第45話 大戦終結秘話・アステラ王宮深夜の対決(その3)

セイジア・タリウスがモクジュ諸侯国連邦の精鋭部隊「龍騎衆」と独断で和睦を結んだことは、古来から賛否の分かれるところとなっている。やりかたはどうあれ長く続いた戦争が終わったからあれでよかったのだ、とする賛成派と、結果がよかったとしても軍が国家機構から外れて独自で動いたのは好ましくない、とする否定派の論争は今でも続いている。では、当時の見方はどうだったかというと、アステラ王立大学で教鞭をとっていたある学者の日記には、

「わが王国の始祖アルバレス・ルピオは騎士階級の出身であり、そのためアステラでは騎士の権力が強い傾向にあった。しかし、騎士の専横を許した結果、約100年前のウラテン遠征にて独立軍の暴走を招き甚大な損害を蒙ることとなったのは、あまりにも苦い教訓となっている。その反省から、政治主導のもとに騎士の独走を許さないシステムの構築に至ったわけだが、今回のタリウス団長の行動は、わが国の先達が築き上げてきた平和への営為を崩壊させかねない所業であるものと言わざるを得ず、小生としては大いなる危惧を抱くものである」

と書き残されていて、その他にも文化人や新聞紙上では同様の意見が少なくなかったという。その一方で、当時実際に軍議に参加していたある貴族は次のように証言している。

「もう50年以上前のことになりますから、わたしはまだまだ若輩者で、親父の付き人として、書記として参加を許されていたわけでして、発言などとてもできやしませんよ。したところで、誰も聞く耳なんか持ってくれやしなかっただろうし。あのファンタンゴ宰相なんか恐ろしくてねえ。たまたま視線が合っただけでもガタガタ震えちまって、今でも思い出すだけでちびりそうになっちまうんだからね。いやはや。

ああ、そうそう。セイジア・タリウス嬢のお話でしたか。あの人はとにかくおきれいでねえ。当時はまだ16、17だったかと思いますが、なんというかその、体のまわりにいつもきらきらと光の粒が舞っているようで、本当の別嬪さんはああいうものなんだな、って毎回見惚れちまって、あんまり見てばっかりいたからメモを書き損じたこともたびたびで、そのたびに親父には怒鳴られてましたがね。まあ、でも、あの『金色の戦乙女』を生で見られて声も聞けた、っていうのは今でもわたしの自慢ではありますね。こうやってあなたみたいな物好きが話を聞きに来てくれたりもするし。どうせだったら、勇気を出してお茶にでも誘っておけばよかったかもしれませんがね。いや、どうせふられるに決まってるから、やっぱり誘わなくてよかったか。ははははは。

はいはい。『大戦』の終わりについてどう思うか、ですか。わたしも居合わせたわけでもないので詳しくは知りませんが、タリウス嬢が夜中に王宮にやってきてひと悶着あった、っていうのは、わたしら貴族のドラ息子の間でも専らの噂で、彼女が相当悪口を言われていたのは確かです。『そんな乱暴にしなくても、もっと上手いやり方があったはずだ』って訳知り顔で言うやつは、わたしの友人にもいましたが、ただ、わたしはあの人を責める気には全然なれないんですよねえ。いや、だって、さっきも言ったように、わたしは作戦会議に立ち合ってましたけど、タリウス嬢は戦略やら兵士の状態についてやら毎回発言してましたが、誰も聞く耳を持ってませんでしたからね。宰相はもちろんのこと、政治家も官僚も『女だから』『若いから』って馬鹿にしているのがありありで、彼女が質問しても鼻でくくったような返事しかしないので、見ていて胸が悪くなったもんです。そこで応援しなかった自分の意気地のなさにもイライラしたもんですが。まあ、だから、あの人の気持ちはわかるような気がしますよ。多少強引なやり方をとらないと意思を通せなかっただろう、というのはあのときあの場に居合わせた人間でないとわからないんじゃないか、って気もしますね。あの人の頑張りでやっと平和がやってきたのに、その恩恵にタダ乗りして文句だけ言うのはどうかと思いますがね。

ああ、それにしても、セイジア・タリウス、彼女は本当にきれいだったなあ。今でも目を閉じるとあの素敵な顔が目に浮かぶようだ……」


話を戻す。

「タリウス、おまえは今何と言ったのか?」

深夜の謁見の間にいた人間には、ジムニー・ファンタンゴのこめかみの血管が膨れ上がっているのがはっきりと見えていた。彼の肌は青白いだけに余計に目立つのかもしれない。

「では申し上げます。宰相閣下、繰り返しになりますが、あなた方の考えた無謀な作戦でわたしは死にたくない、ということです」

まるで悪びれる様子もなく涼しい顔でセイジア・タリウスは言い放つ。そして、

「もとより、わたしは騎士であり、王に全てを捧げた人間です。それゆえ、必要とあらば命を捨てることに躊躇はありません。ですから、さっき、そちらの方に『命が惜しくなったのだろう』と言われましたが、それは全くの誤解です。ただ、大いに安心しました。他人に『命を惜しむな』と仰られるからには、自らの命も当然惜しむはずもありませんから。官僚の方々にそれだけの覚悟がおありとは、おみそれしました」

