第25話 2人の騎士、対決する(その3)
このわずか数分で、シーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズは疲弊しきっていた。自ら動こうとして、相手の動きを読もうとして、命を懸けた結果、肉体からエネルギーが失われ、滝のように流れ落ちた汗が2人の足元に溜まっていた。だが、
(まあ、これくらいはやってくれないとな)
(やはり手強い!)
意気はますます盛んになっていた。なんとしてでも打ち倒すのだと、生き残ってやるのだと気持ちを新たなものにする。そして、
「あっ!」
誰かが叫んだのは、遂に2人が動き出したからだ。どちらが先、というわけでもなく、ほぼ同時に動き出していた。しかし、観戦していた騎士たちはいささか拍子抜けしてしまっていた。というのも、騎士団のトップ同士だけあって死闘を期待していたにもかかわらず、団長と副長の動きは取り立てて激しくはなく、凄みも感じられなかったためであった。横薙ぎに旋回する槍にも、振り下ろされる剣にも「怖さ」を感じられない。これなら通常の訓練でやっているものと代わり映えがしないではないか。
(さすがに本気で殺し合うわけではないのか)
ほとんどの騎士がそのように安堵しつつも失望もしていたのだが、シーザーとアルを見守っている者の中でただひとり2人の動きの本当の意味を見抜いている者がいた。
「この領域にまで達していたか」
レオンハルト将軍が思わず唸ったのに、横にいた庭師のカデナ老人が驚く。
「どういうことでしょう?」
我知らず声を出していたのに気づいた老騎士は、ふっ、と枯れた味わいを漂わせながら笑みを浮かべると、
「カデナ、おまえにはあの2人がどう見える?」
はあ、と思いがけない質問に驚きながらも、小柄な老爺は、
「わたしは門外漢ではございますが、仕事をしておりますと、騎士の皆さんがあのように立ち合われているのをよく見かけます。今の団長様と副長様の動きもそれと同じようなものではないかと」
「なるほど。おそらく、向こうにいる連中にもそのように見えていることだろう。だが、実はそうではない」
「違うのでございますか?」
うむ、と将軍は重々しく頷く。
「今、あいつらがやっていることは、一見通常の訓練としか思えないが、それとは似て非なるものだ。というよりも、最高のレベルで訓練している、と言った方がいい」
青年騎士も少年騎士も両方とも基礎的な動きしかしていない、騎士ならば新人のうちに教えられるものだ。しかし、その精度が桁違いに高いものである、ということは、騎士であっても相当なレベルに達した者でしか見抜くことはできないはずだった。
「並の騎士が今のシーザーかフィッツシモンズと立ち合えば5秒とかからず絶命しておる。避けることも受けることもできぬままに、自分が負けたことにも気づかずにあの世行きだ」
ひええ、とカデナは声を漏らしてしまう。そんな恐ろしい攻撃を繰り出すのも耐えきるのも超人としか言いようがない。
(基礎を鍛えあげるのは地道で苦しい作業だ。日々たゆまず努力を積み上げていくしかない。戦争が終わっても、あの2人が研鑽を続けていた何よりの証だ)
才能に驕ることなく、日の当たらぬ場所で己を高め続けていた若き勇者たちを老いた英雄は暖かなまなざしで見守った。
そのうちに、騎士たちの顔色が変わってきた。2人の騎士がやっていることの凄さをようやく理解しつつあった。
(おいおい)
(こいつはとんでもないぞ)
といっても、団長と副長の動きに特段の変化があったわけではない。というより、何も変わらないことこそが驚くべきことであった。同じ速さで5分以上も正確に動き続けることが、どれだけ驚異的なのか、同じ騎士だからこそわかっていた。しかし、当の本人たちはあくまで冷静だった。
(そろそろ身体も温まってきたか)
シーザーが犬歯を煌めかせて獰猛に笑い、
(機は熟した)
アルもいつもはしまいこんでいる殺傷本能を整った容貌から露出させる。そして、
「来る」
レオンハルト将軍が呟いたのと同時に、2人の騎士の一撃が激突し、そこから生まれた衝撃波が訓練場の四方へと拡散していく。
「ひえええっ」
