第79話 女騎士さん、温泉に入る(その3)

「おまえがどうして騎士団を辞めさせられたか、わかるか?」

ナーガ・リュウケイビッチにいきなり訊かれて、セイジア・タリウスは戸惑った。

「いや、だから、辞めさせられたんじゃなくて、陛下から暇を頂戴したのだ。これまでの労をねぎらわれた上でな」

「まさにそこだ」

「は?」

モクジュの少女騎士の言葉にセイは驚く。てっきり嫌味を言われているものだと思っていたら、どうもそうでもないらしい。

「どう考えたって不自然だろう。わたしにとっておまえは不倶戴天の敵だが、逆に言えばアステラにとってみれば戦争を終結に導いた英雄だ。そんな人間にあっさり暇を与えるなんておかしい」

実はもう一人、セイが辞めた経緯を不審に思っている人物がいるのだが、それが祖父のライヴァルだったティグレ・レオンハルトだとは、聡明なナーガもさすがにわかるはずはなかった。

「もう一つ言えば、おまえが辞めさせられたのを皆が不自然に思わないのもまた不自然だ。ただ、どうして不自然だと思わないのかは、なんとなくわかる」

「どういうことだ?」

セイの問いかけには隠しようのない真剣味があったので、ナーガも真剣に答えることにする。

「おまえが女だからだ」

答えを聞いた金髪の騎士は俯き、ナーガは天を見上げた。丸い月が浮かんでいるのが、木立の間にぽっかりと空いた隙間からはっきりと見えた。風流と言うべき眺めだが、月明かりの下で煩わしい悩み事に向かい合う羽目になっているのに、「蛇姫バジリスク」は苦い笑みを浮かべてから、黙りこくったままのセイに話しかける。

「自分でも嫌なことを言った、というのはわかってる。わたしもさんざん言われたものだ。女だからああしろこうしろ、女だからああするなこうするな。どういうわけなんだろうな。能無しに限ってそういうことを言いたがる」

違いない、とセイは噴き出してしまう。

「おまえはどうか知らないが、わたしは『自分が女だから』という言い訳をして逃げるのは大嫌いなんだ。女だからしょうがない、などと諦めてしまうのは真っ平御免だ、と思って生きてきたつもりだ」

「いや、それはわたしだってそうだ」

きみと同じだ、とセイの青い瞳が共感をこめてナーガを見つめ、その暖かな煌めきに少女騎士はどぎまぎしてしまってから、

「だが、自分はそのつもりでも、世間はそうじゃない、というのが最近になってよくわかった。骨の髄までわからされた気がする。わたしが男だったら話は違っていただろうに、と何度思ったことか」

その言葉にナーガが舐めてきた辛苦を感じて、セイの表情は暗くなる。ドラクル・リュウケイビッチの死後、孫娘である少女が数多くの困難に遭遇して来たであろうことは想像するまでもなかった。国境の高い山々を命懸けで越えなければならないほどに、彼女は追い詰められていたのだ。

「普通なら、手柄を立てた人間を辞めさせる、となればひと悶着あるものだ。だが、それがなかったのは、おまえが女だから、皆もなんとなく誤魔化されてしまったのだ、とわたしは感じた。『女は騎士に向いていない』みたいなつまらない思い込みもあったんだろうな、きっと」

そこでナーガはセイの顔を見て、

「ひとつ聞きたいんだが、おまえはクビになった後で婚約したそうだが、それは前々からあった話なのか?」

セイジア・タリウスの婚約の一報はモクジュでも大きく扱われたが、詳しい裏事情までは報じられてはおらず、加えて当時のナーガは戦争の後始末に追われていて、国外のニュースを気にするどころではなかった。

「いや。兄上から呼び出されて、いきなりそう言われたんだ。わたしも驚いたが、騎士を辞めたことだし、実家にも迷惑をかけてきたから逆らうわけにもいかない、と考えたんだ。まあ、正直結婚に憧れもあったから、ちょうどいい頃合いなのかも、と思ったものさ」

ふうん、とナーガは適当な相槌をうったが、眉間には深い皺が刻まれていた。

(手回しが良すぎる)

と感じたのだ。一国の騎士団のトップが突然馘首されて、その直後に婚姻の話が持ち込まれた、というのに、何らかの作為を感じずにはいられなかった。まるで、何者かが「金色の戦乙女」をさっさと片付けてしまおうとしているようではないか。明らかに陰謀の匂いが漂っているのに、当のセイがそれに気づいていないのが不可解ではあったが、勘の鋭い知略に優れた人間でも、自分自身のこととなると案外気が回らないのかもしれない。

「ただ、婚約は失敗してしまったんだがな。わたしの不徳の致すところだ」

肩を落とす金髪の騎士に、

「まあ、おまえはひとつの家庭に収まるにはでかすぎる女なんだろう。一人の男が相手にするにはでかすぎる、とも言えそうだが」

「でかい、でかい、って何度も言うなよ」

背が高いのを気にしているのを見抜かれてセイは不平を漏らし、「いい気味だ」とばかりにナーガは笑う。数時間前まで死闘を繰り広げていた2人が、今は温泉につかって親しげに語り合っていた。

「わたしの聞いた話では、おまえが婚約者の不貞に激怒して再起不能なまでに叩きのめしたそうだが」

「そうじゃない。モクジュでは悪質なデマが流れているようだな。実にけしからん」

それからアステラの女騎士は婚約が破綻したいきさつを詳しく語ってみせたのだが、

「蛇姫」は腹を抱えて笑い、

「すごいな。おまえは騎士だけでなくコメディアンの才能もあるのか」

と褒め言葉とも皮肉ともつかないことを言われて、セイは苦り切ったのだが、

(でも、ナーガがこんなに笑ってくれたんだから別にいいか)

これはこれで、と思ったあたり、確かに笑いの才能もあるのかもしれない。

「もっと話を聞かせてくれ。他にもいい持ちネタはあるんだろ?」

「わたしの人生をネタ扱いするんじゃない」

一応は怒ってみせたが、それでも話をしたのだから、セイジア・タリウスはかなりのお人よしだった。修道院に入った話、食堂で働いた話、劇場で働いた話を一通り聞いて、ナーガは時に笑い、時に神妙な表情になり、時に大きく頷いた。

(こいつの人生に深く立ち入ってしまった気がする)

いずれ仇を討たなければならない相手のことを知りすぎた気もしていた。ただ、それを悪いとばかり思っていないのもまた事実だった。

「さて、わたしとしては話せることはだいたい話してしまったから」

セイはナーガの整った顔立ちをしっかりと見つめ、

「きみの話も聞きたいところだ」

やはりそう来るか、と少女騎士は溜息をついたが、相手に話をさせて自分がそうしないわけにもいかない、と思ったあたり、いかにも生真面目な性格の持ち主らしい思考だと言えた。

「おまえとは違って、わたしの話はちっとも笑えないが、それでもいいか?」

「いや、わたしも別に笑い話のつもりではなかったのだが」

心外だ、と思いながらも、セイはナーガの話に耳を傾けることにした。

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