少女騎士の瞳の青く冷たい光に射貫かれて、彼女を責めた男の顔から血の気が消えうせ、新品のメモ帳のように真っ白になる。もちろん、セイの言葉とは裏腹にそのような覚悟などこの男にはなく、金髪の騎士に立ち向かえるだけの気迫もなく、ガタガタ震えるのが関の山だった。

「ただし」

女騎士の大きな声で天井のシャンデリアが音を立てて揺れる。

「わたしが命を捨てるのはそうしなければならない、必要なときだけです。不必要なときにまで喜んで死ぬわけには行きません。わたしは騎士であって自殺志願者ではないのですから。そして、わたしは天馬騎士団を率いる身でもあり、部下の命を守る立場にあります。だから、作戦が誤っており、部下をいたずらに危険に晒すもの、と判断した場合、それを正す務めもあるわけです」

だから今、わたしはここにいるのです、と少女は淀みなく説明してみせた。

「われわれに無断で敵と和睦したのもそれが理由というわけか?」

ファンタンゴが冷たい表情を崩すことなく問い訊ねると、

「はい。その通りです」

少女は笑顔できっぱりと言い切った。ふう、と宰相は港町に漂う煙霧のごとき溜息をかすかについてから、

「タリウス、おまえを見誤っていたようだな」

「はい?」

出来の悪い生徒に言い聞かせるかのようにファンタンゴは語り出す。

「まだ若いが、おまえを一人前の専門家だと思っていたのだがな。われわれの立案した計画を『無謀』だと言い切るとは、失望したぞ。わたしをはじめとした部下たちが昼夜を問わず考え抜き立案した計画なのだぞ。完璧な作戦だ。それがわからんとは、おまえはそれでも騎士なのか? 大いに失望したぞ」

宰相の後ろに固まっている官僚たちの顔が自慢げに輝いた。王国中から集められた秀才の集団が構築したプランなのだ。戦うことしか能のない野蛮な小娘にはそれがわかるまい、と尊大さが光へと変化し、広間を隈なく照らし出しているように感じられるほどだ。

「タリウスよ、余も同感だ」

玉座から国王スコットが声をかけてきた。

「余も見たが、宰相の言う通り確かに完璧なものだと思った。だからこそ、許可を出したのだ」

他国に攻め入るのは、平和主義の王にとって認めがたいことだった。だが、宰相からその必要性を懇切丁寧に説かれ、軍の被害も最小限に抑えられる、と聞かされてようやく決断を下したのだ。

「なるほど、完璧な作戦、ですか」

むっつりと黙り込んだセイに向かって、

「ああ、そうだ。われわれの作戦は完璧だ。それとも完璧ではない、とでも言うのか?」

平坦な口調でファンタンゴが問い詰めると、

「いえ、確かに完璧だなあ、とわたしも思いました」

「なに?」

思いも寄らぬことを言われて宰相の整った容貌がわずかながら崩れた。

「何を申す。貴様はさっき、『無謀な作戦』と申したではないか」

「それもその通りです。ですから、あなた方の考えたのは、完璧にして無謀な作戦、というわけです。完璧と無謀は必ずしも矛盾しません。時と場合によっては両立することもあるのですよ、閣下」

初歩的な足し算のやりかたを教えるかのように答えられて、男の理知的な容貌は誰の目にも崩れて見えた。こんなことはあってはならなかった。自分よりも20歳以上若い少女にやりこめられることなどあってはならない。宰相として愚昧な民を導いていく立場にある者が、教え諭されることなどあっていいはずがない。いつもは謙虚さで隠しおおせていた霊峰ヒーザーンよりも高い宰相のプライドがあらわになろうとしていた。

「嘘を申すな。そんなことがあるはずはない」

「そう言われましても」

頭を掻いて困った顔をする少女に、

「タリウスよ、余にわかるように説明してくれぬか」

少し前のめりになりながら、王は家臣に呼びかける。娘の言うことを真剣に吟味する必要があると認めたのだ。

「かしこまりました。そういうことでしたら、口で言い争うだけではいつまでも決着がつきませんので」

そう言うと、セイは懐から二通の文書を取り出した。

「それは何だ?」

「はっ。陛下にお見せすべく戦地から持参したものであります」

論より証拠、と言いますしね。そう言って「お渡ししてくれ」と侍者を呼び招いて文書を差し出した。

(この娘!)

セイジア・タリウスが暴走しているわけではなく、確たる考えを持って行動しているのを、ジムニー・ファンタンゴはこの段階でようやく悟っていた。事前に書類まで用意する周到さだ。感情的になって動いているわけではない。

(わたしは見誤っていた)

少女に向かって言ったばかりのことをもう一度思った。ただし、彼女の能力を見誤っていた、と感じたのはさっきとは違っていた。金髪の美しい娘がこれまで前途洋々だった人生の前に大きく立ち塞がろうとしているのに、野望を秘めた宰相は否応なく気づかされつつあった。

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