第24話 2人の騎士、対決する(その2)

「えらいこっちゃ」

訓練場の隅にある木立の中で庭師の老人は慌てふためいていた。植込みの手入れをしていたら、いつの間にかシーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズの決闘が始まってしまって、出るに出られなくなってしまったのだ。このまま夜まで帰れなくなってしまったらどうする、と悲観的になりかけたが、「いやいや」と麦わら帽子をかぶった背の低い老爺はすぐに考えを変える。

「こんなものすごいものを見物できるのも有難い話じゃないか」

既に50年近く騎士団で仕事をしている彼から見ても、シーザーとアルの2人は歴代の騎士の中で傑出した存在だった。そんな精鋭同士が本気でやりあって、どちらが勝つのか、興味がないはずがなかった。じっくり見させてもらおう、と手を握りしめた彼だったが、

「ん?」

ただならぬ気配が茂みの奥の方から漂ってくるのに気づいた。部外者が何処かから入り込んだのか、と思って注意を与えようとする。騎士団本部はれっきとした軍事施設であり、無断で立ち入った人間は厳罰に処されることになっていた。老人としては、騎士たちが気づく前に出て行ってもらおう、と侵入者の身を案じての行為だったが、話しかけようとして二重の意味で固まってしまう。ひとつには侵入者が身にまとった強烈なオーラだ。人間のものよりは獣に近い。そして、もうひとつはその気配がかつて老人がよく知っていたものだったからだ。再会のなつかしさに、そして深い敬愛の念が胸に溢れ、庭師は帽子を外して深々とお辞儀をしていた。

「久しいな、カデナ」

向こうの方が先に老人に気づいていたようだが、意外とは思わない。かつてこの国を守護し、そして騎士団を率いていた人物なのだ。身の回りの警戒を怠るはずがなかった。

「お久しゅうございます、将軍閣下」

うむ、とティグレ・レオンハルト将軍は庭師の老爺に応じる。頭からすっぽりとフードをかぶってはいるが、唯一残った左眼が眩しく光っているのが見えた。

「どうしてこのような場所に?」

カデナ老人の疑問は当然のものといえた。将軍ともあろう者がこそこそと訓練場の片隅に隠れているのは明らかに奇妙だった。堂々と入ってくればいいではないか、と思っていると、「いや、なに」とこの偉丈夫は小さく咳払いをしてから、

「わしは一線を引いた身だ。若い者に気を遣わせるのも心苦しい」

と苦笑いを浮かべた。はあ、と相槌を打ちながらも、老人は半分くらいは納得していた。「アステラの猛虎」が見ている、と知れば今から戦う2人の騎士も心理的に大きく影響を受けずにはいられないだろう。特に息子であるシーザーには多大なプレッシャーがかかるはずだった。自分の存在が勝敗に影響するのを避けたい、という思いは理解できたが、それでもまだ疑問は残った。

「シーザー様がお知らせになったので?」

だから訊ねていた。将軍が都を去って田舎で隠棲しているのは当然知っている。それがどうして今日この場に居合わせたのか、その疑問も当然のものであったが、「まさか」と言いたげに一笑に付された。

「ただの勘だ。都の方で何かがある、と妙に血が騒いでな。それで来てみたら、こんな騒ぎに出くわした、というだけにすぎない」

やはりおそろしいお方だ、と老爺は身をすくめて小柄な身体をさらに小さくした。「ただの勘」で息子の対決を察知するなど、常人にできることであるはずがない。引退したとはいえ、将軍は今でも英雄であり続けているのだ。かつて憧れていた人が健在であることが無性に嬉しく、庭師は感に堪えたかのように大きく息をついてから、帽子をかぶり直す。その一方で、

(ひよっこどもがどこまでやれるか、見させてもらうぞ)

