第18話 女騎士さん、村に戻る(前編)
セイジア・タリウスがジンバ村から連れ去られて3日目のことだった。もう夕方といっていい時間に、モニカは家の裏庭で「ぶち」に餌をあげていた。本来なら馬小屋に入れるべきなのだが、「ぶち」が入るのを嫌がり、この大きな馬を無理に入れようとすると小屋が全壊するのは目に見えていたので、外で面倒を見ることにしたのだ。女騎士の愛馬はいかにも気性が荒そうに見えたが、意外にも暴れることはなく村娘に素直に世話をされていた。もっとも、彼女の父親が近づこうとするとたてがみを逆立てて怒りをあらわにしたので、性格が穏やかになったというわけでもなさそうだった。
「セイジア様、大丈夫かなあ」
この3日間で何度目になるのか、モニカは溜息をついた。自分の身代わりになってくれた勇敢な騎士のことが頭から離れることはなかった。身体が大きいこともあって、「ぶち」の食事を用意するのは毎回大変なのだが、作業をしている間だけは悩みから離れられる気がしたのでかえって有難い気がしていた。黙々と秣を食み続ける大きな馬を見て、モニカは微笑みながらその首筋を撫でる。旺盛な生命力に直接触れた気がして、少女の胸は高鳴った。
「おまえもさみしいの?」
思わずつぶやいたのは、「ぶち」の元気のなさを感じていたからだ。主人が留守にしているのだ、心細くないはずがない、と優しい娘は気遣ったのだが、
(ちゃちい村だが、飯は悪くねえ)
と美食家を気取りながら、かいがいしく世話をしてくれるモニカを横目で見て、
(おまえも悪い女じゃねえが、おれには心に決めた女がいるんだ。ったく、もてる男はつらいぜ)
今度はジゴロを気取っていた。そんな生意気な「ぶち」だったが、セイの不在はやはり寂しいらしく、日毎に不満が高まっていた。これ以上抛っておかれるようなら自分から探しに行ってやろうか、とまで思い詰めていたのだが、
(むっ?)
野性のセンサーがただならぬ反応をキャッチし、茶色い馬は頭を高く上げる。
「どうかした?」
「ぶち」の異変に気付いたモニカは声をかけたが、次の瞬間、ひん! と小さく鋭く叫んでから、若い駿馬は駆け出していた。
「ちょっと。逃げちゃだめだったら」
村娘は慌てて止めようとするが、旋風のごときスピードを止める手立てはなく、呆然と見送るしかなかった。
ちょうどその頃、一台の荷馬車が南からジンバ村に近づきつつあった。
「すまなかったな。きみも早く帰りたかっただろうに」
手綱を軽く握ったセイジア・タリウスは前方を見たまま後ろに声をかけた。
「いえ、そんなことないです」
そう言ったのは荷台に座っているアンナだ。毛布にくるまったまま膝を抱えた彼女の顔は青白く、体調の悪さを想像させたが、それでも目が輝いていたのは長い間帰れなかった生まれ故郷にようやく戻れる喜びにあふれていたせいなのかもしれない。
「他のことに始末をつけてから戻るつもりでいたのだが、思いのほか時間がかかってしまった」
レセップス侯爵の屋敷に乗り込み、侯爵と直談判(セイはそう思っていた)してから、望ましい方向へと解決を図ろうとしたのだが、さすがの女騎士でも一人で全てをやり遂げようとするのはなかなか難しいものがあった。ちなみに、今の彼女は屋敷で見つけた男物の服を着ていて、野暮ったいワンピースも三つ編みもやめていた。
「みんなが帰れることになって本当によかった」
アンナが胸に手を当てながら感慨に浸ると、「そうだな」とセイも同意した。アンナと同じく屋敷で働いていた召使の娘たちをひとまず全員家に帰すことにして、女騎士がひとりひとり送り届けてきたのだ。娘たちの多くは過酷な労働の結果、病んでしまっていて、痩せ細った身体で戻ってきた子供を見た親が泣き崩れるのを何度も見ることとなった。貴族が平民を虐げる現状をまざまざと見せつけられた気がして、自らも貴族出身の若い騎士は胸を痛めずにはいられなかった。
(この土地だけでなく、この国のいたるところでああいうことがあるのだろう)
気持ちが鉛のように重くなるのを感じていたセイに、
「でも、大丈夫なんですか?」
アンナが声をかけてきた。
「何の話だ?」
金髪の騎士が訊き返すと、「いえ」と善良な娘は少し口ごもってから、
「屋敷を出るときに、旦那様が怒鳴ってきたじゃないですか。だから、大丈夫なのかな、って心配になったんです」
「ああ、あれか」
セイはそのときのことを思い出して笑いそうになってしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます