第53話 大戦終結秘話・邪龍の血(その1)

宮殿を歩く老人の足取りは確かなものだった。だが、見る人が見ればその歩調にかすかに違和感を覚えたことだろう。それもそのはずで、彼の左脚は義足だった。数十年前に戦場で斬られ、膝から下を失ったのだ。とはいえ、老人がそのことを悔やんだことは一度としてなかった。脚と引き換えに相手の右眼を奪ってやったからだ。

「お釣りが来るわ」

不自由な体を心配されるたびに彼はそうやって笑い飛ばしたのだが、そんな彼によって隻眼となった宿敵も同じように思って満足している、と知っても、その皺だらけの顔に浮かべた笑みを消さずにいられただろうか。長い廊下の端から端まで歩いて、ようやく目的の場所へとたどりついた。

「ドラクル・リュウケイビッチ、只今参上仕りました」

モクジュ諸侯国連邦の精鋭部隊「龍騎衆」筆頭の地位にある男が頭を下げて入ったのは円形の広い部屋だった。最高級の絨毯が敷き詰められ、その外周に一定の間隔を持って8人の男たちが座っていて、入室してきたドラクルに対して誰一人として不快感を隠そうともしていない。そして、老騎士の正面だけは一段高くなっていて、そこでは小太りの男が胡座をかいていた。この男が大侯、この国のトップにある人間だった。

「大侯殿下にあらせられましてはご機嫌うるわしく」

いつものように挨拶しようとした老騎士に向かって、

「よくもまあおめおめと顔を見せられたものよ」

と、誰かが罵声を飛ばしたので、最後まで言い切ることができなかった。

(そちらから呼ばれたから来たのだ)

「モクジュの邪龍」と呼ばれ各国から恐れられた男は心の中で溜息をついたが、宮廷に通うようになって、この程度の理不尽にはすっかり慣れっこになってしまっている。だから、その後から批判の声が驟雨のように降り注いでも、表情をまるで変えなかった。

アステラ王国天馬騎士団団長セイジア・タリウスとの間に和睦を結んだ老騎士は、北の国境付近から首都ボイジアの自邸へと戻り、宮殿へと使いを送って沙汰が出るのを待っていた。金髪の少女騎士が大急ぎで自国に戻り決着をつけようとしたのとは対照的だったが、彼にはこの事態の結末が既に見えていた。遅かろうと早かろうと、終わりの形は変わらない。だから、屋敷に久々に戻り、ささやかな食事を楽しみ、信頼を寄せる執事にはを頼んでいた。大侯から使者がやってきて参内を命じられた頃には、やるべきことは皆終わっていて、少なくとも屋敷に関しては思い残すことはもうなかった。

(パドルは出来る男だ。メイドや使用人を路頭に迷わせることもなかろう)

戦場での暮らしが長く、滞在することもあまりなかった邸宅と主のいない屋敷を守ってくれていた人々のことを思い浮かべていると、

「ええい。何をしたり顔をしておる。このような勝手な真似をしくさりおって、何か申し開きをすべきではないのか」

男のうちの一人がたまりかねて叫んだのが聞こえて、「そういえばお叱りを受けていたのだった」とドラクルはようやく思い出した。老将軍を責め立てている8人の男はモクジュの各地を統治している諸侯たちだ。「モクジュ諸侯国連邦」の名の通り、この国は8人の諸侯が治める土地から成っている。老人、若者、巨漢、小男、いかつい顔、そこそこ整った顔、という具合にそれなりに個性を有した面々ではあったが、傲岸不遜、という一点のみにおいては共通していて、敵軍と独断で停戦に及んだ騎士をただひたすらに攻撃し続けていた。この王族たちはもともと、歴戦の英雄であるドラクルを低く見ていて、華々しい殊勲を上げたとしても「出来て当たり前」と褒めることもなく、わずかなミスを見つけては執拗にあげつらう、そんな鼻持ちならない連中だったが、黒光りする重い鎧に身を固めた騎士は彼らに対して苛立ったことも反抗したこともなく、それは今回も同様だった。「ふむ」と長く垂れさがった白い髭を揺らしてから、

「まあ、申し開きをせよ、とのお言葉ではありますが」

ぼそぼそ、と呟いただけで、部屋の空気が何処かぴりっとしたものとなる。身分の上下を人間としての格の違いによって、この老人はあっさりと乗り越えていた。

「特に語るべきこともありませぬ。皆々様がこれまで仰られた通り、このリュウケイビッチは、卑怯未練な臆病者にして、病み上がりの老いぼれにして、増上慢の無頼漢でありますからな。そのような者に何かを言う資格があるはずもない、というものです。ああ、誰かが仰られた、『麒麟も老いては駑馬に劣る』というのはいささか過褒でしょうな。このわしは、若い頃からろくでなしでありましたがゆえ」

はっはっはっ、と豪快に笑い飛ばされて、居並ぶ諸侯たちは顔色を失った。何百何千もの悪口がまるで効果がなく、ただ口と舌を無駄働きさせただけだというのがよくわかったからだ。ドラクル・リュウケイビッチは、伝説上の怪物であるドラゴンになぞらえられるほどの稀代の英雄である。そんな彼が、一人前ですらない、微生物や細菌ほどの器量しか持ち合わせていない者たちに何を言われようと腹を立てるはずがない、というものだった。だから、将軍は薫風に頬をなぶられたかのごときさわやかな表情を崩さなかったのだが、

「そのようなことを申すな、『邪龍』よ。おぬしはこれまでよくやってくれたではないか」

皆もあまり責めるでない、とおろおろした声で諫めたのは老騎士の正面に座った大侯だった。


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