第78話 女騎士さん、温泉に入る(その2)

「おおーっ」

木立を抜けて開けた場所に出たセイジア・タリウスが声を上げる。彼女の目の前で温泉が濛々と湯気を立てていた。

「岩風呂か」

後からやってきたナーガ・リュウケイビッチの声にも感嘆の響きがある。さほど大きくはないが、温泉の周りには石が敷き詰められていて、人の手が入っているのは明らかだ。

「昔、村の人たちが作ったんだそうだ。健康にいいらしく、お年寄りが好んで入っていたのだが、最近はなかなか来れなかったようでな」

その原因が自分たち外来者にあると感じたナーガの気持ちが重くなるが、それでも温泉までやってきた喜びの方が大きかった。何を隠そう、実は彼女は湯浴みが大好きで、そのためにセイの誘いに乗ってしまったのだ。長い逃避行の間は当然風呂を使うことなどできず、山を越えてこの村にやってきてからも、貴重な水を自分のためだけに使うのは躊躇われて、たまにお湯を沸かして身体を拭くことくらいしかできないでいた。そんな状況で差し出された敵の女騎士の誘惑はあまりに甘美で、堅固な信念を持つ少女騎士といえども耐えられるものではなかった。

(われながらなんと意志薄弱な)

真面目一辺倒のナーガは自らを責めたが、

「あまり固く考えるなよ。きみだってアンナに言ってただろう? もっと自分勝手になれ、って。それと同じことさ」

セイにへらへら笑われて、「ちっとも同じじゃない」と「蛇姫バジリスク」はかえって気分を害したのだが、それでも心の片隅に揺れがかすかに生じたのは否めなかった。今のナーガには、モクジュから共に逃げてきた仲間を守る務めがあったが、それは半ば強いられたことでもあり、彼女自身が心からやりたくてやっているわけではない。戦争が終わって自らの新たな使命を見出せずに、「やるべきこと」と「したいこと」を一致させられずに苦しんでいた点で、セイとナーガは似た者同士だと言えた(ナーガがそれを知ったら死ぬほど嫌がりそうだが)。

「じゃあ、早速入るか」

金髪の女騎士はそう言って、服を脱いでいく。「すっぽんぽん」と言いたくなるほどの、実に景気のいい脱ぎっぷりで、あっという間に一糸まとわぬ姿になる。

(恥じらいのないやつめ)

浅黒い肌の少女騎士は舌打ちしながらいそいそと厚手のズボンから長い脚を抜いた。山奥で人目はないといっても、常に乙女らしい振舞いを忘れてはいけないはずだった。かすかな衣擦れの音を立てているうちに、ナーガもまた裸身を外気にさらしていた。身長はさほど高くないが、細身であっても筋肉で鎧われていて、野生の獣を思わせる美しい体つきをしている。

「ふむ」

いつの間にかすぐ背後にセイが近づいていたのに驚いたが、

「いい身体をしてるな」

だしぬけに尻をぎゅっとつかまれた衝撃の方がずっと大きかった。あまりに驚くと叫ぶことすらできなくなる、とナーガはこのとき学んだわけだが、

「何をするか、貴様!」

そこはさすがに名うての騎士だけあって、即座に身を翻して不埒な輩に思い切りビンタを食らわせていた。

「いや、悪い悪い。鍛え抜かれていて素晴らしいなあ、と思っていたら、つい手が出てしまった」

セイジア・タリウスに反省の色はまるでなく、左頬に真っ赤な手形をつけながら、「許せ」とにやついている。許せるものか、と逆上したナーガが涙目になって「馬鹿」「変態」などと罵倒したのは、いかにも年頃の娘らしい反応だったかもしれない。

「でも、正直に言うと、きみのことが羨ましいんだ。わたしもきみくらい引き締まった身体の方がよかった。どうも肉が付きすぎている気がするんだ」

アステラの女騎士が嘆くのを耳にして、

(イヤミか、こいつ)

