第44話 大戦終結秘話・アステラ王宮深夜の対決(その2)

(困ったことをしてくれたものだ)

アステラ国王スコットとセイジア・タリウスの話を聞きながら侍従長は出そうになる溜息を何度となく飲み込んだ。王に何かあったときのために、何かを求められたときにすぐに応じられるように、王宮の一室に居を構えることを許された老人は、若き王が目覚めたと聞いて急いで謁見の間まで駆けつけ、いつも通り主君の傍に侍っていたのだが、戦場から帰ってきた少女騎士の話を聞いて、不機嫌になるのも我慢できずにいた。敵軍と勝手に和睦を結ぶなど言語道断だ、と薄くなった頭頂部から湯気が出そうになるほど腹を立てていた。と言っても、その怒りは政策的判断や愛国心から出たものではない。老人が許し難かったのは、金髪の娘が勝手な行動をとった、ただ一点にあった。三代の王に仕え、宮中の儀式を取り仕切ってきた男にとっては、正式な手続きを踏まない、前例にない行いは、全て悪だと言ってもよかった。もともと、セイジア・タリウスという少女に侍従長はあまり好感を抱いてはいない。貴族出身でありながら女だてらに騎士になどなろうとして、礼儀作法にこだわらない娘らしい言葉遣いをしない者を、慣習にとらわれた老人がよく思えるはずもなかった(にもかかわらず、少女には奇妙な品の良さがあることを彼も認めざるを得なかったのだが)。そんな娘が夜中に王宮にやってきて、突拍子もない事案を持ち込んで、宸襟を悩ませている、とあっては不愉快の二乗、いや三乗かそれ以上、と言っていいほどの地獄を味わっていたのだが、

「一体どういうことなのです?」

宰相ジムニー・ファンタンゴが大勢の部下を引き連れてやってきたのを見て、老人は安堵する。宰相は貴族出身ではないが、規則を何より重視する姿勢は侍従長の意に適っていた。そんな彼が来たならば悪いことにはなるまい、と気分が落ち着いた一方で、少女に対するものとは別の意味での不快感を覚えてもいた。

(誰かが知らせおった)

宰相には来てもらうつもりでいたが、まだ連絡はしていなかった。いずれ王が直々に呼び寄せるだろうから勝手なことは控えた方がいい、と考えたからだが、知らせる前に自分からやってきた、ということは、ファンタンゴは何処かから情報を得たことになる、と察した侍従長は煌々と灯のついた広間のあちこちで姿勢よく立っている侍者たちの顔を睨みつけた。王宮の内部の人間しか知り得ない情報が外部に漏れることはこれまでも度々あったが、どうやら不心得者がいるのは間違いないようだ。後で探り出さねばならん、と思った老人の耳に、

「タリウス、勝手なことをしてくれたようだが」

宰相の声が届く。常に冷静沈着である男の声がかすかに震えているのは怒りによるものか驚きによるものなのか、はっきりしない。だが、落ち着き払うには事があまりに重大すぎる、と言えた。一国の存亡にかかわる事柄を少女が一人で勝手に決めたことに、冷徹な政治家のやや面長な顔がかすかに紅潮していた。

「わたしとしてはよかれと思ってやったことなのですが」

宰相の方に向き直って膝をついたセイの声はファンタンゴとは対照的に完璧に冷静なものだった。それが男を余計に感情的にさせたのか、

「貴公が個人の判断で動くこと自体が大問題なのだ」

思わず声が上ずったことを恥じたのか、宰相は小さく咳払いをしてから、

「詳しく事情を説明しなさい」

と、ようやくいつもの落ち着きを取り戻す。「それでは」と少女騎士が話し出そうとすると、

「貴様のやったことはとんでもない越権行為なのだぞ!」

宰相の後ろにいた部下の一人がいきなり叫んだ。それから一方的に騎士団長への弾劾が始まった。批判などというものではない。悪口雑言罵詈讒謗。そういった汚い言葉が平伏した18歳の少女に向かって一方的に浴びせられた。

(それでは説明できないではないか)

国王スコットは呆れ、大の男たちがひとりの娘をよってたかって詰る様子に眉を顰めるが、信頼する部下に向かって声を荒げるのも躊躇われたので、無理に止めることもできずにいた。官僚たちの怒りの根源は理性でなく感情に拠るところが大きかった。少女の独断が国を危うくした、というのは建前にすぎず、自分たちの職掌を犯された縄張り意識を刺激された、というのが本音だった。セイがたったひとりで何の後ろ盾も持っていないように見えたのも、彼らの言葉の刃をより研ぎすませることとなっていた。政治機構の中で生きる優秀な男たちは常に相手を見て動く傾向にあるようだ。

「もうその辺でいいでしょう」

ファンタンゴが制止すると部下たちはぴたりと非難を止めた。自ら少女を攻撃することはなかった宰相に年少者への思いやりを見るか、自分では手を汚さない狡猾さを見るかは、人それぞれだろう。ともあれ、集中砲火を浴びたセイが平伏したまま動かないでいるのを王と侍従長は痛ましく思っていた。あれだけひどいことを言われて、若者が立ち直れるはずもない、と感じるしかなかった。

(もういいではないか。泣いて謝れば宰相閣下も許して下さる)

老人にとっては、このいざこざも国家の一大事ではなく親子喧嘩に過ぎないのかもしれなかったが、手足を甲羅に収めた亀のようになった娘を見下した一人の官僚が、ふん、と息をついてから、

「おおかた命が惜しくなったのだろうよ」

と、憎々しげに、とどめの一撃とばかりに少女に痛撃を食らわせた、つもりだったのだが、

「惜しゅうございますな」

ずっと黙りこんでいた金髪の騎士のつぶやきは、さほど大きな声量でもないにもかかわらず、謁見の間に響き渡った。

「なんだと?」

宰相と部下たちの目が驚きに見開かれる。

「無謀な作戦で散らせるほど、このセイジア・タリウスの命は安くはありませぬ」

すっ、と立ち上がった少女の顔にはさわやかな笑みがたたえられていて、男たちの執拗な攻撃がまるで意味のなかったことが明瞭となる。

(タリウスよ、おまえは)

少女騎士の変化を最初に感じたのは国王スコットだった。彼の忠実な家来から漲る闘志と気迫が玉座にある青年にも伝わってくる。王も侍従長も宰相も官僚たちも戦場に赴いたことがなく、セイが戦う姿を一度として見たことがなかったのだが、それは本当の彼女を知らない、ということに他ならなかった。セイジア・タリウスはこの夜、彼らに自らの真の姿を見せることになり、それはやがて彼女自身の運命を変えることにもつながっていくのだが、このときの少女は「戦争を止めたい」というただ一つの願いのもとに懸命に動こうとしていて、それ以外のことは何も考えてはいなかった。

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