レオンハルト将軍も胸の高鳴りを禁じ得ずにいた。いい年をして野次馬だか出歯亀みたいに覗き見している我が身に呆れる思いもあったが、それでも自分の後を継いで王国の守護者となった若者たちの真剣勝負を見逃せるはずもなかった。もっとも、かつての闘将にも彼らが決闘する理由までは把握することはできず、恋のために戦っている、と知ったならば「馬鹿者どもが」と大笑したに違いなかった。たかが色恋で、と呆れながらも、されど色恋だ、と同じ男として共感せずにはいられないはずだった。

「なかなか始まりませんな」

庭師の視線の先には向かい合った若き騎士たちの姿があった。シーザーは槍を両手に取り、アルの右手にはレイピアが握られている。ともに構えを取り、戦闘態勢にあったが、互いに微動だにせず長いこと睨み合っているだけなのに、カデナ老人は不審を覚えたが、

「いや」

老将軍は特に感情を交えずに事務的ともとれる呟きを漏らした。彼の目には常人とは異なる光景が見えていた。

「もうとっくに始まっておる」


「どうして2人とも動かないんですか?」

誰かがそう言ったのに呆れて、何人かの騎士が小馬鹿にしたように声の主を確認してから、「そういうことなら仕方がない」と言いたげな表情になって、すぐに視線を訓練場の方へと戻した。疑問を呈したのは、まだ入団したばかりの少年だった。どこか勘の鈍そうな顔つきで、額に吹き出物が出来ているのは精力が有り余っているせいだろうか。

「新入りは黙って見ておくんだな」

すぐ隣にいる四角い顔をした黒い短髪の男が鋭く注意を与えたのに苛立ちを覚えた少年は口答えをしようとしたが、男の顔に緊張感がみなぎっているのに気づいて何も言えなくなってしまう。何かが起こっている、とようやく気付くが、それが何であるのかに気づけないのがもどかしく、もう一度2人の騎士の方に目をやる。依然として動きはなかった。激しいバトルが繰り広げられるもの、と思っていた少年には期待外れと言ってもよかったが、彼以外の騎士たちはみな息をするのも忘れて2人を見つめている。疎外感を味わいながらも、それでも先輩たちと同じものを見ようとしていると、

(え?)

はっきりと見えたわけではないが、何かを感じ取っていた。取り立てて才能があるわけではなかったが、騎士の道を志した少年の本能に訴えかけるものがあったのだろう。もういちど目を凝らしてみる。見えないものまで見ようとした。すると、

(ああっ!)

少年の目に新たな世界が広がっていた。対峙する戦士たちの間に無数の交錯が見えるではないか。シーザー・レオンハルトの槍が、アリエル・フィッツシモンズの剣が、それぞれ白い光跡を残しているのがまざまざと見て取れた。それは肉体の動きではなく、精神あるいは気迫の動きに過ぎないのかもしれなかった。だが、王立騎士団の団長と副長は現実に戦っているのだ。一瞬でも気を抜けばたちまち敗れ去る、命のやり取りは既に始まっていたのだ。

「やっと気づいたようだな」

背後から落ち着いた声が聞こえてきた。何かと世話を焼いてくれる年配の騎士だろう、と新入りは思うが、今はそれどころではなかった。騎士と騎士の静かなる対決から目が離せなかったのだ。

「よく見ておけ。あれが本当の戦いだ」

はい、と返事をしたつもりだったが、上手く声に出せたかどうかわからなかった。戦争が終わって入団した少年には実戦の経験がなく、それが劣等感になっていた。実際、この場にいる騎士で彼だけが戦いが始まっているのに気づかなかったことを大いに恥じていた。だが、下を見ている場合ではなかった。

(もっと強くなってやる)

そう心に決めていた。そのためには、目の前の死闘から一時たりとも気を逸らすわけにはいかなかった。尊敬する騎士たちの戦いから一つでも多くのことを学んで、彼らに追いつくのだ。わずかな時間だけで少年の心に戦士の道を征く覚悟が出来上がっていたが、観客のことを考える余裕など実際に戦っているシーザーとアルの2人にあるはずもなく、向かい合ったままただいたずらに生命と精神の力を削り合う見えない戦いが続いていた。

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