第15話 女騎士さん、貴族の館に行く(前編)

ジンバ村の少女モニカの身代わりとなったセイジア・タリウスが「領主」の屋敷に着いた頃には既に夜になっていた。

「やっと来たか」

建物の中に入ったセイを待ち受けていたのは執事らしき男だった。愛想のかけらもない冷酷な顔をしている。

「さっさと来るんだ」

そう言って、いかにも垢抜けない田舎娘の手を強引に取ろうとするが、

「はい。さっさと行きます」

にこ、と笑われて、手が止まった。男にもよくわからなかったが、そのまま手を伸ばすと恐ろしいことが待っている気がしたのだ。

「うむ。こっちに来い」

内心の焦りを押し隠しつつ、執事は娘に着いてくるよう促した。

(公爵殿の屋敷に似ているな。田舎の貴族の様式なのだろうか)

かつて婚約していた頃を思い出しながら、セイは建物の中を見渡しながら歩く。間取りを理解しておけば、いざという時のために役立つはずなので、頭に入れておく作業をこの女騎士は常に無意識のうちに行っていた。

「やけに疲れているようだがどうした?」

執事は娘をここまで連れてきた使いの男に訊ねた。使者の息は荒く、頭が下がっているせいで、ただでさえ低い身長がさらに低く見えた。

「いや、おれにもよくわからないんですが、まるで生きた心地がしねえんでさ」

男が疲れ切っている理由はとても単純なことで、セイと長時間同じ馬車に乗り合わせたおかげだった。猛獣と一緒に檻の中に閉じ込められたのと同じことだ。寿命が何十年縮まってもおかしくはない。その一方で、女騎士は元気そのもので、

(まさかまたこの格好をするとはな)

と可笑しく思ってもいた。くすんだ金色の髪を三つ編みにして、前髪で目を隠し、顔にはそばかすを散らすという、「くまさん亭」で働いていた頃に毎日していた変装を今の彼女はしていたのだ。

(ジンバ村まで来てセシル・ジンバになるというのもなかなか面白い)

素のままだと村娘だと思われないので変装することにしたわけだが、

(モニカは泣いて感謝してくれていたが、あの子のためにだけやっているわけでもないんだ)

少女の身代わりになるのは自分のためにもなる、とセイは考えていた。ジンバ村から税を取り立てている「領主」の元に乗り込める機会を逃がす手はなかった。それにここの「領主」には気になることがある、と思っているうちに、男たちが階段を下りていくので、セイもその後を追って地下へと向かう。

「ここが召使の部屋だ」

執事の声が灯もまばらな暗い廊下に響く。いかにも頑丈そうな扉の前まで3人は来ていた。

「この中に仲間もいる。明日から早速働くことになるから、いろいろ教えておいてもらうんだな」

ぎい、と重々しい音を立てて扉が開いても、村娘が腕を組んで立ったままなので、

「何をしている。さっさと入れ」

執事がわめくが、

「いや」

田舎の少女は慌てる男を鼻で笑い飛ばし、

「召使の部屋、というよりは地下牢みたいだな、と思いまして」

その言葉を聞いた執事と使者の顔に明らかな動揺が走り、

「何を申すか。無礼であるぞ貴様。侯爵様のために働けるのを有難く」

「はいはい。そんなに怒らないでくださいまし」

怒鳴られても一向に堪えた様子を見せずに、三つ編みの娘は部屋の中に足を踏み入れてから、

「おやすみなさーい」

と小さく手を振ってから、自分から扉を閉じた。あまりにも落ち着き払った様子に2人の中年男は呆然と立ち尽くすしかなかった。

「ふむ」

外から鍵がかかる音がするのを聞いてから、セイは室内を進む。遠くにランプの小さな明かりがひとつだけ見えるが、それがかえって部屋を暗く見せているように思われてならなかった。それよりも何よりも凍えそうな寒さだ。石造りの部屋には暖房が入っていないようで、下手をすれば野外よりも冷たいのかもしれなかった。何人かの気配がする、と思ったのと同時に、

