第33話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その1)

年が明けたばかりであったが、戦場には浮かれた雰囲気など微塵もなかった。曇天の丘陵地帯に急遽設営された大きなテントの中に2人の騎士がいた。一人は年老いた男で、白いクロスがかけられた長方形のテーブルの長い一辺に向かって座っている。そのすぐ後ろにはまだ若い女性が直立不動の姿勢で控えていた。黒い短髪でやや浅黒い肌の娘だ。

「そう焦るな」

少女と呼ぶべき年頃の部下の苛立ちを感じ取ったのか、白い髭を伸ばしたやはり白の総髪の老騎士が瞑目したまま呼びかけると、

「しかし、こたびの会談は向こうから呼びかけたことではありませんか」

彼女の言う通り約束の刻限をとうに過ぎていたが、

「事情があるのだろうさ」

故意に遅刻してこちらをらすような稚拙な戦法を相手も使うまい、と経験豊かな男は受け流しつつも、娘の若さを笑いたくもあった。彼女は部下というだけでなく、彼の孫娘でもある。素質はあるがまだ発展途上にある少女を導いてやらねばならない、とドラクル・リュウケイビッチは常に気遣っていたが、祖父としての思いやりはかえって孫娘への冷淡さとなって表れることとなり、「わたしはおじいさまに認められていない」と少女騎士ナーガ・リュウケイビッチを落ち込ませることとなっていた。

四方を幕で囲っていても全ての風を防ぎきれるものでなく、寒気が足下から這い上がってくるのを止められはしなかった。

(こんな日はひときわ沁みるわ)

老人は左の膝がうずくのを感じた。70年近く生きてきたが、左膝より下を失くした期間の方が、まともに両脚が残っていた期間よりも長くなっていた。青年時代に戦闘で大怪我を負い、やむなく切除したのだ。したがって、今の彼の左足は義足、ということになる。国で一番の職人に作らせた特注の金属製で、日常生活はもちろん戦いにおいても何ら不自由はなく、鈍く黒光りする「第二の左足」はドラクルの、「モクジュの邪龍」と他国から恐れられた彼のシンボルとなっていた。モクジュ諸侯国連邦の精鋭部隊である「龍騎衆」を長年にわたって率い、数多くの勝利をもたらしてきた勇者ではあったが、そんな彼も今日の会談については、いささかしっくり来ない感覚をおぼえていた。

(というよりも、そもそも今回の戦いそのものがちっとも思い通りになっていない)

闘将は長く伸ばした白い髭の隙間から知らず知らずのうちに溜息を漏らしていた。彼の当惑を理解するためには、何故このような戦争が繰り広げられているか、という前提を、そしてこの会談に至るまでの経緯を理解する必要があるので、簡単に説明しておくことにする。


この物語の舞台である大陸の中央部には、この物語の時点において「空白地帯」が存在していた。何処の国にも属さない、誰も治めていない原野が手つかずで残されていた。地理を簡単に説明すると、「空白地帯」の北西から西部にかけてマズカ帝国、南西部から南部をアステラ王国、南東部から東部をモクジュ諸侯国連邦、北東部をヴィキン女王国、といった具合に4つの国家と境界を接する格好となっていて、各国がそれぞれこの地域の領有権を主張し合っていた。ちなみに、北方には霊峰ヒーザーンが屹立していて、俗世間からかけ離れた聖域として人々の尊崇の対象となっていたため、この方面においては争いは滅多に起こらなかった(霊峰を訪れる巡礼者の扱いを巡る紛争はしばしば起こっていたが)。

自然が真空を忌むのと同じように、権力もまっさらな土地を許さないものらしく、古くから「空白地帯」を巡って何度となく戦いが勃発し、ある時はモクジュ諸侯国連邦が、また別のある時はマズカ帝国がこの地域の過半を領土としたこともあったのだが、一国が完全に我が物としたことは有史以来ないものとされている。中央を制する者は大陸を制する、と古代の専制君主が言い残した、という伝説もあるが、その言葉通りに、野望、我執、物欲、悲願、因縁、そういった目に見えない捉えようのないものに駆り立てるかのように、幾度となく争いが巻き起こり、そのたびに血が流され命が失われていった。無益な犠牲としか言いようがなかったが、その意味のなさを忘れてしまうほどに、「空白地帯」をめぐる戦いはもはやこの世界における日常と化してしまっているかのようだった。

それでも、今度の戦いは歴史を振り返っても長いもので、50年以上前、ドラクルの少年時代に始まってまだ終わっていない、と言えばいかに長期にわたるいくさであるかわかろう、というものだった。かたや大陸東方に位置するモクジュ諸侯国連邦とヴィキン女王国の連合軍、こなた大陸西方に位置するマズカ帝国とアステラ王国とマキスィ都市連合の同盟軍、多数の国が当事者となったこの戦いは「大戦」と呼ばれ、多くの死者と負傷者を出しながらも一向に止まる気配はなかった。

