第34話 大戦終結秘話・「金色の戦乙女」と「モクジュの邪龍」(その2)

リュウケイビッチ家の祖父と孫娘は、新年を戦場で迎えることとなった。セイジア・タリウス率いるアステラ王国軍が「空白地帯」を南下し、モクジュ諸侯国連邦の北の国境に近づきつつあったからだ。ここを突破されるのはまずい、というのは一般の兵士にもわかることであり、「モクジュの邪龍」と呼ばれる名将もただならぬ危機感を抱かざるを得なかった。特に相手が「金色の戦乙女」と呼ばれる少女騎士とあっては尚更だった。幸か不幸か、老騎士と彼女はこれまで戦場で直接相まみえたことはなかったが、彼が率いる「龍騎衆」は何度となく手痛い目に遭わされていて、少女の実力を疑うことはもはやなかった。

(ここが剣が峰だ)

ドラクル・リュウケイビッチは悲愴な決意を固めつつあったが、本国にはその感覚は共有されていないらしく、首都ボイジアから寄せられる便りにも「閣下が新年の宴にお出ましにならないのは残念です」などと書かれてあって、老将を余計に憂鬱にさせた。しかし、そんな緊迫した状況下でも、元日の夕食後に孫娘のナーガと2人きりで狭いテントの中で一杯だけ酒を酌み交わし、そのときだけは新年らしく和やかな気分になることができた。

(まだ若い娘が何を好き好んでこのような場所にいるのか)

酒をまだ飲み慣れていないナーガが目元をほんのり赤く染めているのを見て、老いた男の胸は痛んだが、それと同時に自分と同じ道を歩んでいることを嬉しく思ってもいた。祖父譲りの才能を見せる娘は軍の中で既に頭角を現していて、その金色の瞳に睨みつけられると大の男でも震え上がることから「蛇姫バジリスク」と呼ばれ恐れられていた。彼女がドラクルの側近を務めているのは決して身贔屓ではなく純粋に実力を評価されてのものだった。

「こたびのいくさ、厳しくなるぞ」

祖父のつぶやきにやや浮ついていた少女の気分はたちまち引き締まる。彼女もまた今度の戦いには期するものがあったのだ。

(「金色の戦乙女」が何程のものと言うのだ)

わずか一歳年上の敵の少女への対抗意識がナーガの中で燃えていた。祖父の手を借りるまでもない。自分の手で決着をつけてやる。そう意気込んだ「蛇姫」は、

「必ず勝利いたしましょう」

と声を張って答えた。そんな孫娘に気負いを見たドラクルは微笑ましく思いつつも何処か不安も覚えていた。万が一のことがあっても、この子だけは守らねば、と思う彼の表情は稀代の名将ではなく何処にでもいるありふれた老人のものになっていた。


本国から十分な支援が得られたとは言い難かったが、それでも敵襲を前に手堅い備えをしていたのだから、ドラクル・リュウケイビッチの手腕はさすがのものだと言うほかなかった。アステラ王国軍よりも数の上では勝っている、というだけでも良しとしなければならない、と腹を決めた老いた英雄は若い女騎士の挑戦を待ち構える態勢を整えていた。しかし、セイジア・タリウス率いる敵軍が彼の予想とは異なる動きをしたのが、最初の計算外だった。短期間で決着をつけ長期戦を好まないという、これまでの彼女の傾向から、一気に国境へと侵入する電撃戦を仕掛けてくるものと考えていたのだが、意外にもアステラ軍はモクジュへとまっすぐ向かうことなく迂回路を取って、各地の拠点をひとつひとつ陥れる戦略に出ているように「モクジュの邪龍」には見えた。

(あまりいい策とは思えんが)

いささか拍子抜けしながらも、彼は防衛に努めるよう各地に指示を出した。虱潰しに陣地を広げているうちにアステラの軍勢は減少していき、モクジュ本隊と相対する時にはかなり目減りしているものと想像がつく。才気に溢れた娘らしからぬ手落ち、としか思えなかったが、敵の失策はこちらの得でしかなく、自ら滅亡に向かいつつある相手側を見るドラクルにはいつしか余裕も生じたほどだった。しかし、半月の後にその余裕は焦りへと変わった。

(どういうことだ)

わけがわからなかった。いつの間にか自軍が不利に立たされているのに白髪の騎士は戦況を眺めているうちにようやく気付いた。といっても、味方に目立ったミスがあったわけでなければ、敵が華々しい戦果を挙げたわけでもない。単純に知らず知らずの間に劣勢に追い込まれていた、ただそれだけの事実だった。だからこそタチが悪い、というのも戦いのベテランにはよくわかっていた。原因がわかれば対処もできるが、なんとなく負けが込んでいる、というのでは何もしようがないではないか。

(このままではまずい)

それでも、ドラクル・リュウケイビッチは危機に気づいただけでも名将だと言えた。普通の将軍であったなら何も気づかぬうちに敗北していたはずだからだ。すぐにでも対応しなければならなかった。最初に考えたのは、「空白地帯」の各地に点在したモクジュの軍勢を呼び寄せて部隊を再編成することだったが、その目論見は破れる。

「またやられました」

夜更けにやってきたナーガから連絡を受けた老騎士の顔が苦いものとなる。

「同じ手口か?」

はい、と孫娘は自分のせいでもないのにうなだれた。将軍がひそかに各地に送り込もうとした伝令が、その途中でことごとく仕留められていたのだ。使者は全て射殺、つまり一本の矢で貫かれて命を奪われていた。

