第38話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その6)

ドラクル・リュウケイビッチの目の前に一通の手紙が置かれていた。セイジア・タリウスが投げたもので、既に封は切られている。

「これを読め、というのか?」

「ああ、そうしてくれないと始まらない」

そう言われたからには読まないわけにもいかない、と思いながら老将は封筒から手紙を抜き取って広げた。ナーガの手渡してくれた老眼鏡をかけながら、

「それで、これには一体何が書かれているのだ?」

と問いかけると、

「本国からの命令書だ」

金髪の少女騎士が事も無げに言い放ったので、さすがの「モクジュの邪龍」もぎょっとして顔を上げてしまう。

(軍事機密ではないか)

味方であっても限られた人間しか見ることが許されないものを、あろうことか敵の大将に見せるとは一体何を考えているのか。しかも、

(どうやらあの娘が単独で動いているらしい)

セイの後ろに侍っているアリエル・フィッツシモンズとかいう少年が馬鹿みたいに口を大きく開けて愕然としているところを見ると、上官からは何も話を聞いてはいないようだ。そうなると、アステラ軍全体で謀略を行っているわけでもないのか、とドラクルは考える。

(あの若僧が演技をしているなら1000年に一度の名優だ)

ともあれ、手紙を読んでみることに決めた将軍が視線を落とすと、

「近頃、大陸中央部でわが軍が優勢であることに本国はいたくご機嫌だ、というのが読めばわかるはずだ」

「金色の戦乙女」はご丁寧にも手紙の内容を口でも語り出した。

「そもそも、わたしはどの国の権力も及んでいない中央に安定を取り戻すべく戦ってきたはずなのだが、どうもわたしの与り知らないところで計画の変更でもあった様子でな。本国から国境を越えてモクジュへ進軍せよ、とのお達しが来た」

若き天馬騎士団の副長は「えっ?」と声を出してしまってから、自らの失策に気づいて慌てて口を閉ざした。副長である少年にも秘密にされていたことを知らされて驚いた後で、敵に計画を知られてはまずい、という常識的な反応をしたわけだが、彼の上官がその何倍もの非常識な行動に出ている以上、抑制的な態度をとったところでどれほどの意味があるのかはアル自身にも判断がつきかねた。

「まあ、一時的に国境を超えて、モクジュの軍勢を牽制する、というくらいならわからないでもない。しかし、お偉方の考えはどうも違うようで、モクジュ全土を支配下にしたいようなのだ。その手紙には書かれていないことだが、誉れ高き『龍騎衆』を全て打ち倒し、都まで進攻して大候をはじめとした諸侯を全て生け捕りにしてアステラまで連行しろ、などと勇ましいことを豪語している者もいるらしい」

「貴様。そのようなことをよくもぬけぬけと」

ナーガ・リュウケイビッチの声は怒りに震えていた。自分の生まれ育った国を侮辱されて黙っていられるほど彼女はまだ大人にはなっていない。

「よさんか、見苦しい」

祖父に制止されても少女の怒りは収まらない。

「おじいさまはあんなことを言われて平気なのですか? 舐められて黙っていられるのですか?」

「ナーガよ、いいから落ち着け。考えてもみろ。タリウス殿が本気でわが国に攻め入るつもりなら、わしらにわざわざこんなことを言ったりはしない」

老人から諭された浅黒い肌をした美しい娘の顔から憤りが薄れ、困惑が取って代わっていた。「金色の戦乙女」の意図がまるで読めないからだ。彼女の祖父も同様に困惑していたが、

(確かにあの娘の言っていることは本当のようだ)

セイに渡された手紙は本物の命令書である、と古強者は確信していた。そして、書かれている内容も少女騎士の言った通り、モクジュ諸侯国連邦への侵攻を命じるものだった。モクジュを守る「龍騎衆」として看過できない事実だったが、

(セイジア・タリウスはこの命令に不服と見える)

