第81話 女騎士さん、温泉に入る(その5)
ナーガの告白を聞き終えたセイは、彼女にかけるべき言葉が見つからずに途方に暮れていた。彼女の困難はもともと自分が招いたことなのだ。その張本人として、何かを言わなければならない気がしたが、何を言うべきかがわからない。それでも黙っているわけには行かない、と口を開こうとしたそのとき、
「謝るなよ」
ナーガに先を越されていた。
「え?」
「絶対に謝るなよ。謝ったりしたら、おまえを本当に許せなくなる」
沈黙がたちこめた。湯煙のおかげで、モクジュの少女騎士の表情もぼやけて見えて、その言葉の意味もセイにはつかみかねた。
「おまえのしたことは悪いことばかりではないのだろう。戦争が続いていいことなどひとつもない。おまえのおかげで救われた人も多いはずだ」
でも、きみは、と言おうとして、ナーガの金色の瞳に鋭く睨みつけられる。
「だから、『謝るな』と言っている。おまえには謝る資格なんかありはしないんだ。自分のやったことを引き受けろ。それがおまえの一生の務めだ」
しばらく黙ってから、
「おじいさまが生きていれば、きっと同じことを言う」
「
(おじいさまが生きていれば、か)
自分の言葉に苦い笑みが浮かぶ。あの人にどんなにか生きていてほしかったことか。突然の死から2年が過ぎても苦しみはいまだに癒えることはなく、一生苦しみ続けるのかもしれなかった。しかし、ナーガが一番に思ったのは自らの現状だった。怨念に囚われ復讐を目論む孫娘を祖父が決して喜ぶはずがない、というのはよくわかっていた。きっと怒られるだろうな、とまたしても苦笑いしてしまうが、今の彼女にはそれ以外なすべきことが見つからないというのもまた確かなことだった。
「わかった」
セイがようやく口を開く。
「きみには謝らない。というか、謝れない、というのが正しいんだろうな」
ナーガは目を閉じて、
「ああ、そういうことだ」
ぼそっと呟いた。再び温泉に沈黙が重くたちこめた後に、
「きみはこれからどうするつもりなんだ?」
金髪の女騎士に訊ねられて、
「どういう意味だ?」
黒い短髪の少女騎士は訊ね返す。
「いや、そういえば、きみがこれからどうしようとしているのかを、ちゃんと訊いていなかった、と思ったんだ」
セイはナーガをしっかりと見て、
「やっぱりモクジュに帰りたいのか?」
そうだな、と「蛇姫」が顔を上に向けると、満月がやけに大きく見えた。
「いずれは戻るつもりだ。今すぐにどうこうできる話でもないと思うが」
故郷を追われてきた身ではあるが、それでも異国の地で当てもなくただ暮らしていくよりはマシなのかもしれない、と日に日に思うようになっていた。「そういうことなら」とセイは身を乗り出し、
「わたしとしてもできることはさせてもらう」
償いをしたい、というよりは、ただ単に親切心から出た言葉だというのがわかって、ナーガは噴き出してしまう。まったく、なんというお人よしだ。
「勝手にすればいい。期待はしていない」
だから、断りもしなかった。熱いお湯で筋肉も心もほどけていくのを感じた。
「それはそうと」
「ん?」
セイの声が低くなった、と思っていると、
「そろそろ、きみと本当の友達になりたいのだが」
気付かないうちにすぐ側にまで近づかれていた。いつの間に、と思う余裕もなく、両手を取られ、岩風呂の縁に背中を押し付けられていた。
「なんのつもりだ、セイジア・タリウス?」
「きみがいけないんだ、ナーガ・リュウケイビッチ。きみがいつまでもつれないから、わたしもこんな強引な真似をしなければならなくなってしまった」
ナーガはどうにか抵抗しようとするが、セイの方が体が大きいうえに、単純な腕力では負けていて、絡められた指を振りほどくことができない。2人の身体はぴったりと密着して、「金色の戦乙女」の豊かな胸が「蛇姫」の小ぶりなふくらみを押し潰している。セイはナーガの首筋に顔を近づけて、
「いいにおいがする」
すんすん、と嗅いでまわるので、恥ずかしさのあまり少女騎士の顔面は赤く染まる。
「馬鹿、離せ。まさか、貴様、その気があるのか?」
「その気ってどの気だ?」
