第46話 大戦終結秘話・アステラ王宮深夜の対決(その4)

以下に紹介するのは、最強の女騎士セイジア・タリウスが議論においても強かったのは、それなりの理由がある、という話である。

セイが天馬騎士団の団長に就任してから半年ほど経ったある夜のことだ。その夜、彼女は珍しく酒を呷っていた。この世界において、未成年の飲酒はさほど罪悪視されているわけではないが、常に騎士らしい振る舞いを心掛けている少女にとってあまりないことであるのは確かだった。

「そんなに飲むと酔っぱらうわよ」

テーブルの向こうに座ったリブ・テンヴィーが軽くたしなめる。ブルネットの髪を肩まで延ばした女占い師も既にビールを何杯も飲んでいたので、あまり注意できた立場ではなかった。

「酔いたくもなる」

ひっく、としゃっくりしながらセイは答える。既に目が据わっていて、酔いが回っているのは明らかだ。

(何か嫌なことがあったみたいね)

金髪の騎士の心境が友人には手に取るようにわかった。夜になっていきなり家に押しかけてきて「酒をくれ」と暗い表情で言い出したのだから、問題を抱えているのは明らかすぎるくらい明らか、と言ってもいいほどだ。

「まあ聞いてくれ」

いつ話を聞き出そうか、気配を見計らっているうちにセイの方から話を切り出したのでリブとしては大いに助かったが、自分から打ち明けるほどに悩みが深いのだ、とも思い、表情を変えぬまでもわずかに気を引き締めた。友達としても占い師としても目の前の少女の苦悩にしっかりと向き合いたかった。

その日の昼間、王宮にて作戦会議が開かれ、騎士団長としてセイも出席していた。その際気掛かりな点をいくつか問い質そうとしたのだが、出席した政治家や官僚からは、はかばかしい回答が得られず、少女としては大いに不満が残る結果になったのだという。

「それが毎度毎度のことなので、わたしもさすがに腹に据えかねたのだ。どうもこちらを舐めてかかっている気がしてしまってな。最初からまともに答える気がない、というか」

この国の中枢に携わる人々にはもともと騎士を低く見る気風があるようにセイは感じていた。彼女がまだ天馬騎士団の副長だった頃に、団長のオージン・スバルに従って会議に出席したことがあったのだが、あろうことか貴族たちがスバルを小馬鹿にした態度を隠さなかったので、敬愛する騎士を貶められた少女はすぐさま殴りかかろうとしたものの、スバルが隠忍自重しているのもわかったので、どうにかこらえるしかなかった。会議の後で涙目で憤る娘を見て、

「そう怒るな。理不尽に耐えるのも騎士の仕事のうちだぞ」

謹厳実直な騎士がわずかに頬を緩めたのがセイの記憶には残っている。それでも、スバルは「蒼天の鷹」と呼ばれた英雄であり、会議の場で低く扱われたとしても、彼の意見は結果的に通ることが多かった。それがわかっていたからあえて怒らなかったのかもしれない、と彼を亡くしてから少女騎士は思うこともあった。しかし、スバルの後を継いだセイの立場はそれよりも悪く、彼女の意見は考慮されることすらないように思われてならなかった。ただ黙って命令通りに戦っておけばいい、という無言の圧力までも感じていた。自分一人ならそれでも我慢はできたが、しかし、理屈に合わない作戦に従うことは、配下の兵士たちを危険に晒すことでもあり、到底受け入れることなどできず、騎士団を率いる者として抵抗を示してはいたのだが、戦闘と議論は勝手が違い、少女は常に分の悪い戦いを強いられている、というのが現状だった。

「向こうはわたしよりも知識もあって話も上手だから仕方がないのかもしれないが、どうしても甘く見られている気がしてしまうんだ」

そう言ってセイは酒を飲み干した。度重なる屈辱に美しい娘が傷ついているのが伝わって、リブも同情したが、

「結構なことじゃない」

その赤い唇から出たのは笑みを含んだ軽い言葉だった。

「なんだって?」

「わたしからすると、あなたが甘く見られているのはとても結構なことだと思うんだけど」

馬鹿にされているのか、と一瞬頭に血が上ったが、リブ・テンヴィーの優しさはセイもよく知っている。無駄に人を傷つけることは決してない。だから、

「どういうことだ?」

気を静めてから訊き返す。はちきれんばかりの肉体を黒のチューブトップに詰め込んだ妖艶な美女は、ふふふ、と微笑んでから話し始める。

「そう難しく考えることはないわ。あなたがいつもやっていることよ。敵の油断を誘って勝ちを収めるのは、あなたの得意な戦法でしょ?」

確かにその通りだった。騎士団長になってすぐに、国境に迫った敵の大軍をわずかな兵力で打ち破ったときも、最初はあえて敵を深く攻め入らせて隙を作らせたのだ。

「それと同じことよ。あなたを甘く見ている相手は隙だらけなのよ。付け入らない手はないわ」

「どうやって付け入るんだ?」

リブは人生相談の名手として大いに評判を呼んでいた。口も達者でセイもいつも言い負かされて説得されている。そんな彼女なら議論のコツも心得ているに違いない、と金髪の娘は素直に教えを乞う気になっていた。

