第17話 女騎士さん、貴族の館に行く(後編)

「貴様、そこに直れ!」

憤怒と共に立ち上がったレノックス・レセップス侯爵は書斎の隅に置かれていた太く黒光りする木の棒を手にしていた。彼は健康のために毎日数百回その棒で素振りをすることを日課としていたが、へまをしでかした使用人を打擲するため道具としても使用していた。男でも女でも構うことなく罰を与える貴族の非情さを象徴するアイテムであるのは、室内にいる家来たちの顔に恐怖が浮かんでいることでもわかった。彼らもこれまでにその打棒の餌食になってきたのだろう。

「その根性を叩き直してくれる!」

「ああ、いや」

怒鳴られたセイジア・タリウスは座っていた机から降りると、

「そういうのはよくないと思うぞ。貴殿のためにならない」

だいぶ年上の男をたしなめてきた。少女が怯えたと思った侯爵は、

「問答無用!」

勝利を確信しながら前に進み出ると、無礼千万な田舎娘の脳天へと全力で棒を振り下ろした。かなりの勢いで固い棒が頭にぶつかれば間違いなく無事では済むことはなく、下手をすれば命を奪うことになるかもしれない。だが、

(かまうものか)

レセップスにはまるで躊躇がなかった。決して犯してはならない身分の壁をこの娘は乗り越えようとしたのだ。彼にとっては死に値する悪行と言えた。しかし、侯爵にとっても予想外だったのは、少女が避ける素振りを全く見せなかったことだ。動かぬまま痛撃を食らうことになるが、1回で事が終わるのは貴族の男にはむしろ喜ばしい事でもあった。不埒者の頭が割れ、2つの眼球が飛び出るのを幻視して、レセップスは自らの勝利と階級制度の未来永劫の存続を確信して大いに満足したが、次の瞬間その予想は裏切られることとなった。

ばき、と大きな音をたてて砕け散ったのは、セイの頭ではなく侯爵が手にしていた棒の方だった。彼女の頭頂部を痛打した先端部分がへし折れて断面を生々しく曝け出しているのに、書斎に居並んだ男たちは驚きのあまり言葉を失う。

(なに?)

レノックス・レセップスの両腕から感覚が失われていた。今、自分が攻撃したのはただの少女のはずなのに、巨大な岩を全力で殴りつけたかのような、そんな手ごたえだった。とてつもなく固く、向こうにはまるでダメージがないのがわかる。そして、

「ぎゃあああああっ!」

絶叫と共に侯爵はへたりこんでいた。自らが生み出した破壊力をそのまま反射されたのだろうか。2つの手に電流が走り、立っていられなくなったのだ。あってはならない醜態だった。屋敷の主人として無様な姿を家来に見せるわけには行かないはずだったが、全身を襲う痺れが男の誇りを吹き飛ばしていた。絨毯の上でのたうちまわる貴族を、使用人たちは呆然と見ることしかできなかったが、

「いったーい」

精一杯かわい子ぶろうとして失敗している娘にも別の意味で呆然とするしかなかった。即死してもおかしくない攻撃を食らったのに、せいぜい拳骨をくらってたんこぶができた程度の不満しか口にしていないのだから、呆れる以外にどうすればいいというのか。自分たちの主人がとんでもない者を相手にしてしまっていたことに、彼らはようやく気付いていた。ああ、いや、と女騎士は床に倒れた男を気の毒そうに見て、

「だから言ったじゃないか。『そういうのはよくない』って。痛い思いをするのはそっちの方なんだから」

レセップスに打たれそうになったセイジア・タリウスは、その一撃が頭にぶつかる前に、自分から進んで木の棒に頭突きを食らわせていた。そのおかげで凶器は破壊されたのだが、一瞬だけ高速で動いたことによってヘッドバットが岩をも砕く威力を発揮したわけであり、別に彼女が並外れた石頭の持ち主と言うわけではない、という事実は申し添えておくべきだろうか。

