第52話 大戦終結秘話・アステラ王宮深夜の対決(その10)
もうたくさんだ、と国王スコットは心から思っていた。セイジア・タリウスもジムニー・ファンタンゴも彼が深く信頼する家臣だ。その2人のいがみあいをこれ以上見たくはなかった。このような場合、家来を叱り飛ばすのが王たる者の務めかも知れなかったが、玉座にある高貴な青年はそうは思わず、ただひたすらに我が身を責めた。このような諍いを招いたのは、ひとえに自分の不徳の致すところなのだ、とだけ考えて、少女騎士も宰相も責めようとは思わなかった。
なんとかしなければならなかった。深夜の、もう夜明け間近の王宮で生じた混乱を収めなければならなかったが、美しい娘が敵と結んだ誓約の取り扱いについてもこの場で何らかの判断をしなければならなかった。いつもの彼ならば、重臣たちに議論をまかせ、その結果に頷いてみせればよかったが、今回ばかりはそうはいかない。自分自身で判断しなければならなかった。戦争をやめるか続けるか、王家の血筋を受け継いできた温厚な若者のやや細い双肩にあまりに重い決断がのしかかっているのを感じた人々は口を堅く閉ざしたまま、主君の言葉を待ち続けた。
「じいよ」
わずかな時間の後、王はおもむろに口を開いた。
「なんでございましょう」
侍従長は若き王の顔をしっかりと見つめる。この夜のうちに、自分が仕える若者の中で何かが変化しつつあるのを、年老いた忠臣は感じ取っていた。
「至急参内するように、外務大臣に連絡をしてくれ。モクジュの反応を知りたい」
「それでは」
老人のしわがれた声を聞いて、「うむ」と頷いた王は、
「余は交渉に臨む用意があるが、それは相手があってのことだ。モクジュにもその意思がなければ和平は成り立たん。だから、向こうにそのつもりがあるか、知ったうえで動こうと思う。意思があれば話し合い、なければそれまでのことだ」
謁見の間に集まった官僚たちは「上手い」と王の判断にひそかに感嘆していた。王は決断したようで実は決断していないのだ。戦争の停止も継続も決めず、モクジュ側にボールを預けたに過ぎないが、しかしそれこそがこの状況で望み得る最高の行動でもあった。戦争の方向性を決めてそれによって損害が生じれば、王が責任を負うことになるし、どちらを選んだにしてもセイかファンタンゴに傷をつけることになるので、どちらの主張も採るべきではないのだ。真直ぐな性格の主君がそのような老獪な手段をとったことに、臣下は一様に驚き、尊敬の念を新たにしていた。
「タリウスよ」
国王スコットにいきなり声をかけられたセイは「はっ」と片膝をついて礼の姿勢を取る。
「そなたの尽力をまことに勿体なく思うが、悪いがもうひと頑張りしてもらわなくてはならん。モクジュの動きが判明するまで、『空白地帯』において不測の事態に備えておくのだ。くれぐれも軽々に動かぬように」
「はっ。かしこまりました。陛下の仰せのままにいたします」
「そして」
王の言葉に一層重みが加えられたのを少女騎士は感じた。
「和平が成らなかった際には、あらためてモクジュに攻め入る必要が出て来るやもしれん。そなたがモクジュ進攻に反対なのは理解しておるが、それでも大陸の安定と平和のために必要とあらば、余は躊躇なく決断するつもりだ。そなたには進攻の先頭に立ってもらうつもりだが、その際の戦略及び戦術はそなたに全て任せる。そなたならば、最短の期間と最小の犠牲で勝利を収められるものと信じておるぞ」
侍者も官僚も我が耳を疑わざるを得なかった。いかに優秀とはいえ、18歳の娘に王国の全軍の指揮を委ねるとは信じがたいことだった。だが、
(これ以上命令に逆らうのは許さない、と釘を刺されたわけだ)
思わず苦笑いを浮かべそうになって、セイは必要以上にしかつめらしい顔をしてみせた。ファンタンゴたちが考えた作戦に不満があるならば、自分で考えてみるがいい、と主君に切り返されたわけだ。全権を委ねられたのを喜ぶべきか、侵略の責任を負わねばならなくなったのを嘆くべきか、と思いながらも、
(おそらく陛下も本気ではあるまい。宰相閣下の顔を立てたのだろう)
となんとなく感じていた。ここで侵略を正式に中止してしまえば、立案したファンタンゴの面子を本格的に潰すことになってしまう。臣下思いの国王はそれを案じたのだ、と勘の鋭い金髪の女騎士は察していた。それに加えて、若い君主が平和主義者だというのをよく知ってもいて、他国と無闇に争うのを望むはずもない、と信じていた。だから、あまり深刻になることなく、
