第40話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その8)

「どうかお考え直しください」

天幕の外でナーガ・リュウケイビッチは祖父であり上官である騎士を説得しようとした。敵軍と独断で和睦するなどあってはならない、と一本気な娘は信じ込んでいた。

「ナーガよ、おまえはまだよくわかっておらんようだな」

ドラクル・リュウケイビッチが漏らした溜息が冬の寒風にたちまち吹き飛ばされていく。

「わしがここで和睦に応じねば、あの娘は、セイジア・タリウスは本気で攻め込んでくるのだぞ。そうなったらわが国がどういうことになるか、おまえだって想像はつくだろう?」

少女騎士はやや躊躇ってから、

「われわれ龍騎衆が迎え撃てば今度こそ必ず勝てるはずです」

「たわけ者!」

少女の示した小さな勇気は老人の大喝によって木端微塵に砕け散る。

「『はず』とは何事だ。甘い予断で戦いに臨むなどもってのほかだ。おまえのつまらん意地でわが国を、わが兵士を危険に晒すつもりか」

「モクジュの邪龍」と呼ばれた男の鋭い眼光が肉親にも容赦なく浴びせられる。騎士としての未熟さを指摘されたナーガは身をすくめたが、彼女が祖父を諫めようとしているのは、敵軍と敵の少女騎士に負けたくない、という性根のみから出たものではなかった。

(そんなことをすれば、おじいさまはどうなってしまうのか)

アステラの王は違うようだが、モクジュの大侯をはじめとした諸侯はリュウケイビッチ将軍に勝利を厳命しているのだ。彼らにしてみれば和睦と降伏は何程の違いもなく、祖父を臆病者だと責め立てるはずだった。責め立てられるだけならまだいい。どんな罰が下されるか、想像するだけで少女の金色の瞳に涙が滲んだ。

「そう心配するな」

孫娘の思いやりは老人にも伝わっていた。ドラクルのたくましい手がナーガの左肩に置かれる。

「わしとて忸怩たるものがあるが、考えてみれば悪い話ではない。無用の戦いを避けられるのだ。それもまた騎士のなすべき務めと言える」

分厚く垂れこめた灰色の雲を見上げてから、

「最少の犠牲で平和がもたらされるならそれに越したことはない。おまえは賢い子だ。わかるよな、ナーガ?」

なんて優しい声だろう、と少女は祖父への愛情を改めて感じた。そんな声をかけられて、頷かないわけには行かなかった。うむ、と頷き返してから、やや表情を緩めたドラクルが、

「セイジア・タリウスと一度よく話すといい」

いきなり違う話をしてきたので、「はい?」とナーガは声に出して驚いてしまう。

「今は敵だが、和睦をすればそうではなくなる。おまえとは年齢も近い。あの者からは学ぶべき点もあると思うが」

蛇姫バジリスク」と呼ばれる少女は、きっ、と老人の皺の寄った顔を睨みつけ、

「親愛なるおじいさまの言いつけでもそれだけは聞けません」

真っ向から反論した。

「何が気に入らない?」

「何もかもが気に入りません。おじいさまだって、ティグレ・レオンハルトと仲良くしろ、と言われてできますか? それと同じことです」

宿敵の名を出されたドラクルの表情に動揺が走る。「うむ」としばらく考えてから、

「確かにそれはできん。あの男は執念深く頑固で何より体臭がきつい。そんなやつと仲良くなるのは真っ平御免だ」

そう言ってから、「だが」と続けて、

「あの男がいたから今のわしがいるのもまた確かなのだ。あいつと戦うためにわしは強くなったのだ。敵ではあるが、やつがわしを成長させてくれたのは否定できん」

実にいまいましい話だが、と愚痴をこぼす老人の眼に暖かな光が浮かぶのを少女は見て取る。

「だから、おまえもセイジア・タリウスから逃げずに向かい合ったらいい。あの娘は高い壁だが、それを乗り越えることで見えてくるものもあるに違いない」

そう言われたナーガは頬を膨らませて、

「そんなにあの娘がお気に入りなのですか?」

「ん?」

「わたしがわからないとお思いですか? さっきからおじいさまがセイジア・タリウスを見て鼻の下を延ばしていたの、ちゃんとわかっているんですからね」

ドラクルの女好きに孫娘は以前から腹を立てていた。美しい女性を見ればよだれをこぼしそうなだらしない表情をする老人を見るたびにむかむかして、「わたしがいればいいではないですか」と言いたくなるのだ。特に自分がライバルだと思っている敵の少女にデレデレしているのを見せられたおかげで、腹立ちは最高レベルに達していた。

「む、いや、それはその、確かにあの娘はとても美しいが、わしが言いたいのはそういうことではなく」

図星を突かれてうろたえる白髪の騎士を、「ふん」と侮蔑するように見たナーガは一人でさっさとテントの中へと戻ろうとする。

「待ちなさい、ナーガ。誤解だ。頼むから話を聞いておくれ」

言い訳しようと後を追うドラクル・リュウケイビッチにいつもの偉容はなく、家の近所を徘徊する老爺にしか見えなかった。

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