第77話 女騎士さん、温泉に入る(その1)

「もうすぐ着くからな」

山道を行くセイジア・タリウスが後からついてくるナーガ・リュウケイビッチに声をかける。既に陽は沈んでいて、昼間でも暗い鬱蒼と生い茂った森の中で金髪の女騎士の顔を見ることはできなかったが、声を聞くだけでもにこにこ笑っているのがわかって、ナーガは腹立たしくなる。なんでいつもそんなに無意味に明るいんだ。たまにはどん底まで落ちこめ、などと八つ当たりしたくなるが、祖父の仇と2人きりで歩いている自分自身にも腹が立っていた。とはいえ、彼女が今こうやってセイと連れ立っているのにはそれなりの理由があった。

つい今しがた、ナーガはセイとの2度目の決闘に敗れ去ったばかりだ。最初の対決の敗戦を踏まえて、今回モクジュの少女騎士は鞭以外にもうひとつの武器を用意していた。

「そう来たか」

右手に鞭、左手に短刀を構えたナーガを見て、セイは、にやり、と笑ってみせる。「蛇姫バジリスク」の意図はあまりにも明瞭だ。前回、アステラの騎士に強引に間合いを狭められたことが敗北につながったのを反省して、接近戦のための対策をとったのだ。思わず笑ってしまうほどにシンプルな作戦だったが、単純ゆえに強力な手段であるのも事実で、遠距離から鞭を振ってきたかと思えば、自ら懐に飛び込んできてナイフで切り刻もうとしてくる変幻自在の攻めに、さすがの「金色の戦乙女」もなかなか手こずらされたのだが、結果的には前戦に引き続いて勝利を収めていた。

(あれは不覚だった)

いまだ記憶に新しい、敗北の瞬間を思い出してナーガは歯噛みする。いや、正確に言えば、彼女はその瞬間のことを覚えてはおらず、それこそがまさに不覚であると言えた。直接の敗因は、攻め気に逸って前のめりになったことだ。そのために態勢が崩れてしまったのだ。崩れたといっても、ほんのわずかなものでしかなかったが、一流同士の対決ではそんな些細なところで勝敗が決するもので、セイジア・タリウスがそれを見逃がすはずもなかった。「蛇姫」の一瞬の隙を衝いたセイはすぐさま背後を取ると、立ったまま裸絞めを決めて、即座に少女騎士を失神させたのだ。信じがたいことに、チョークスリーパーを決められてから5秒と経たないうちにナーガは気を失っていた。苦しい、と思う時間すら与えてはもらえなかったのだ。

「コツがあるんだ。力任せに絞めればいいってものじゃない」

目を覚ました「蛇姫」に金髪ポニーテールの女戦士はご丁寧なことに、正しい絞め技の講釈までしてくれた。再戦を申し込んだにもかかわらずあっさり負けてしまった屈辱に震えていたナーガには、セイの心配りがかえって気に障って、

「自分を殺そうとしている人間に技を教えるとはな」

などと憎まれ口を叩いてしまった。だが、長身の美しい騎士は気にする様子もなく、

「まだ教えたい技があるから、近いうちにもう一度決闘しよう」

と笑って済ませてしまった。

(こいつ、自分の立場がわかってないだろ)

その言葉にもナーガは腹を立てていた。もう一度だと? わざわざ自分から殺される機会を与えるとはどういうつもりなのか。絶対に負けない自信でもあるのか。傲慢にも程がある。見くびるんじゃない。そう思ったものの、今の自分にセイジア・タリウスを打ち負かす力がないことを少女騎士は認めざるを得なかった。考えてみれば当然の話だ。彼女がまるで歯が立たなかった祖父と、この女騎士は互角に渡り合ったのだ。差はあまりにも歴然としている。

(もっと強くならねば)

そのために、ナーガは再び戦うことを心に決めていた。もう一度戦って勝てる保証などないが、そこで新しい何かを見つけられるかもしれない。あのお人よしの愚かな騎士が技を教えるというのなら、教わっておけばいい。強くなるためならなんだってやってやる。勝利のために誇りを捨てる覚悟ができたためなのか、モクジュの女騎士の瞳に宿る金色の光がひときわ強くなる。

(そうだ。こいつは根っからのお人よしなんだ)

嫌々ながらではあったが、セイジア・タリウスと付き合っているうちに、彼女が善良で素直な性格の人間であるとわかっていた。しかし、その気づきはかえってナーガを苦しめた。最愛の祖父を陥れて殺した人間は悪辣にして非道の、いくら憎んでも飽き足りない輩であるべきなのだ。肉親の仇に好感を抱いてはいけないし、ましてや友達になっていいはずもなかった。かつて「龍騎衆」の一員として強さを誇ったことはあったが、それでもまだ10代の少女であるナーガに、信念と感情の折り合いをつけることは難しく、日に日に悩みは深まっていく一方だった。

「あとちょっとだと思うから、もうしばらく辛抱してくれ」

前を行くセイに声をかけられて、かなり長いこと上り道を歩いていることに気づく。ナーガがモクジュからやってきた仲間たちと普段生活している場所よりもだいぶ山奥にまで足を踏み入れていた。ここまで深い場所にまで来たことはなかった。

(どこまで連れていく気だ)

と思いながらも今更引き返す気にもなれなかった。そもそも敵の誘いに乗ったこと自体、正しい判断とは言えない気もしたが、戦いに敗れた身として勝者の言うことを断りづらかったのと、失神から覚めたばかりで頭がしっかり働いていなかったこともあって、セイの言うことを大人しく聞いてしまっていた。そして何より、金髪の騎士の言葉にはナーガにとってどうにも逆らい難い魅力的なものがあったのだ。そこまで考えたとき、

「さあ、着いたぞ」

足を止めて振り返ったセイジア・タリウスは、暗闇をものともしない輝く笑顔を浮かべていた。

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