「畏れながら、全軍を率いよ、との仰せですが、それは聞けませぬ」
からりとした口調で言い放ったので、「これ以上面倒を起こさないでくれ」と男たちのうんざりした思いを込めた視線が、この広い部屋でただひとりの女性であるセイに集中したが、
「わたしが指揮を執ることになったら、レオンハルトの奴がへそを曲げることは間違いないので、そればかりは聞けませぬ」
にやり、と笑った少女に、王も思わず声を上げて笑ってしまう。
「なるほど。これは余の浅慮であった。『アステラの若獅子』のことも忘れてはいかんな。よろしい、レオンハルトともよく相談して決めるがいい。そなたたち2人がいれば何も心配はない、と信じておるぞ」
「はっ。ありがたき幸せに存じます」
セイが断ったのは冗談だったのだ、と知った男たちは、この緊迫した状況で王にジョークを飛ばす度胸に感心しつつも、身体にのしかかる疲労をますます重く感じていた。
「ファンタンゴよ」
手当てを終えた宰相は、王から声をかけられてふらふらと立ち上がる。左手の親指には真っ白な包帯が巻きつけられている。
「そなたにはマズカとマキスィと今一度話し合いを持ってほしい。わが軍と龍騎衆との間に和睦が成ったのを説明したうえで、同盟国としての意思を統一しておく必要がある、と余は考えておる」
ジムニー・ファンタンゴがマズカ帝国との間に独自のルートを持っていることから、帝国との交渉に関して王は宰相に一任していた。彼は若い頃にマズカに留学していて、その際に帝国の俊才たちと縁を築いたのではないか、という噂もあった。
「アステラだけが戦争から抜けるわけにもいくまいが、そのあたりは、余が自らマズカの
「いえ、陛下にこれ以上のご苦労をおかけするわけにはまいりません」
血を失ったせいなのか、いつもより白くなった顔で宰相は主君に頭を下げた。
「そうか。では、頼むぞ。怪我が治るまでくれぐれも無理はせぬようにな」
国王スコットの温情に感謝しながらも、
(これ以上の失態は避けねばならん)
長身の男は恥辱に歯を軋らせる。傷口から染み出した血で、包帯に赤い染みができていた。深い傷はずきずき痛み、早く縫い合わせなければならないだろう。だが、それよりも何よりも、セイジア・タリウスにやりこめられた憤りが彼の身も心も苛んでいた。一国の宰相として思い通りにならぬことなどなかったはずなのに、よりによって愚かで野蛮な娘に苦杯を嘗める結果となったのだ。屈辱以外の何物でもなかった。
「では、わたしは戦地へ戻ることにいたします」
ぺこり、と頭を下げてセイは謁見の間を出て行こうとするが、
「待て、タリウスよ」
国王に声をかけられて、少女は立ち止まる。
「なんでございましょう?」
「そう急ぐな。聞けば、おまえは一休みもせずに都へ戻ってきたというではないか。せめて食事を済ませて、夜が明けてから出発するといい」
「ですが」
「これは命令である」
断固とした口調の裏にユーモアを感じた少女は、
「そういうことなら致し方ありませんな」
やれやれ、と言いたげに溜息をついたので、王は笑ってしまい、それにつられて侍者も官僚たちも笑い、金髪の娘の非礼さに呆れた侍従長もつい噴き出してしまう。笑いさざめく部屋の中でただひとり、ジムニー・ファンタンゴだけが笑っていないのに、誰も気づくことはなかった。
かくして、セイジア・タリウスの動きが功を奏し、アステラ王国はモクジュ諸侯国連邦との和平に向けて動き出そうとしていた。彼女の活躍が戦争の終結につながっていったのは、今となっては明らかなことだが、それと同時に、深夜の王宮での行動が、セイのその後の運命を変えていったのも間違いのないことだった。この物語が最終盤にさしかかったときに、女騎士はようやくその事実に気づくことになるのだが、仮にその件について尋ねられたとしても、
「あの夜、わたしのやったことがすべて正しかったとは思わない。だが、それを後悔するつもりはないし、もしもう一度あの場に戻れたとしても、同じことをするはずだ」
と彼女はわずかな屈託を含んだ笑みを漏らすだけだったろう。
ともあれ、ひとつの国と一人の少女の行く末を大きく変えることとなる長い夜は終わりを告げたわけだが、それから数時間後、アステラの隣国において、大陸全土を騒然とさせる大事件が起ころうとしていた。
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