「どうやってやるか、よりも、絶対にやったらダメなことを覚えておいた方がいいでしょうね」

「そんなことがあるのか?」

ええ、と女占い師は大きく頷いて、

「相手を論破するのだけは絶対にやったらダメよ」

えっ? とセイは声に出して驚いてしまう。

「つまり、相手を言い負かしたらダメ、ということか?」

「そうよ。それだけは絶対にやったらダメ。その場では気分はいいかもしれないけど、後々ろくなことにならないわ」

そう言われてもよくわかっていない様子の少女騎士に向かって、

「だって、あなた、今日も会議で言い負かされたんでしょ? その言い負かした相手のことをよく思える?」

むっとした顔になったセイは、

「思えない」

と即答する。

「その人が何かを頼んできても、言うことを聞く気になれる?」

「なれない」

とまた即答するのを聞いて、我が意を得たり、とばかりに美女はにんまり笑う。

「そういうことよ。論破したところで恨みを買うだけなのよ。だから、絶対にやったらダメ」

そう言われたセイは、ふむ、と何かを考え込み出す。もともと頭のいい少女だというのはリブにもよくわかっている。頭がいいだけでなく勘も鋭いのだから、要領さえ飲み込めば議論もすぐに上手くなるはずだ。

「こう考えたらいいんじゃないかしら? 会議に出るときは前もって目的を設定しておくの。あなたの場合だったら、『食糧を送ってほしい』とか『増援がほしい』とかあるでしょ?」

「ああ、よくある」

「だから、それを達成できれば、あなたの勝ち、というわけ。それならたとえ言い負かされたとしても、別に構わないんじゃない?」

なるほど、とセイは大きく頷く。瞳もいつもの青い輝きを取り戻している。

「やっとわかった。そういうことなら、やりようがある気がしてきた」

多少ルールが違うだけで、身体を使うのも口を使うのも同じ戦いなのだ。ならばやってやれないことはない、と金髪の騎士は思えるようになっていた。実はそんな議論への苦手意識をなくすことこそが、リブの狙いだったのかもしれないが。

「そういうことなら、さっきのリブの話もよくわかる。相手がわたしを女だと子供だと見くびっているのを逆に利用してやればいい、ということだな?」

「そうよ。偉そうにふんぞり返っている貴族なんかどんどん食い物にしてやればいいのよ」

女占い師の唇から出た甘いささやきを耳にしたセイはにやりと笑う。

「ははーん、わかったぞ。リブ、おまえもそうやって相談に来た連中を利用しているわけだな」

リブの美貌と色気に男たちが幻惑されるのが目に見えるかのようだった。見た目に誤魔化されてはいけない、と思っても誤魔化されるだけの見た目を彼女は持ち合わせているのだから仕方がないのかもしれない。

「ええ、そうよ。毎日毎日、鴨が何羽もネギをしょってやってきてくれるから、大いに助かってるわ」

まるで悪びれる様子もない親友に女騎士は声を出して笑ってしまう。

(やっと元気になったようね。あなたはそうやって笑っているのが一番よ)

リブも一安心してビールをもう一杯飲み干す。そうしてから、

「じゃあ、これから練習してみましょうか?」

「練習?」

「あなた、毎日剣を素振りしてるでしょ? それと同じで、話をするにも練習が必要なのよ。特にあなたが会議で相手をするのは、海千山千の口八丁手八丁のおじさま方なんだから、口を鍛えておくのも無駄じゃないと思うけど」

「無駄どころか、やらねばならないことだ。是非よろしく頼む」

すっかり酔いの覚めたセイはリブの顔を意思を込めて見つめてから、しっかりとお願いする。そうして、セイは年上の友人に議論の進め方の手ほどきを受けることとなった。

それからというもの、少女騎士が会議で不快な思いをすることは少なくなった。意見をはねつけられて小馬鹿にされるのは変わらなかったが、それでも自らの意思を通すことには成功していた。生意気な娘の話を拒否し却下して悦に入っている政治家や官僚は、彼女の望む方向に動かされているのに全く気づくことはなかった。そして、セイにはもう一つ気付いたことがあった。

(リブが一番恐ろしい)

アステラきっての才媛に議論を教わってわかったことだが、リブ・テンヴィーの実力にかなう者は王国の中枢にも見当たらないのだ。彼女の舌鋒は宰相ファンタンゴよりも鋭く、会話の中に秘められた陥穽は財務大臣のそれよりも深かった。高官たちは嫌味や皮肉で少女を傷つけようとしてきたが、女占い師の口撃の恐怖をよく知るセイにはまるで児戯にしか思えず、ダメージを受けることもなくなっていた。

「おまえと一緒だと楽でいいわ」

同じ騎士団長として会議に出席していたシーザー・レオンハルトはセイの成長を認め、彼女に任せきりで議論に参加せずに開始から終了まで居眠りをするのが当然のようになっていて、

「まあ、それがシーザーだからな」

とセイも溜息をついて頼りにはしていなかった。理屈よりも先に動く悪友の性格をよく知っていて、それを変えようとも思ってはいなかったのだ。もっとも、シーザーは会議の場において、金髪の娘を必要以上に貶め侮辱する気配を感じたときだけは、眠ったまま相手を威圧して黙らせる、という離れ業を見せ、ひそかに女騎士を援護していたのだが、青年騎士はあくまで無意識のうちでやったことなので、少女もそれを知ることもなく、好感度アップにつながらなかったのは惜しいところかもしれなかった。

ともあれ、頼れるおねえさんの熱心な指導を受け、その後も場数を踏んだことによって、セイジア・タリウスは議論の力と技術をしっかりと身に着けたのだが、それを表に出すことはなかった。正体を明らかにしたところで得になることなど何もなく、相手に見くびらせておいた方がいい、とも考えたからだ。能ある鷹は爪を隠す、という例えも世の中にはあるではないか。しかし、隠せる程度の爪など大したものではない、とも言えるのであって、真に優れた能力は隠そうとしたところでいずれは露顕し世間の知るところとなるものなのかもしれない。それを証明するかのように、深夜のアステラ王宮にて、少女は議論の巧者として知られる宰相を相手に堂々と渡り合い、彼女を甘く見ていた連中に真の実力を知らしめることとなった。

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