突風に飛ばされないように帽子を手で押さえる庭師の老人の隣で「アステラの猛虎」は身じろぎもせずに対決の行方を見つめ続ける。老将軍の隻眼は、本気を出した2人の姿をしっかりと捉えていた。「アステラの若獅子」の繰り出す槍は死の旋風となって空間を闇色に染め、「王国の鳳雛」が振るう刃は銀の閃光となって時間を凍結させる。
「やべえ」
勇敢な騎士たちでさえも震え上がっていた。人のなし得る極限の破壊を目前にして、怯えない人間など居はいないのだから、彼らを臆病だと嘲笑うことはできない。だが、
(あれがおれたちのリーダーなんだ)
と誇らしく思う気持ちもあった。あの人たちについていけば間違いない、と仰ぎ見る思いが湧き上がる。そして、
「いけ!」
「そこだ!」
大きな声で声援を送っていた。どちらか一方ではなく、両方を応援する。自分には手の届かない強さを身に着けた男たちを賛美する、純粋な思いで声を限りにして叫んでいた。中には泣きながら声を張り上げる者もいた。あたりには耳を聾さんばかりの金属音が轟いていた。槍と剣と鎧がぶつかり合う音だ。だが、
(やれやれ。これじゃあみっともないところを見せられないじゃねえか)
(困ったやつらだ)
部下たちのエールは戦う2人にもしっかりと届いていた。激励も力に変えて男たちの戦いは続く。互いの身体には無数の傷がついていた。直撃はしていないが、かすめただけでも、すぐそばを駆け抜けただけでも、肌が破れ血が流れた。致命的な攻撃を繰り出しながらも、シーザーとアルの胸は奇妙に晴れやかだった。もちろん恐怖はあったが、それとともに、この時間をいつまでも楽しんでいたい、という矛盾した思いのままに、戦いは続く。
この戦いの時点において、シーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズの実力にさほど差があったわけではない。膂力は青年が上回っていたかもしれないが、それでも勝敗を決するほど圧倒的なものではない。つまり、2人の実力は極めて高いレベルで競り合っている、と言えたのだが、しかしながら、2人には決定的な違いが存在した。
(やるか)
アルは心を決めた。「秘策」を実行する時が来たのだ。もとより、少年は自分が負けるとは思っていなかった。だが、青年に勝てるとも思っていなかった。勝利を収めるためには何らかのプラスアルファが必要で、そして、その手段を彼はちゃんと見つけていた。
(もう時間がない)
「王国の鳳雛」は自らの不利を悟っていた。体力の削り合いになれば屈強な肉体を持つ上官にはかなわないだろう。そして、現にスタミナもスピードも失われつつある、と自覚していた。やるなら今しかない。決して容易なことではないが、これ以上躊躇していては作戦を実行する体力もなくなってしまう。
(寝ぼけてんじゃねえぞ!)
相手の動きがわずかに鈍ったと見たシーザーの踏み込みが鋭くなる。しかし、これこそがアルの狙いでもあった。勢いのある攻撃は恐ろしいが、それだけに隙もできる。そこに付けこむのが少年騎士の狙いだった。
「おら! おら! おらあ!」
一撃、二撃、三撃。全てを破砕せずにはおかない魔の槍をアルは紙一重で避ける。当たらなくても、傍をかすめただけで生命力をごっそりと持っていかれたかのように気が遠くなる。だが、ここからが正念場だった。人生において命を懸ける場面があるとしたなら、今日この時がそれにあたるはずだった。
(セイさん、行きます)
決死の瞬間に、アルは愛する女性の姿を脳裏に思い描いていた。
「おらあ!」
シーザー・レオンハルトの渾身の槍がアリエル・フィッツシモンズの胴を貫いたのを、その場にいた者は目撃した。そう思わずにはいられないほどの見事な一撃だった。ついに勝敗は決した、と誰もが思ったが、
「む!」
いちはやく幻から覚めたレオンハルト将軍は信じがたい光景を目にして、左眼を大きく見開く。遅れて気づいた騎士たちも「ああっ!」と絶叫する。
(嘘だろ)
シーザーは唖然としてわずかに視線を上げた。信じたくはなかったが、間違いはない。自分が持つ槍の穂先の上に乗ったアリエル・フィッツシモンズがレイピアの切先を自分の喉元につきつけているのは、まぎれもない現実であった。
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