージン・スバルは賢すぎてかえってズレたことを言ってしまう人なのだ。
「てめえ、おれを舐めてるのか?」
「それは勘弁してくれないか」
「は?」
「貴殿を舐めたら腹を下してしまう。どうせならソースかドレッシングをかけてもらいたいところだ」
があっ! とボスは憤怒に顔を赤く染めて咆哮する。話が全く通じないばかりか、小馬鹿にされているのを感じた。スバル自身はそのつもりはないのが
「いいから、そこのガキどもをさっさと引き渡しやがれ。こっちは痛い目に遭わされてるんだ」
「痛い目に遭ったくらいで済んでよかった、と思うべきだな。命があるだけありがたいと思った方がいい」
ぎゃははははは、と大男は笑い声を上げる。
「てめえ、本気で馬鹿なんじゃないのか? 今、自分が置かれている状況を考えてもみろ、っつーんだ。たったひとりでおれたちを倒せると、逃げ切れると思ってるのか? この大馬鹿野郎が」
シーザーがセイを抱く両腕に力を込めたのは、敵の言葉に説得力を感じてしまったからだ。オージン・スバルがいかに強いといっても、一騎のみでどうにもなるというものでもないのではないか。しかも、自分たちが足手まといになってしまっているのだ。だが、敵から罵倒されても騎士の外見にも内面にもまるで乱れはなく、
「いい馬だな」
と静かに呟いた。
「は?」
この期に及んでとぼけやがる、と心底呆れるボスに、
「乗り手はどうしようもないろくでなしだが、馬はなかなかいい」
そう言うと、そこではじめて集団を睨みつけた。兜の中から向けられた鋭い視線が自分たちを射すくめているのを感じた悪党たちの全身に冷たい汗が流れ出す。
「逆に訊きたいのだが、わたし一人などあっさり倒せると思ってるなら、どうしてさっさと向かってこない? もうじき夜になるというのに、こんな山奥でもたもたしている場合でもないだろうに」
そう言われて、ボスは騎士と対峙してから自分たちが動けずにいるのにようやく気付いた。これだけの集団なら、あの威張りくさった鎧武者と子供たちを取り囲んで威圧することもできたはずなのに、それができていない。一体どういうことなのか。自分自身のことすら把握できていない男を見かねてスバルは溜息をつく。
「貴公らはわかっていないが、貴公らを乗せた馬はよくわかっているのだ。わたしの方に向かって来れば、命はないのだと」
そのとき、ひゅんひゅん、と騎士めがけて矢が飛来した。ボスの横にいたいかにも狡猾そうな頬骨の張った男がボウガンを発射したのだ。この男も生意気な戦士に腹を立てていたのだろう。だが、その矢はまるで見当違いの方向に飛んでいき、スバルに触れることはない。
「当たるものか」
呆れたようにつぶやいた騎士に反発したのか、集団から二の矢、三の矢が立て続けに飛んでくるが、全然当たりはしない。
(すげえ)
シーザーには、スバルの周りに見えない障壁があって、敵の飛び道具を全て跳ね返しているかのように感じられた。すごい人だというのはわかっていたつもりだったが、考えていた以上にすごい人なのかもしれない。
「当たるものか」
オージン・スバルはもう一度つぶやく。
「臆病者の放った矢が、怖気づいて撃った矢が、わたしに当たりなどするものか」
暗い森に戦士の闘気が青く燃え上がった。静かに身体を休めていた鷹が翼を広げ、敵に襲い掛かろうとしていた。そこで悪党どもは初めて気づく。自分たちは狙う側ではなく狙われる側なのだと。
「やはりいい馬だな」
黒い馬にまたがった黒い鎧の騎士は、一歩も動けずにいる敵を見ながらつぶやく。
「逃げても無駄だというのがよくわかっている」
もとより連中を逃がすつもりなどなかった。外道に与える慈悲など勇者には不要なものだ。そればかりか、彼にとって大事な少女を苦しめたのだ。天が許さなくとも神が認めなくても鉄槌を振り下ろすことに決めていた。
「シーザー、おまえの剣を貸してくれ」
顔を見ずに右手だけを延ばしてきたので、「はい」とすぐさまシーザーは自分の長剣を先輩騎士に手渡した。スバルの得物は長槍だが、探索にあたって邪魔になると考えて、今日は持ってきていなかった。剣を手にすると、騎士を乗せた馬が歩きはじめる。黒い馬の瞳にはさざなみすら立たず、主人と同じく冷静沈着な性格だと見て取れた。いよいよ戦いになる、と少年が思わず唾を飲み込んだそのとき、
「悪いが、寝かせてもらう」
もう限界なんだ、とセイが長い睫毛を伏せて眠りにつこうとする。
「いや、そんな、今からスバルさんが戦うんだぞ?」
シーザーは慌てて少女を起こそうとするが、
「どうなるかわかりきっているのに、見てもしょうがない」
と頬を膨らませて文句を言うと、さっさと寝てしまった。
(こいつ!)
かっとなるシーザーだったが、病気の娘を無理に叩き起こすのも躊躇われたので、仕方なく一人だけでスバルと傭兵崩れの一党の戦いを見守ることにした。たった一人の騎士と十数人のならずもの、という絶対的に不利な戦いの行方を危惧していた少年は、その後信じがたい光景を目撃することとなった。
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