第54話 大戦終結秘話・邪龍の血(その2)

モクジュ諸侯国連邦が「王国」でも「帝国」でもない理由を知るためには500年近く歴史をさかのぼらなければならない。かつて、この地には一大帝国が存在していたのだが、その当時の君主は子供の頃から英明として知られ、「大帝」と呼ばれるほどの業績を残していた。しかし、ある時から家臣の意見に耳を貸さなくなった彼は独裁を推し進め、有能な部下を次々と一族ごと粛清したのを皮切りに、一般の市民までも軽微な罪で処刑するという、国中に恐怖政治を敷くようになった。大陸のほぼ東半分を支配下に置いた「大帝」は、やがて東の海を渡ってメイプル皇国までも侵略しようとしたのだが、その遠征の過程で多大な犠牲を払ってもなお計画に固執し続けたため、耐えきれなくなった側近の反逆によって暗殺されてしまった。暴君が斃されても、彼の愚行によって大混乱に陥った国土が回復するまでに100年以上の月日を必要とし、その流れの中で帝国は解体されていった。

「『大帝』を甦らせてはいけない」

というのがモクジュの人々が最も強く思ったことだった。力を持った指導者は時として災害以上の恐るべき惨禍をこの地上に出現させる、というのは決して忘れるわけには行かない教訓だった。したがって、「皇帝」はおろか「国王」ですら忌むべき存在となり、モクジュの地は8つに分けられ、それぞれの地を諸侯が統治するかたちとなった。形式上は「大侯」がモクジュの最高権力者となっているが、その存在は8人の諸侯が合議した上でかつての王家の血を引く人間から推戴することになっていて、「大侯」は実質的には何ら政治的な力を持っていない、と言ってよかった。それが現在のモクジュ諸侯国連邦の政治形態であるが、強力な指導者を忌避したがゆえに、モクジュが長期にわたる停滞に陥っているのもまた事実であった。政治、外交、経済といった分野において立ちはだかる数々の難問を諸侯たちの話し合いで解決しようとしても、時間ばかりかかって有効な対策を打ち出すことはできず、大陸東方の大国は徐々に衰退へと向かいつつあったのだが、たとえそうだったとしても、独裁者が再び登場するよりは遥かにマシだ、というのはモクジュの王族及び貴族たちの共通した認識となっていて、その結果として、長きにわたる戦争で劣勢を強いられても、打開策を取って戦況を逆転することも敵国との講和に乗り出すこともできぬまま今日に至っていた。


「そちの奮闘ぶりを、朕は決して忘れてはおらぬぞ」

円形の広間でただ一人高い台座に上っている大侯を、ドラクル・リュウケイビッチはいくらか温かみのこもった眼で見つめた。将軍は主君に対して忠誠心を当然持ち合わせてはいたが、

(このお方は並か、それ以下の器量しかない)

と小太りの中年男の人間性を完全に見切っていた。高価な衣服に身を包んでいても、頭脳も度胸も一般人の平均程度もあるかどうか怪しく、田舎の小さな雑貨屋の店主をやれれば上出来、といったところだった。とはいえ、「モクジュの邪龍」は大侯を決して軽蔑したりしなかった。彼の主君は常に周囲に流されてばかりの、自己主張の全くできない気弱な性格で、そのような気の毒な人物を騎士たる者が小馬鹿にできるはずもない。この乱世において、自らの器をはるかに超えた重責を担わざるを得なくなった男への同情の念しか湧いてこなかった。あるいは、龍騎衆筆頭という立場を煩わしく思う自らの心情を大侯に重ね合わせているだけなのかもしれなかったのだが。

「とはいうものの、朕はそちに勝利を求めておったはずだ。にもかかわらず、敵と和睦するというのに納得しかねるのは確かだ」

大侯が丸い顔に汗をかきながら言い募ったのは、彼自身の意見、というわけでもなく、将軍に対して強い不満を抱いている諸侯たちの考えを代弁したに過ぎなかった。この地位についてそれなりの年数が経っているだけあって、場の空気を読む術には長けているのかもしれなかった。

「ならば、殿下はわしに勝利をお求めになられている、と考えてよろしいのでしょうか?」

ドラクルが問い返すと、

「いかにもその通りだ」

大侯は短い首を上下させる。

「しかし、将軍には無理なのではないかな?」

諸侯の一人があからさまな皮肉を口にすると、「これ」と大侯は一応たしなめてみせたが、効き目がどれほどあるかは疑わしい。

「無理ということはありませぬ。『勝て』とご命じになられるのであれば、勝ってみせてもよろしゅうございますが」

「モクジュの邪龍」が事も無げに言い放ったのに、広間の壁際に座った王族たちは度肝を抜かれる。その言葉には自信も確信もなく、ただ単にありのままの事実を告げただけ、といった程度の軽さしかない。「戸棚から調味料を取ってくればいいんだね?」と妻の頼みに応じる夫の気安さすらあった。軍の勝敗をやすやすと言ってのける老人の肝の太さに貴人の脆弱な精神は圧倒されるしかなかったが、

「ただし、無傷で勝つ、というわけには参らないでしょうな。勝利するにしても、多くの人間が傷つき、多くの街が崩れ、多くの田畑が焼かれるのは避けられますまい。そして」

老騎士の眼光がひときわ強く光り、

「戦況が行き詰まれば、諸侯の皆様方のご出馬を乞わなければならないかもしれませぬな。畏れながら、大候殿下御自らご出陣して頂かなくてはならぬかもしれませぬ」

その言葉で傲慢な諸侯たちは老将軍への敵愾心を完全にへし折られてしまった。遠くの戦場のことだと思って好き放題に言っていたのだが、我が身に火の粉が降りかかってこないとも限らない、というのを愚かしいことに彼らはドラクルの言葉を聞くまでまるで想像もしていなかったのだ。うむむ、と大侯は小さく唸り声を上げてから、

「それほどまでに戦況は悪いのか?」

と「龍騎衆」筆頭を問い質す。彼もまた怯えてはいたが、他の連中とは違ってそれを表に出さないように懸命に取り繕おうとしているのが感じられた。

(おや。思っていたよりも殿下は勇気がおありのようだ)

嬉しい驚きを感じながらも老人は表情を崩すことなく、

「左様にございます。敵のアステラの軍勢は悪辣非道にして、ひとたび国境を越え、神聖なる国土を侵そうものなら、どれほどの残虐行為に及ぶか予想もつきませぬ」

だいぶ話を盛ったが、諸侯たちはそれを疑うことなく信じ込み、顔色を失っていた。完全にペースを握ったのを感じた白い総髪の騎士は、

「とりわけ、天馬騎士団を率いるセイジア・タリウスなる小娘が厄介でしてな。一騎当千の強者にして、策略にも通じていて、そのような者と一戦交えるのは、小癪なことではありますが、わしにとってもそう楽な相手ではない、と認めるしかありませぬ」

「『金色の戦乙女』、だな」

大侯の眉間に深く皺が刻まれる。最強の女騎士の異名は敵国の最高指導者にまで知れ渡っていたのだ。

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