第23話 2人の騎士、対決する(その1)
その日の朝、目覚めがあまりにもすがすがしかったので、シーザー・レオンハルトはしばらくの間寝床で戸惑ったまま動けなかった。彼の住むビルの大家のおばさんが作ってくれた朝食を摂りながらも、その戸惑いは消えず、ぼんやりしていたおかげで味もよくわからないまま食事を済ませてしまった。いつものように騎士団の本部に向かおうとして、「行ってらっしゃい」とやはりいつものようにおばさんに送り出されながら、ふと見上げた冬の青空に細長い雲が一筋浮かんでいるのを見たときに、彼の心は決まっていた。
「今日は死ぬにはいい日だ」
そんな風に思っていた。本当に大事なことはじっくり考えるまでもなく、いつの間にか自然と決まってしまうものなのかもしれなかった。
他人から見れば重大な決意かも知れなかったが、当のシーザー自身にはまるで気負ったところはなく、出勤するといつものように団長室で雑務をこなし、きびきびした態度とさわやかな受け答えに、お茶くみの女性は顔を赤らめ、「団長さん、いつも素敵ね」と手狭な厨房で仲間たちときゃあきゃあ言い合ったのだが、そんなことは青年騎士の感知するところではなかった。ただ、いつも彼の傍に控えていてあれこれ口出ししてくる副長のアリエル・フィッツシモンズがいないことには気付いていた。朝からずっと不在にしていたが、無断欠勤だとは思わなかった。
「あいつもわかっているようだ」
そう思って、避けられない瞬間が巡ってくる確信をより強める。昼食は摂らなかった。大事を前にして腹を満たすのを避けるのは騎士の心得であったし、それ以前に何も食べる気がしなかった。緊張しているのか、興奮しているのか、おそらくその両方だろう、とシーザーは思いながらも、午後も変わらず仕事を続け、そのうちに一日の業務はすべて終了した。
「さて、と」
机から離れると、団長室の片隅に常置されている鎧を手早く身に着け、愛用の槍を手に取った。狩りに臨む獅子が準備運動をしないのと同じく、常に臨戦態勢にある彼にはウォーミングアップなど必要ない。鼻唄混じりで廊下を歩き、建物から訓練場へと歩き出た。誰もいない広大なフィールドには人の姿はなく、しっかり踏みしめた足元を寒風が吹き抜けていく。すると、向こうから誰かが歩いてくるのが目に入った。「誰か」といっても、今日この場にやってくるのが他の誰でもないことをシーザーはわかっていて、実際に彼の予想通りの人物が目の前へとやってきた。
「気が合うみたいだな」
そう言って、にやりと笑うと、
「遺憾ながらそのようです」
アルが溜息をついた。相変わらず生意気な野郎だ、と笑ってしまうシーザーだったが、
「来てくれなかったらどうしようか、って気を揉んでいたから、おれとしては感謝したいところだ」
「ぼくも感謝してますよ」
少年騎士はそうつぶやいてから、
「あなたを超える貴重な機会をいただけて、本当にありがたく思っています」
目の輝きに気持ちの高ぶりがそのまま見て取れた。「言ってろ」と笑い飛ばしたが、たぶん自分の目も同じようにぎらぎら光っているのだろう、とシーザーは思う。彼もまた少年との対決を心待ちにしていたのだ。強い相手と戦いたい、という戦士の本能が満たされるときがやってきて、喜ぶなと言う方が無理だった。
かくして、シーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズの決闘がこれより始まろうとしていた。アステラ王国王立騎士団のトップ同士が争う理由はただひとつ、彼らが同じ女性を愛してしまったことにあった。といっても、力ずくの争いによって決着をつける、というのは必ずしも2人の望むところではなかった。本来であれば、双方が揃って正々堂々と女性に愛を告げて、彼女の選択に身を任す、というのが理想的なはずで、騎士たちもそれを望んでいた。だが、彼らの愛した女性はいまや遠く離れた場所にいる、という難題が存在した。シーザーとアルは恋する男というだけではなく騎士でもあった。恋の告白は彼らにとって人生の重大事ではあったが、だからといって国の守りを預かる騎士団のナンバーワンとナンバーツーが揃って遠方に出かけて、首都をがら空きにするわけにはいかない、というのを十分理解していた。したがって、告白に出向けるのは一人しかいない、ということになる。戦争のプロフェッショナルである彼らは「先手必勝」という格言の正しさを痛いほど思い知っていて、またそれが人生のあらゆる局面にもあてはまることを、恋愛もまた同様であるとよくわかっていた。告白の先後が運命の分岐点となるのだ。2人がこれより戦う理由もそれにあった。勝者が先に告白する権利を得るのだ。
「まあ、そんな理由でおれたちがやりあった、ってあいつが知ったらこっぴどく怒られそうだが」
シーザーが苦笑いを浮かべると、
「ぼくはあの人に怒られるのも結構好きなんですけどね」
アルも笑った。
