第41話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その9)

アステラ王国天馬騎士団団長とモクジュ諸侯国連邦龍騎衆筆頭は両軍が和睦し停戦する旨を定めた文書にその名を記した。文書は二通作られ、後で両国の指導者に示されるはずだった。

「おまえなら作れるだろう」

とセイにいきなり無茶振りされたアルが大急ぎで書き上げたせいもあって、取り決めはごく簡単な内容しかなかったが、細かいことは後で官僚にでも決めさせればいい、と金髪の騎士は考えていた。今は何よりも戦いを止めることを優先すべきだった。

(やれやれだ)

署名を2回行ったセイはほっと息をつきたくなったが、安心するのはまだ早い、と気を引き締め直す。むしろこれからが、国に戻ってからが本番になるはずだった。一方、少女と向かい合って座ったドラクル・リュウケイビッチから怖い気配がなくなっているのに、彼の後ろに控えているナーガと、敵に注意を払い続けていたアルは気づいていた。署名するために老眼鏡をはめたおかげで、見た目がより年寄りらしくなっているだけでなく、何か心境の変化があったもの、と2人の若い騎士は考えていた。

「年は取りたくないものだな」

「ん?」

いきなり老人に愚痴をこぼされて対面の少女は戸惑ったが、

「あと10歳も若ければ、とつい思ってしまうわ」

そう言われて、セイは「ああ」と何かに納得したような笑顔になる。

「もし、あなたがもっと若ければ、わたしはあなたにひとたまりもなく敗れていただろう」

一騎打ちの事実上の敗北を嘆いているのだ、と思い込んだセイに向かって、

「いやいや、そうではない」

老眼鏡を外しながら将軍は声を出して笑って、

「わしがもう少し若ければ、おぬしを妻に娶っていたのだが、と思ったのだ」

麗しの女騎士をしっかり見つめながら言い放った。聞く人が聞けば、戯言めいた口ぶりの中に疑いようのない本気を感じたはずで、確かに彼は真剣にそう考えていた。

(ナーガには後でこっぴどく怒られるのだろうが、そう言わないわけには行かない)

美しい女性を賛美し、我が物にしたい、と考えるのは男としての義務だ、と老いたプレイボーイは考えていたが、背後で孫娘が殺気を溢れさせているのを感じて冷や汗を止められないのも事実だった。しかし、愛を告げられた少女騎士は「ははは」と快活に笑って、

「『邪龍』殿はお世辞も上手いと見える」

本気には受け取っていないように見えた。ドラクルはその反応に落胆するよりはむしろやる気をかき立てられていた。うら若い娘をこの手で花開かせてみたい、という欲望が湧き起こりかけたのを、煮立った鍋に蓋をするかのように老騎士は抑え込む。この状況では、いろいろな意味で彼には時間が無さすぎた。

(ん?)

リュウケイビッチ将軍にはもう一つ気になることがあった。少女の傍に控えた少年騎士だ。老雄の言葉を聞いた瞬間、茶色い髪の少年の整った顔立ちがわずかに歪んで、憎しみを込めた視線を敵将にぶつけてきたのだ。それが何を意味するのか、明白すぎるくらいに明白だった。

「おい、小僧」

いきなり声をかけられてアルは飛び上がりそうになったが、

「ぼくの名前はアリエル・フィッツシモンズです」

と若干苛立ちも込めて少年は言い返した。「ふん」と抗議を受け流した白髪の騎士は、

「小者の名をいちいち覚えている余裕は、わしの脳味噌には無い」

傲然と切り捨てた。「王国の鳳雛」と呼ばれる成長株を切って捨てられるだけの貫禄が、「モクジュの邪龍」と称えられ恐れられた男にはあった。そして、

「不相応な願いは身を滅ぼすぞ」

ぼそっ、とつぶやき、それを耳にしたアルの顔が一瞬で青ざめる。恋心を見抜かれただけでなく、それを嘲弄された自覚があった。自覚はあってもやりかえすことはできない、というのもわかっていた。彼の上官である少女と敵将の一騎討ちを目の当たりにして、自分はまだまだ遠く及ばない、と痛感させられたのはつい昨日の出来事だった。敵の将軍に今の自分はとても勝てはしない、というのは重々承知していた。しかし、それでも、

「そんなことをあなたに言われる筋合いはありません」

内心の怯えを隠せた自信はないが、それでも精一杯受けて立とうとする。いかに強大な相手だろうと尻尾を巻いて逃げ去るのは騎士としての誇りが許さなかったし、それと同時あるいはそれ以上にアリエル・フィッツシモンズ個人の精神が「屈したくない」と全力で叫んでいた。「ふん」ともう一度鼻から息を吐いたドラクルは、

「勝手にせい」

とだけ言ってアルから興味を失くしたかのように視線を外した。「生意気なやつだ」と思いながらも、最低限の度胸はあると認めてもいた。

(まあ、若いうちの失恋は男を成長させるからな。せいぜい手ひどくふられるがいい)

もっとも、少年騎士の恋が成就するとは思ってもいなかったが。

「うちの部下が何か失礼でも?」

事情が分かっていないセイがきょとんとした表情で老騎士に訊ねたが、

「ああ、いや、そうではない。ちょっとじゃれあっただけのことよ」

と苦笑いしながら、ドラクル・リュウケイビッチは突然気づいていた。今、この天幕の中にいる4人の騎士の中で老人は自分だけだ、と遅まきながら気づかされていた。他の3人は皆十代の若者ではないか。自らが場違いな存在だ、と思ってから、シーザー・レオンハルト、しつこくつきまとってくる宿敵の息子の存在も思い出していた。あの青年もまだ十代のはずだ。

(時代は変わった)

そう思わざるを得ない。そして、

(ティグレ、貴様はいい時に身を引いたのかもしれんな)

先に一線から退いたライバルのことを考えていた。もはや潮時なのだろう。老兵は去り行くのみなのだ。しかし、「まだやるべきことがある」と強く思ってもいた。戦場に若者だけを残してはいけない。これからの世界を担うべき者たちに重荷を負わせるのではなく希望を託すのが年長者の役割ではないか。

(ならば)

最後にもう一度戦わなければならない。そう決意した老騎士は立ち上がった。

「約定は必ず守るから安心するといい、タリウス殿」

遅れて立ち上がったセイも、

「わたしが言い出したことだ。決してたがえたりはしない」

力強く言い切る。そして、どちらからともなく差し出された手が、テーブルの上で握り合わされた。両軍の和睦が本当の意味で成立し、この戦争が終幕に向けて激しく動き出したのもまさにこの瞬間であったが、その場に居合わせた4人の騎士には感動や興奮はなく、セイジア・タリウスはそのときのドラクル・リュウケイビッチの手の力強さを、アリエル・フィッツシモンズは「モクジュの邪龍」の穏やかな表情を、ナーガ・リュウケイビッチは祖父のいつになく寂しげな背中を、その後何度となく思い返すこととなる。

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