第32話 女騎士さん、村の問題を知る(後編)
ざくざく、と積もった雪を踏みしめながら、ハニガンに続いてセイは村の北側の野原へとやってきた。頭上には青く澄み渡った空が広がっている。
「いいところだな」
初めて来た土地を物珍しげに女騎士は見渡す。陽の光を受けた雪が白く輝いて、広大な景色がまばゆく見えた。
「村にとっても大事な場所なのです。畑があって、狩り場にもなって、果物も獲れるのです」
「じゃあ、ジンバ村の生命線でもあるわけだ」
はい、と村長は頷く。そんなところに「よそもの」に入られたら村人としてはたまったものではないだろう、とセイにも事情がわかった気がした。
「それにしても、にわかには信じがたい話だ」
女騎士は東の方角に目をやった。白い雪化粧をした山脈が聳え立っている。
「まさか、モクジュから、あの山を越えてやってくるとは」
セイが今目にしている山々はアステラ王国とモクジュ諸侯国連邦との国境でもあり、両国を隔てる障壁でもあった。急峻な山岳地帯を突破するのが至難の業である、というのは子供にでもわかりきったことだった。特に今は冬場なのだ。危険はより大きくなっているはずだった。
「昔からごく稀に山を越えてくる者がいた、というのを父から聞いたことがあります。全くなかった話ではありません」
ハニガンの父が去年亡くなった先代の村長だ、というのはセイも承知している。
「しかし、今度のはこれまでのものとはわけが違う気がします。あまりにも人数が多すぎます」
ふうむ、とセイも考え込まざるを得ない。青年の話だと「よそもの」は10数名はいるという。ジンバ村のような寒村にしてみればかなりの人数といえた。
(しかも、モクジュとはついこの間まで戦争をしていたのだからな)
敵だった異国の人間にやってこられて住民が平常心でいられるはずもなかった。その戦いの先頭に立っていた者が今このような役割を演じていることに、女騎士は運命の皮肉を覚えざるを得ない。
(無用な争いは避けたいが)
平和裏に解決をしたいのは当然だったが、そのためにも彼らから事情を聞かなければならない、とセイは緊張を高める。いつの間にか、白い木肌の木々が立ち並ぶ林に足を踏み入れていた。こういった用事で来たのでなければ、もう少し楽しく歩けただろうに、と思いながらもセイは若者と共に木立を抜けていく。
「いつもはあの辺にテントを張っているのですが」
林の向こうの広く平坦な土地に出たが、あたりは一面の雪景色で、人の姿はなかった。
「大雪が降っていたから、避難したんじゃないのか? 心当たりはないか?」
女騎士に訊ねられたハニガンは少し考えてから、
「向こうに洞窟がありますから、もしかしたらそこかもしれません」
2人は山の方へと向かう。ほどなくして、山腹に黒々とした穴が開いているのが見えた。あまり深くはないが、わずかな人数なら入れるのではないか、というのが村長の話だった。入り口から覗き込むが、中には灯はなく、人の気配もない。
「誰かいないか?」
セイの誰何の声が洞穴に反響するが、しばらく待っても返事はない。
「入って確かめるとするか」
まるで躊躇を見せない美しい騎士に「明かりもないのに」とハニガンはたじろいでしまうが、
「怖いなら待っていてもいいぞ」
にやにや笑われて、「わたしも行きます」と思わず負けん気を起こしていた。子供の頃に何度も遊んだこともある。危ないことはないはずだった。
洞窟の中は暗かったが、じきに目が慣れてきて、ごつごつした岩肌が見えるようになる。ぽたぽた、とどこかで水滴が落ちるのも聞こえてきて、青年の胸に不安が甦ってしまう。ここにはいないのではないか、と先行するセイに話しかけようとして、
「待て」
と制止されていた。女騎士の鋭敏なセンサーが「何か」を感じ取っていた。そして、暗い穴の向こうへと目をやって、
「すまない。驚かせるつもりはなかったんだ」
と優しく話しかけていた。一体誰を相手にしているのか、と思ったハニガンは目を凝らして、「あっ」と叫びそうになるのをかろうじてこらえた。奥の方で、洞窟の行き止まりで屈みこんだ人々が群れ集まっているのが見えたのだ。そのうちの何人かはがたがた震えている。突然見知らぬ人間に踏み込まれた恐怖もあるのだろうが、それ以上に寒さに耐えかねているように見えた。狭い穴の中では、煙が充満してしまうから火を焚くこともできないのだろう。自分たちの縄張りを犯してはいるが、同じ人間としてハニガンは憐れみを覚えた。そして、その思いはセイも同じようだった。
「どうか怖がらないでくれ。決して悪いようにはしない。わたしはただきみたちと話がしたいだけなんだ」
何の魂胆もなく、思いやりだけを込めてセイは話を続けようとして、「そうだな」と言いながら姿勢を正した。
「最初に名乗っておいた方がよさそうだ。わたしの名前は」
名を告げようとしたセイの顔面めがけて、しゅるしゅるしゅる! と暗闇を切り裂いて長くしなやかで強靭なものが襲い掛かってきた。
(まさか、蛇?)
自分が狙われたわけでもないのに、ハニガンは思わず飛びのいてしまったが、彼を臆病だと責めることはできない。まともに受ければ命に関わるほどに鋭い一撃だったからだ。しかし、不意打ちにも「金色の戦乙女」と称えられた最強の女騎士はまるで動じることなく、あっさりと身をかわし、美貌を抉るはずの攻撃は天井から氷柱のように垂れ下がった岩を砕いて、再び闇の奥へと戻っていった。
(かなりの腕前だ)
セイは相手の技量がただならぬものと見抜いていた。一体何者か、と思っていると、
「何故貴様がここにいる?」
怒気をはらんだ声が洞窟に響く。そして、声の主が進み出てくるのを女騎士とハニガンは黙って見つめる。ぼろきれのようになったフードを頭からかぶっていても、ほっそりした身体だとわかった。女性だ、しかも若い。何より印象的なのは、金色に輝く2つの瞳だ。漆黒の闇にも負けないほどに輝いているのは、怒りに燃えているためだろうか。そして、その激情は自分に向けられている、とセイは理解していた。
「何故貴様がここにいるのか、と訊いているのだ。セイジア・タリウス!」
ここに至ってようやく金髪の騎士は相手の正体を知り、驚きのあまり口を小さく開いたが、歴戦の勇者らしく即座に平静を取り戻すと、
「それはこっちのセリフだ。何故きみがここにいるんだ? ナーガ・リュウケイビッチ」
不敵に微笑みながら訊き返す。
「え? え? お2人はお知り合いなんですか?」
あたふたしているハニガンをよそに、2人は睨み合いを続ける。セイジア・タリウスとナーガ・リュウケイビッチ、この2人が会ったのは一度きりの出来事でしかない。だが、その出会いは決して忘れられるはずもなかった。セイはアステラ王国天馬騎士団団長として、ナーガはモクジュ諸侯国連邦龍騎衆の一員として、長きにわたって続いた戦争の終結に関わる重大な局面に立ち会っていたのだ。
これよりしばらく、話を2年前、終戦直前の時点までさかのぼることとする。大陸の知られざる歴史を語ることは、この物語にとっても少なからず重要な意味を持っている、と思われるので、読者のみなさんにはどうかお付き合いをお願いしたい。
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