ドラクルは孫娘とは違って言葉のうわべだけでなく、より深いところを見て取っていた。銀の鎧をまとったアステラの美しい騎士の言動には皮肉と嘲笑が明らかに含まれていて、それを取り繕おうともしていなかったのだ。

「なるほど。これは由々しき事態である」

命令書を封筒に収め、老眼鏡を外してから、「しかし」と向かい合ったセイの顔を眼光鋭く睨みつけ、

「敵に内情を暴露するのは、重大な軍規違反で死罪を課せられてもおかしくはない。そのような危険を冒してまで、貴公は何をしようというのだ。セイジア・タリウス?」

稀代の名将の重々しい声に、ナーガもアルも思わず身震いしてしまったのだが、ポニーテールの娘は春に咲く花を思わせる可憐な笑顔を絶やすことなく、落ち着き払ったまま口を開いた。

「人間は失敗から多くを学ぶものらしいが、成功から学ぶのはなかなか難しいようだ」

老騎士の質問とはまるで関係のない話をし出したので、他の3人の騎士は唖然としてしまう。この緊迫した場でも、セイだけは団欒を楽しんでいるかのようだ。

「わたしの初陣、というのは天馬騎士団団長としての初陣なのだが、わが国の国境を犯そうとするモクジュとヴィキンの連合軍を迎え撃つという、新米の団長としてはいささか荷が重い任務だったのだが、幸運にも勝利を収めることができた」

そのことはドラクルもナーガもアルもよく知っていた。というよりも、大陸中の誰もが知っている華麗なる武勇伝というべきだった。

「あれから2年が過ぎたが、いまだに多くの人からあのいくさのことを褒められて、そのたびに身体がむずがゆくなってしまうから困っているのだ。勝つには勝ったが、わたしは別に大したことをしたわけではないのだからな」

「そんなことはありません。団長はわが国の危機をお救いになられた英雄ではありませんか」

思わずアルは声を上げていた。「大崩壊カタストロフ」の後、瓦解寸前だったアステラ王国を侵略の魔の手から防ぎ切った女騎士は少年にとって仰ぎ見る存在だった。だが、部下に褒められたセイは照れくさそうにはにかんで、

「そう言ってくれるのはありがたいが、わたしは英雄などではない。英雄と呼ぶべきなのは、アステラの国民のみんなだ。みんなが国を守るために一丸となってくれたからこそ、戦いに勝てたのだ。わたしはたまたま騎士団を率いていただけで、何も大したことはしていない」

自らの武勲をまるで誇るところのない少女の姿を、

(オージン・スバルは廉潔の士として知られていたが、その志も継いだらしい)

リュウケイビッチ将軍は眩しいものを見るかのように目を細めて眺めた。セイの前任者であるオージン・スバルは実力も優れていたが、騎士らしい清く正しい生き方を貫いたことから、アステラのみならず敵国であるモクジュでも高い人気を得ていた。「大崩壊」でスバルがモクジュ軍を相手に壮絶な戦死を遂げた際には、禁じられていたにもかかわらず哀悼の意を表する一般市民や軍人が後を絶たず、ドラクルもその一人だった。

(スバルもこのおてんばにはさぞかし苦労したのだろうな)

「蒼天の鷹」の早すぎる死に敵である老騎士も複雑な思いを禁じえなかったのだが、思いを受け継ぐ者がいたことに、わずかながら慰められる気持ちになり、思わず深く瞑目していた。そんな男の感傷に気を留めることなく、セイは話を続ける。

「また、逆の見方をすれば、そのときのわがアステラの成功はモクジュとヴィキンの失敗でもある、と言えるのだろうな。一言で言えば戦争の質の違いを見誤ったわけだ」

「質の違い、ですか?」

「そうだ」

思わず訊ねてしまったアルの顔を振り返って、ちらり、と見てから、兵法を講釈するかのようになめらかな口調で少女は語り続ける。

「長きにわたって続いている大戦は、『空白地帯』、つまり何処の国にも属さない土地での戦いだから、語弊はあるかもしれないが、失う物のない、ある意味気楽な部分もある戦いだったわけだ。だが、そのときの戦いは違う。れっきとした侵略戦争だ。敗北すれば国土を失い、大切な家族も財産もなくしてしまう。全てのかかった戦いだったんだ。だから、守る側は当然必死になって抵抗する。わたしが実際に戦った限りでは、敵がその違いを理解していたようには見えなかった。勝敗を分けたのもそのあたりかも知れないな」