(信じられん。わしが見込んだ手練ればかりだったのだぞ)

経験豊富な伝令たちは狙撃には人一倍注意を払っているはずで、それに周辺の警備は厳しく、敵のスナイパーが入り込む余地もないはずだったが、にもかかわらず狙撃は行われ続けている。これをどう考えればいいのか。

「魔弾の射手、か」

祖父の口を思わず衝いて出た言葉を、

「おじいさままでそのような世迷言を申されては困ります」

ナーガは聞き咎めた。「魔弾の射手」はアステラ王国が危機に陥ると現れる伝説的な腕前の矢の名手とされていたが、その実体を確かめたものは誰一人としてないことから、王国による情報工作との見方も根強くあり、モクジュの少女騎士もそのように考えていた。伝令が相次いで射殺され、それが「魔弾の射手」の仕業であるという噂は既に軍の中で流れ出していて、兵士たちの意気を削いでいるのを感じ取っていたために、ナーガはついむきになったのだ。

「いや、すまん」

ドラクルはとりあえず謝ったが、そうしたところで状況が変わるわけでもなかった。部隊の再編が無理な以上、別の策を取る必要があったが、

(撤退すべきだ)

痩躯の騎士は重大な決断をいともあっさりと下していた。ドラクル・リュウケイビッチは勇猛果敢な戦い振りで国内外で一目置かれていた一方で、自らの敗勢を悟るとすぐさま軍を引く柔軟な姿勢を併せ持っていた。もっとも、

「『邪龍』殿の真に優れている点は、目先の勝負にこだわらず、無駄な血を流すまい、としているところだ。なまなかの騎士に出来ることではない。敵ながらあっぱれだ」

オージン・スバルが称えるのを侍者として聞いていたセイジア・タリウスが大いに感銘を受け、兵を率いる立場になってからそのやりかたを実践していたのは、やや皮肉な成り行きではあったのかも知れないが。ともあれドラクルは「龍騎衆」とともに国境を越え、自国の内側でアステラ軍を待ち受ける作戦に切り替えようとした。モクジュの国境地帯は鬱蒼とした森が生い茂っていて、騎兵が突破するには難しく、迎撃に適した環境だと言えた。そこで邀撃戦に持ち込めば、たとえ勝てなくても確実に時間は稼げる。その間に「空白地帯」のモクジュ軍が集結して、アステラ軍を後方から攻撃する形になれば願ってもない、と老将軍は新たに戦略を練り直して実行に移そうとした。だが、それはかなわなかった。

「神聖なる国土に敵を一歩たりとも踏み入れさせてはならない」

と大侯から直々に指示が来たからだ。主君から命じられた以上、騎士として逆らうことは出来ず、ドラクルは国内で迎撃する作戦を抛棄せざるを得なくなった。

(もはやこれまでか)

皺の寄った顔に疲労と落胆を色濃く滲ませながら、老騎士は専用の天幕の中でひとりがっくりと肩を落としたが、ネガティブな感情に染まりながらも脳細胞は活発に動いて、現状を把握しようとしていた。

(急に態度が変わったものだ)

そう思われてならなかった。大侯のみならず、他に首都から来る連絡がどれも敵に対してヒステリックとも思える反応を示していたからだ。国境地域の緊迫感に思いを寄せることなく安穏と暮らしていた上流階級が、突然恐怖にとらわれてパニックを起こしているのは何故なのか。敵の間諜スパイが潜入して煽動している可能性もあったが、

(まさか、これを狙ったのか?)

将軍の脳裏によぎったのは、アステラ王国軍の異様なまでの侵攻の遅さだった。すぐにでも国境へ向かえたはずなのに、どういうわけか回り道をしているのを不審に思っていたのだが、じわじわと攻め込むことでモクジュの王族や貴族たちの恐怖心を掻き立てようとしたのではないか。遠方から確実に近づいてくる敵軍に、安全地帯に閉じこもった臆病な貴人たちが震え上がっているのがまざまざと目に見えるかのようだ。それをあのセイジア・タリウスは企図していたのではないか。

(しかし、たとえそうだったとしても、わざわざそんなことをする意味がわからん)

少女騎士の計略は敵将を窮地に陥れた点では効果があったかも知れないが、それ以外において有効だとは思えなかった。敵としてさんざん苦しめられた「モクジュの邪龍」に嫌がらせをしているつもりなのだろうか。

(それならそれでかまわん)

事ここに至って、ドラクル・リュウケイビッチは開き直ることにした。思うままに行かない逆境でくよくよ思い悩んでも仕方がないではないか。若き日にマズカ帝国の大軍に籠城を強いられて餓死寸前まで追い込まれたところで、百人以下の部下と共に死に物狂いの反撃に出て、奇跡的に脱出に成功した、というのは彼の武勇伝のひとつでもあった。「モクジュの邪龍」の魂は生命の瀬戸際でこそ輝くのだ。

(何を企んでいるのか、生意気な小娘に問い質すことにしよう)

白髪の騎士の顔貌に生気が甦り、来たる戦いにおいて若き英雄と老いた英雄が衝突するのは必至となった。

それから3日後、セイジア・タリウス率いる天馬騎士団はモクジュ諸侯国連邦北方の国境付近に達し、リュウケイビッチ将軍率いる龍騎衆との直接対決が遂に幕を開けたのであった。

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