アステラの女騎士が、きょとん、とした顔になったところを見ると、彼女としてはあくまで友情のあらわれのつもりなのだろうが、それにしてもスキンシップが過剰すぎはしまいか。必死で押し返そうとするものの、互いの肌がこすれ合ううちにナーガの未熟な官能が呼び覚まされ、息が荒くなっていく。
「『わたしと友達になる』と言ったら離してやる」
誰が言うか、となおも抵抗しようとすると、
「いい加減観念しろ」
「あ」
セイの白い顔が近づいてきた。唇を奪うつもりなのはわかっていても馬鹿力でおさえこまれて身体が動かせない。それだけではなく、抗おうとする意志が何故かみるみる薄れていき、ナーガ本人は意識しないうちにくちづけを迎え入れる態勢になってしまう。温泉とは別の熱に浮かされた何処かうっとりした気持ちになって、少女騎士が目を閉じてしまったそのとき、
「ぎゃーっ!!」
甲高い悲鳴が響き渡った。
「は?」
「えっ?」
抱き合っていた2人の女騎士が叫び声のした方を見ると、ジャロ・リュウケイビッチ少年が呆然と立ち尽くしているではないか。
「ジャロ、どうしてここへ?」
ナーガの問いかけに栗色の髪の美少年はがたがた震えながら、
「姉上がセイジア・タリウスと姿を消した、と聞いて行方を探し回っていたのです。ぼくが姉上を守らなければなりませんから」
実に殊勝な心掛けであったが、それ以上に、
「よくここまでやってきたものだ」
とセイもナーガも感心するしかなかった。モクジュの避難民の居住地からは遠く離れていて、2人も初めて来た場所だったのだ。
「それで、あの、その、姉上は一体何をやっておられるのですか?」
温泉の中で2人の美女が裸身を絡め合っている姿は、少年の脳の許容範囲を超えていた。
「ああ、これは友情を深める儀式のようなものでな。坊やが心配するようなことは何もない」
セイはあっけらかんと大嘘を言い放ってから、「そうだな」とナーガの身体から手を放して、
「せっかくだから、坊やも一緒にお風呂に入るといい。おねえさんが洗ってやろう」
「え?」
ジャロ少年がフリーズしてしまったのは、予想外のことを言われたせいもあったが、それにも増して温泉からあがってきたセイの身体があまりにも美しかったからだ。父の仇のくせにこんなにきれいでますます許せない、と裸体から目を離すこともできずに、性に目覚めかけた少年の頭脳がパニックを起こしていると、
「こら、何を言うか、貴様」
ナーガも風呂から上がってきて、「よかった、止めてくれるんだ」と安心したのも束の間、
「ジャロはわたしが洗う。弟の面倒は姉が見るものだ」
そう言って、
「ジャロ、おまえも長いことちゃんと風呂に入ってないだろう。わたしがきれいにしてやるからな」
にっこり微笑むナーガは、いつもとは違う妖艶さを漂わせていて、少年のパニックにより一層拍車がかかる。ぼくはもう子供ではないのですよ、と思いながらも言葉にならないのは、反論できないからなのか、それともしたくないからなのか。
「それだったら、2人で坊やを洗えばいい。そして、坊やもわたしたちを洗えばいい」
「なるほど。貴様もたまにはいいことを言う」
意見の一致を見た2人の女騎士が頷き合って、
「おねえさんと一緒にお風呂に入ろう?」
と一緒に呼びかけた瞬間、「ぎゃーっ!!」と悲鳴を上げてジャロは元来た道を全力で駆け下りていった。かぐわしい香りを発散する白と褐色のふたつの裸体に迫られて、思春期を迎えようとしている男子がこれ以上正気でいられるはずもなく、裸になって全身をまさぐられでもしたら、生きながら天に昇ってしまうに違いなかった。だから、少年は一目散に逃げ去るしかなかったのだ。
「あの子、いったいどうしたんだ?」
呆然としてジャロを見送ったナーガに、
「年頃の男の子は難しいというからな」
うんうん、と訳知り顔で頷くセイ。もちろん、自分たちがそうさせたという自覚はない。しばらく黙ってから、
「もう一度入り直すか」
金髪の女騎士に誘われて、
「そうだな」
とモクジュの少女騎士も同意する。寒風にさらされて、頭も身体も冷えてしまっていた。温泉に再び入った2人の女騎士の頭上では丸い月が徐々に天の頂へとさしかかりつつあった。
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