と言ってから、敵将の顔を見つめながらにっこり笑って、

「とはいうものの、『邪龍』殿がそのとき戦場にいたなら、わたしもこうやってこの場にはいられなかっただろうから、幸運に恵まれた次第なのだろうさ」

ぬけぬけと言われて、老騎士も苦笑いするしかない。

「大変興味深い話だったが、わしには貴殿の言わんとするところがまだ見えんのだが」

「偉大なる先輩にお褒め頂いて面映い限りだが、わたしの話はまだ終わっていない」

そう言った少女の顔にわずかながら影が差したようにリュウケイビッチ将軍には思えた。

「わたしが危惧しているのは、2年前のモクジュ軍と同じ失敗をわが国が犯そうとしていることにある」

「同じ失敗、だと?」

今度はナーガが訊いていた。

「ああ、その通りだ。ナーガ・リュウケイビッチ殿。他国を侵略すると痛い目に遭う、という事実を知っているはずなのに、過ちを繰り返そうとしているのだから、人間というのはつくづく救えない存在だ、と思いたくなる。わが軍がモクジュに攻め込めば、『邪龍』殿をはじめとした龍騎衆はもちろんのこと、全軍挙げて反撃してくるのは間違いないし、一般の市民だって抵抗してくるに違いない。それに加えて、モクジュはアステラよりも国土は広く国民も多い。はっきり言ってわが国よりも国力はずっと上だ。そんな国に攻め込めば泥沼の戦いになるに決まっているが、残念ながら、わが国の首脳にはそのような覚悟もないうえに周到な計画があるようにも思えないのだ。わたしも騎士のはしくれとして、受けた命令には可能な限り従うが、明らかに無謀な命を受けて『はい、わかりました』と喜び勇んで戦いに乗り出す、という心境に至れるほど人間は出来ていない」

少女の愚痴ともとれる言葉を耳にしたドラクルは、かかか、と声を上げて大笑いする。

「ようやっとわかった。なるほど、成功から学ぶのは難しい、というのは貴殿の言う通りなのだろうな」

侵略戦争の悲惨さを知り抜いているはずの国が、その惨禍の記憶も冷めやらぬうちに今度は侵略する側に回ろうとしている。それを愚かと言わずとして何を愚かと言うのか。老騎士だけでなく、アルにもナーガにも金髪の少女の憤りが理解できる気がした。

(つまり、この娘は自国の侵略を止めたいのだ)

それでまわりくどいやり方で対談に持ち込んだのだ、とドラクルはここに至って察していた。あえてゆっくり攻め込んだのも、危険を冒して一騎打ちを申し入れたのも、全てはこのためだったのだ。

「貴殿の考えはわかった。しかしだな、タリウス殿」

白い総髪の騎士は腕を組んで唸るように語り出す。

「それで一体何をしようというのだ? アステラがわが国に攻め入ろうとしているのは誠に遺憾だが、だからと言って、わしに何ができるとも思えんが」

「できるさ」

セイの瞳が青く光る。

「なに?」

「あなたにはできる。というよりも、わたしとあなたならできる、というべきかな」

ごくり、とアルは唾を飲み込んでしまう。上官の女騎士がウキウキしているのを感じたのだ。「この人はいつもそうだ」と思っていた。とんでもないことをやらかすときは、決まって楽しそうにするのだ。そして、その後始末をさせられるのは副長の少年であった。

「おぬしとわしで、一体何をしよう、というのだ?」

「モクジュの邪龍」の口から出た炎のごとき言葉を「金色の戦乙女」は平然と受けてから、少し間を置いたのちに静かに告げた。

「和睦を申し入れたい」

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