ナーガは心底イラっとしてしまう。同性の目で見ても、セイの肉体は見事なものだった。胸も尻も張り出していて、腰はしっかりくびれ、肌は自ずと乳色の光を放っている。男なら誰もが欲望をかきたてられたはずで、女でも平静な気分でいることは難しい、それほどのプロポーションだった。とはいえ、セイを素直に称賛する気になれないのは、彼女への敵意ばかりでなく嫉妬もあるためだ、と感じた少女騎士は、ふん、と鼻を鳴らして、

「さっさと入るぞ」

と温泉へと向かった。湯はかすかに濁っていて、何らかの成分が混じっていると見受けられた。健康にいいというのも嘘ではないのだろう、と思いながらナーガは静かに熱い湯に身を沈め、

「とうっ」

セイは飛沫を上げながら温泉に飛び込んだ。同じ女騎士でありながら、何から何まで対照的な2人だと見えたが、それでも、

「ふう」

温泉に肩までつかり、目を閉じて堪能している様子に違いはなかった。血の巡りが良くなり、上気した2人の肌は湯煙の中でなまめかしく輝いている。頭のてっぺんからつま先まで、全身余すところなく熱が加えられた心地よさにナーガは陶然としていたが、

「ああ、極楽極楽」

頭に白いタオルを乗せたセイが顔の下半分を湯に沈めてぶくぶく泡を立てているのに呆れてしまう。子供なのか親父なのか、いずれにせよ淑女らしくないことに間違いない、と閉口していると、

「ひとつ聞きたいことがあるんだが」

いきなり質問された。普段のナーガなら無視するところだが、

「なんだ?」

今日は違っていた。熱気でのぼせていたせいなのかもしれない。

「前から気になっていたんだが、きみと坊やは本当の姉弟なのか?」

しばらく黙ってから、

「どうしてそう思う?」

と訊き返すと、

「いや、きみは『邪龍』殿を『おじいさま』と呼ぶが、あの子は『父上』と呼んでるじゃないか。それがどうも気になってな」

つまらないことを気にする、と思いながらも、金髪の騎士の観察眼にも感心してしまう。だから、思いがけず素直に答える気になった。

「わたしはおじいさまの孫で、ジャロはおじいさまの息子だ。それだけの話だ」

え? それって一体? とセイが目を白黒させているのにナーガは噴き出してしまう。

「おじいさまはな方で、年を重ねてからも多くの女性を愛されたのだ。特にジャロの母のことはお気に入りだったようだが、あの子を産んだ際に亡くなってしまってな。それを哀れんで、まだ赤ん坊だったあの子を、わがリュウケイビッチ家に引き取ったのだ」

「坊やはきみを『姉上』と呼んでいるが」

「いや、それは、だって、わたしがあの子を『おじ上』と呼んだら妙な目で見られるだろう。なんでも正確にやればいいという話でもない」

それは確かにそうだ、とセイは声を上げて笑う。ナーガはまだほんの子供だったが、赤ん坊のジャロが屋敷に引き取られてきた日のことはよく覚えていた。

「わたしがこの子を育てる」

まだ6歳の少女がそう決意したのだから、その健気さをいくら称賛してもし足りないというものだろう。ナーガの父も母も祖母もとうにこの世にはなく、ドラクル・リュウケイビッチは戦場に赴き家を留守にしがちだった。赤ちゃんを守れるのはわたしだけだ、と幼いナーガは思い込み、今でもそう信じていた。いずれジャロがリュウケイビッチ家の家督を継ぐ日まで大事に育て上げるつもりだった。

「えっ? きみが後を継がないのか?」

セイは驚くが、

「わたしは女だからな。アステラではどうか知らんが、モクジュでは女は家のあるじになれない決まりになっている。まあ、わたしはもともと何処かに嫁ぐつもりだったから、別に気にはしてないが」

そう言ってから、ナーガの胸にある思いが兆し、それを口に出すつもりになっていた。他愛ない話題から始まった語らいだったが、意図しないうちに2人の女騎士はそれぞれの心の裡を打ち明けようとしていた。

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