「なんだ、おまえ、やっぱり変態だったのか?」
「『やっぱり』ってなんなんですか。ぼくをどういう目で見ているんですか」
「いや、アブノーマルな性癖を隠しているんだろうな、と思っていただけだぞ」
「『だけ』で済むと思ってるんですか。立派な誹謗中傷じゃないですか」
いつも通りに他愛ない口喧嘩ではあったが、決戦を前にして「いつも通り」に振舞える2人の度胸を褒めるべきなのかもしれなかった。すると、どたどた、と大人数が走ってくる足音が聞こえた。
「あん?」
「なんでしょう?」
2人が音がした方を見ると、彼らの部下である王立騎士団の騎士たちがほぼ全員集合しているではないか。息を荒くしているところを見ると訓練場まで急いで駆け付けたらしい。
「おいおい、これは一体何の騒ぎだ?」
団長が呆れた声を出すと、
「2人ともひどいじゃないですか」
集団の中から誰かが大声を上げた。
「ひどい、って、何がひどいんだ?」
「だって、団長と副長の真剣勝負ですよ。おれらだって見たいに決まってるじゃないですか」
「どうしておれらに内緒でこっそりやろうとするんですか」
そうだそうだ、と不満の声があがる。
「そうですよ。こんな面白いもの、見逃したら後悔するに決まってます」
「おれらにも応援させてくださいよ」
もういちど、そうだそうだ、と部下たちに抗議をされてしまう。「おまえ、この話を誰かにしたか?」という思いを込めてアルを見ると、「いいえ」と言いたげな目つきをされたので、「だろうな」とシーザーは考える。今度の決闘は彼らの個人的な事情によるもので、騎士団とは何ら関わりのあることではなかったうえに、ただ喧嘩するだけなのに大声で触れ回る必要など何処にもなかったからだ。だが、騎士たちもやはりプロとして、戦いの予兆をしっかり感じ取っていたのだろう。しかし、それよりも何よりも、強者同士の戦いを間近で見物したい、という方が本音なのだろう、という気がした。騎士といってもその中身は喧嘩好きの荒くれ者なのだ。騒ぎと見ればわけがわからなくても近づきたくなる暴れん坊たちなのだ。
「しょうがないやつらだ」
と騎士団長は噴き出してしまう。自分も同類なだけあって、その気持ちはよく分かった。
「ねえ、団長も副長も意地悪しないでくださいよ。頼みますよ」
泣かんばかりに懇願されれば断るわけにもいかず、
「わかった、わかった。そういうことなら、大人しくそこで見てろ。言うまでもないだろうが、手出しは無用だ」
観戦を許可された男たちから、おお、と喜びの声があがり、午後遅くの真冬の空気を揺るがした。
「悪いな。大事になっちまった」
「別にレオンハルトさんのせいじゃありませんから」
2人は笑い合うが、観客の存在で血がより熱くなるのを感じていた。無様なところは見せられない、という思いが戦意をより高めていく。
(あれ?)
そんな中で、アルは違和感を覚えていた。騎士たちが2人に声援を送っているのだが、シーザーに対するものと自分に対するものが拮抗しているのだ。副長である少年はいつも部下たちを厳しく取り締まる立場で、それを団長が「まあ、いいじゃないか」ととりなして事を収める、というのが王立騎士団のありかただった。部下を思いながらも組織のために憎まれ役を演じていた自分はさぞかし嫌われているのだろう、と覚悟はしていたのだが、
「副長、頑張れ!」
「おれはフィッツシモンズさんについていきますよ!」
そんな暖かい声が聞こえてくる。思いは伝わっていたんだ、とわかった少年の目が潤みかけるが、
「意外と人気者だな」
上官にからかわれて、慌てて首を振って気を取り直した。応援してくれるやつらもいるんだ、と負けられない理由がまたひとつ追加されて、アルの闘志はさらに燃え上がった。
(小僧が野郎どもに慕われているなら、おれに万が一のことがあっても王立騎士団は安泰だ)
シーザーも実は内心で嬉しく思っていた。改めて向き合った今、目の前の少年に情が湧いてくるのが感じられた。生意気な小僧ではあるが、この上なく頼りになる部下でもあった。しかし、だからこそ、戦おう、と思っていた。マイナスの感情だけが人を戦いに駆り立てるのではなく、愛や友情もまた戦う理由となり得るのだ。
(この人に勝ちたい)
アルの中にも青年に対して純粋な思いしかなかった。尊敬しているからこそ超えたい、と心から思っていた。1人の女性をめぐる争いが発端となって、決闘という血腥い形の決着をとることにはなったが、2人の騎士の闘争心は太陽よりも熱く燃え盛り、もはや不純な夾雑物が入り込む隙間など見当たらない。どちらが勝っているのか、力の比べ合いが、命の奪い合いが、男と男の戦いが始まろうとしていた。
「いくぞ」
などとはどちらも口にしなかった。もはや2人の間に言葉など必要ない。黙って見つめ合ったまま、シーザーは槍を手に取り、アルは腰から
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