第82話 青年騎士、村を訪れる(その1)
うららかな春の午後だった。柔らかな日差しの中で、小鳥のさえずりが聞こえている。
「よいしょ、っと」
裏庭で干していた洗濯物を全て取り込み終えると、モニカはそれを籠に詰めて家へと持って帰ることにした。2、3日天気が悪くて大量に溜め込んでしまっていたが、どうにか全部干すことができた。とはいうものの、
「やりすぎだったかな?」
両手に籠を抱えてから少しだけ後悔する。洗濯物が多すぎて前が見えなくなってしまったからだ。でも、なんとかなるはずだ、と思い直す。家まではすぐに帰れるし、数え切れないほど行き来してきたから、目を閉じていたってたどり着ける。姉のアンナの病気はだいぶ良くなってきてはいるが、まだ無理はさせられない。お姉ちゃんの代わりにわたしが頑張らなきゃ。そう信じて歩き出したのだが、
「あっ」
通りまで出たところで態勢を崩してしまった。何かに躓いたわけでもないから、緊張して歩きが乱れたのだろう。「また洗濯し直さなくちゃいけない」と転びながら早くもがっかりしていたモニカを、前方から何かが受け止めた。
「えっ?」
洗濯物が落ちることなく、自分も倒れることがなかったのを不思議に思っていると、
「大丈夫か?」
さわやかで力強い声がかけられた。男の人。でも、多分知らない人だ、と思いながら、モニカがおそるおそる洗濯物越しに前を見てみると、
「怪我はないか?」
黒い短髪を逆立てた背の高い若い男性が立っていた。精悍な顔立ちをしていて、涼やかな目が自分を心配そうに見つめているのに、モニカの心臓は高鳴る。
「ええ、はい、まあ、大丈夫です」
真っ赤になってそう答えるのがやっとだったのだが、青年はいきなり噴き出して、
「ちょっと頑張りすぎじゃないか?」
と微笑んでみせる。洗濯物の量が多すぎるのでは? と言いたいのだろう、とわかって、村の娘の顔はさらに赤くなる。こんなかっこいい人に子供っぽいところを見られてしまった、と羞恥心が爆発しそうになる。
(でも、この人だってセンス良くないもん!)
と思ったのは恥ずかしさの裏返しだろうか。もっとも、彼が着ている銀のスタジャンが田舎の少女から見ても「いけてない」のは事実だったが。
「ところで、ひとつものを訊ねたいのだが」
「はい。なんでしょう?」
モニカは何だって答えてみせるつもりだった。「お嫁さんになってくれないか?」と言われたとしても即答してみせたことだろう。
「ここはジンバ村で確かなのか?」
「はい。ここはジンバ村で、わたしの名前はモニカです」
聞かれてもいないのに自己アピールをしてしまったが、青年は「そうか。モニカか」と笑ってもう一度少女を見つめたので、「はわわわわ」とモニカは震え出してしまう。今すぐたくましい胸に抱きつきたい、という欲望をどうにか押しとどめたのはわずかに残った自制心と両手に抱えた洗濯籠だった。そして、
「この村に何か御用なのですか?」
もじもじしながら訊ねると、
「ああ、そうだ。少し前に知り合いがこの村に移り住んだと聞いたんだ。どうにも危なっかしい奴だから、一度様子を見ようと思ってやってきたのだが」
それだけで誰に会いに来たのかわかってしまった。そして、彼の目的もわかってしまった。熱い想いがなければ、遠路はるばる、男が女に会いに来はしない。
(あの人が相手なら、わたしなんかかないっこない)
恋心が一瞬にしてしぼんでいくのを感じながら、それでも真面目なモニカは青年の役に立とうとして、
「セイジア様なら今、留守にされてますが」
と答える。すると、青年は不審げな顔になって、
「おれがタリウスに会いに来たとよくわかったな?」
と少し声を低くしてつぶやいた。
「いえ、最近ここに移り住んだのはセイジア様だけですから。それくらい人の出入りがない村なんです」
なるほどな、と彼は頷いて、
「あいつはみんなに迷惑をかけてないか? 暴れ回って何かを壊したりしてないか?」
と心配そうにしたので、モニカもつい笑ってしまい、
「いえ、そんなことはありません。セイジア様のおかげでみんなすごく助かってます」
そう答えると、
「そうか」
青年はそれだけ言って優しく微笑んだ。その顔が恋する者を思いやる心情に溢れているのが初対面のモニカにもわかって、ぼうっと見つめてしまう。思いはかなわないとわかっていても、この人のことをもっと知りたい、と思ってしまう。
「お名前をお聞かせ願えませんか?」
思いが口を衝いて出たのを少女は恥じたが、青年はまるで気にすることなく、
「そうだな。きみに教えてもらったのに、こちらが名乗らないのは無礼だな」
と背筋を伸ばしてから、
「おれの名はシーザー・レオンハルトだ」
少女の目を見てしっかりと名前を告げた。
(シーザーさん)
素敵な人は名前も素敵なんだな、と熱に浮かされたようになってから、「あれ?」とモニカは何かに気づく。シーザー・レオンハルト。その名前を自分は何処かで聞いたことがあるはずだ。でも、何処でだろう、と記憶を探っているところへ、
「おお、シーザーじゃないか!」
馬にまたがったセイジア・タリウスが村へと戻ってきた。
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