長きにわたる「大戦」において、情勢は常に均衡を保たれているわけではなく、戦いの女神がその左手で持つとされる運命の天秤が一方に大きく傾いたことも何度かあった。ドラクルが騎士として駆け出しだった頃には、マズカ帝国が怒濤の攻勢を見せて、モクジュ本国までも侵略されそうになったのだが、そのときは大陸南方の強国であるサタド城国が仲裁に乗り出して、辛うじて事なきを得た記憶が老騎士の中にも残っていた。サタドは「大戦」に参加することなく、連合軍にも同盟軍にも関わらない相互不可侵の立場を公式には表明していたが、大国同士を争わせて共倒れを狙っているのではないか、と疑う見方も根強くあって、戦争の当事者たちがサタドへと猜疑心を募らせていたことも「大戦」の長期化につながっていた、という説があれば、それとは別に、戦いを長引かせて諸国の国力を疲弊させることこそがサタドの狙いだった、という説も後世では唱えられているが、真相ははっきりとはしていない。


運命の天秤がモクジュの有利に大きく傾いたのは、つい2年前のことである。モクジュの軍勢がアステラの軍勢を大いに打ち破り、ほぼ壊滅状態に追い込んだのだ。その戦いの直前にドラクルの積年の宿敵である黒獅子騎士団団長ティグレ・レオンハルトが病に倒れていたこともアステラにとっては不運であった(ライバルの病気を知ったドラクルは全く喜ぶことなく、ひそかに見舞いの品を送っていた)。天馬騎士団団長オージン・スバルの捨て身の特攻によって、全滅を免れるのがやっと、という惨敗に加えて、ほぼ時を同じくして国王が崩御し、「大崩壊カタストロフ」と呼ばれるほどの災厄にアステラは見舞われることとなった。

「これを機に一気にアステラを叩くべきだ」

という声がモクジュ・ヴィキン連合軍の中で湧き起こるのは当然のことではあったが、

(どうも嫌な予感がする)

「モクジュの邪龍」と呼ばれた男は何故か闘志が萎えるのを感じていた。彼の左脚を叩き切り、彼がその右眼を奪った「アステラの猛虎」レオンハルトは長期の戦線離脱を余儀なくされ、何度となく戦場で刃を合わせ、その実力を敵ながら認めていた「蒼天の鷹」スバルも既にこの世にはいない。それに加えて新国王はまだ若く、国情もいまだに不安定だという。恐れるものは何もないはずなのに、何故か気乗りがしなかったドラクルは、大候から命じられたアステラ侵攻の先鋒を辞退することにした。本当なら攻撃そのものを考え直すべきだ、と進言したいところだったが、攻撃に反対する明確な理由がない以上、戦勝に興奮しきった王族や貴族たち、さらには彼の同僚たる軍人にも「臆病者」と謗られてはねつけられるだけなのはわかりきっていたので、口をつぐんで引き下がり、ドラクルに役目を譲られた(老騎士から見れば)若い騎士たちは、まだ戦いもしないうちから褒賞を得られるものと信じきって浮かれる有様だった。

それからしばらくして、モクジュ本国で新兵を鍛えていたドラクルの元に、アステラ方面軍が敗退して潰走した、との急報が届けられた。

(まさか)

「龍騎衆」のリーダーたる騎士は愕然とする。苦戦するかもしれない、と予想していたが、そこまでの大敗はさすがに想像もしていなかったからだ。人数に勝り、統制もとれている味方が何故敗北したのか。詳しい話をかき集めてみると、オージン・スバルに代わって天馬騎士団の団長となったセイジア・タリウスなる少女が、寡兵でモクジュ軍の中枢を急襲し、統率を失った大軍を瞬く間に崩壊させたのだという。

(まだ16歳の娘が、それをしたというのか?)

戦いのベテランである彼だからこそ信じがたいことだった。そんな真似をなし得る者が実在すれば、天才としか言いようがないが、そのような人間を数十年にわたる戦場での生活で見たことなどなかった。「何かの間違いだ」「味方に油断があったのだろう」と思ったのはドラクル・リュウケイビッチだけではなく、モクジュの軍部もそのように判断を下し、アステラ侵略はいったん取りやめたものの、少女騎士の存在を重く見ることはなかった。若いからと、娘だからと、甘く見ていたことは否定できず、その後も彼女の活躍を許すこととなる。

「アステラ攻めの失敗も痛かったが、それ以上にあの娘を侮ったのがわが軍にとっての大いなる痛手であり、わしの過ちだ」

と「モクジュの邪龍」が後悔した頃には、セイジア・タリウスは「金色の戦乙女」の異名をほしいままにするようになり、モクジュは「空白地帯」での有利を失って、戦況は全くの五分と五分へと変化していた。

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