「わたしは話し合いをしに来たんだ」

それでも痛みはあるのか、額のあたりを右手でさすりながらセイは男を見下ろす。

「話し合い、だと?」

ようやく声を絞り出した男に、

「ああ、そうだ。穏便に話をするつもりだったのだが、つくづく馬鹿なことをしたものだな、侯爵殿。先に手を出してしまった以上、貴殿の方がどうしたって不利になる」

女騎士は家来たちの方を見て、

「な? みんなも見てたよな? きみたちの主人がこのわたしを一方的に殴ったのを。これはもう立派な暴行事件だ」

いけしゃあしゃあと言い放つ三つ編みの娘に男たちは何も言えない。彼女の言った通りだとしても、彼らの前の前にあるのは、元気な被害者と苦痛に呻く加害者、という完全に逆転した構図だった。

「本来であればただでは済まさないところだが、わたしは優しいからな。今回だけは大目に見てやろう」

うんうん、と自分だけで満足しながら、セイは床に落ちた棒の切れ端を拾い上げた。

「今夜わたしがここに来たのは、召使たちが苦しんでいるのをなんとかしてやりたい、と思ったからでもあるのだが、もうひとつ、ジンバ村についても確認しておきたかったんだ。あの村が誰の領地なのか、それを証明するものがこの屋敷にあると思ってな」

セイは彼女なりに理解してもらえるように一生懸命説明したつもりだったが、それを聞いている者は誰もいなかった。彼女の手元に部屋中の視線が集中していた。さっき拾った棒の両端をセイはいつの間にか左右の手で持っていたのだが、

(馬鹿な)

レノックス・レセップスのそこそこ優秀な頭脳が思考できなくなっていた。彼の前に立った少女が棒を絞り上げていたからだ。雑巾ならば水が染み出してくるが、木をいくら強く握ったところで何も変わりはない。それが世間の常識のはずなのだが、信じがたいことにみるみるうちに棒はねじられて、ぴしぴし、と音を立ててひびが入っていくではないか。そして、ばき、とさっき少女が殴られたときと同じ音が鳴って、白く優しげな手の中にある棒が割れていた。さっきまで侯爵の健康器具兼武器だった棒は、ささくれだった単なる木片に見るも無残に変わり果てていた。だが、それに抗議する気はまるで起きなかった。

(ばけものだ)

野暮ったい服を着た娘にただただ恐怖していた。棒をねじりあげた怪力はもちろん恐ろしかったが、それ以上に恐ろしかったのは、彼女が無意識のうちにそれをやってのけたことだった。長時間の会議に退屈していたずら書きをするのと同じ調子で信じがたい破壊行為に及んだ少女に身も凍る思いを味わっていた。あれが棒でなく自分の腕や脚だったとしたら。考えたくもなかったが、どうしても想像してしまう。立ち上がれぬままがたがた震える侯爵が、

「何が望みだ」

やはり震える声で突然叫んだので、

「え?」

説明に夢中になっていたセイは驚く。

「何が望みだ、と言っておる」

恥も外聞もなく叫ぶレセップスに常日頃の尊大な姿はなく、彼に仕える者たちはそれを痛ましく思いつつも、毎日のようにいじめられていたのを思い出して「いい気味だ」とも思っていたのだが、

「おお、わかってくれたか。やはり人と人は話し合えば通じるものだな」

侯爵と初対面のセイは素直に喜んでいた。話し合い以外の要素で男を屈服させたとは全く考えてもいなかった。

「そういうことなら、早速ジンバ村に関する資料を持ってきてもらいたい。もちろん、こちらの言うことを聞け、と言うつもりはない。お互いにとって望ましい解決を目指していこうではないか。ああ、そうそう」

ぽん、と手を叩くと、

「その前にまず、召使たちを今いる部屋から出して暖かい部屋に移してほしい。あのままだと風邪をひいてしまうからな。それと、みんなに温かい食事も出してくれればもっとありがたい」

全てはきっと上手く行くに違いない。そう思って、セイジア・タリウスがにっこり笑った一方で、この娘は自分に破滅をもたらす、と実感した侯爵は身体の震えをますます激しいものにしていた。



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