「あんた、新入りかい?」

声をかけられた。疲れの沁みついた元気のない声だ。暗闇をものともしない女騎士の優れた視覚は、若い女性の白い顔をいくつも見つけ出していた。

「まだ若いのに。かわいそうに」

別の誰かの声がした。今置かれている状況を悲しんでいるとともに、抜け出せないものと諦めている、そんな思いを感じさせるものだ。そこでセイは、はっ、と思い出した。

「いきなりですまないが、この中にジンバ村のアンナはいないか?」

真っ暗な部屋に白い波紋が立ったのが見えた気がした。しばらくの後、

「アンナはわたしですが」

おずおずと話しかける声がした。おお、それでは、と声のした方へと女騎士は歩き出す。

「きみがアンナか」

1人の女性の前まで来ていた。確かにモニカによく似ている。

「はい。そうですが、あなたは」

「わたしはモニカの代わりにここまで来たんだ。きみの妹の代わりにね」

そう言われると、アンナは身体を震わせながら、セイにつかみかかっていた。

「妹が、モニカがここに来てるんですか?」

「ああ、いや、そうじゃない。連れて来られそうなところだったのを、わたしがその代わりになった、ということだ。妹さんは無事だから安心するといい」

丁寧に説明するとアンナはようやく安心して、

「ごめんなさい。興奮しちゃって」

女騎士の身体から手を離す。

「いや、家族を心配するのは当然のことだ。興奮しない方がおかしい」

セイは笑ってみせるが、

「そういうことじゃないんです」

と暗闇の中でアンナは俯いた。

「そういうことじゃないとしたら、どういうことなんだ?」

「ここに来るときに、それにここに来てからもお願いしてたんです。わたしが一生懸命働くから、妹には、モニカには決して手を出さないでくれ、って何度も言ってたんです」

それなのに、と掌で顔を覆った娘をセイは悲しい思いで見守る。約束を反故にされた、というよりも、最初から約束を守るつもりなどなかったのだろう。村娘のふりをした騎士の中で非道に対する憤りが燃え上がりつつあった。

「妹さんはきみを心配していたが、大丈夫か?」

「はい、一応なんとか」

その言葉を額面通りには受け取れなかった。かつてはふくよかだった顔がしぼんで、若さも活力も失われてしまっているのを女騎士は感じ取っていた。

「ここではどんな仕事をしてるんだ?」

「朝から晩まで働き通しです。屋敷を常に最高の状態にしておかないと、旦那様がお怒りになるので」

旦那様ね、と皮肉な思いがセイの胸に浮かぶ。若い女性たちを暗い部屋に押し込める人間がまともなはずがなかった。

「でも、わたしはまだいい方なんです。男の人たちは農場できつい仕事をやらされて、怪我や病気で動けなくなっても鞭で叩かれていじめられて大変だって聞いてます」

困難な状況にありながら、自分よりも他人を思いやる心を失わないアンナに、セイは大きく心を動かされるのを感じたが、ごほごほごほ、と突然目の前の娘が激しく咳き込んだので驚く。

「おい、大丈夫か?」

「すみません。近頃特に寒いので、風邪を引いたのかもしれません」

ジンバ村から来た娘は笑ってみせたが、

(嫌な咳だ)

ただの風邪ではない、と女騎士は考える。寒気もさることながら、この部屋は埃っぽかった。肺を病んでもおかしくはない。アンナだけでなく他にも同じような咳が部屋のあちこちから聞こえてくる。

(わたしは悠長に考えすぎていた)

そう認めざるを得なかった。「領主」の屋敷で様子を見ながらじっくり調べるつもりでいたが、予想以上に状況は悪く、思っていた以上に「領主」はろくでもない人間のようだった。うかうかしてはいられない。心を決めたセイジア・タリウスが立ち上がったのを、アンナだけでなく他の召使も驚いて見つめる。

「計画変更だ」

「はい?」

いきなりわけのわからないことを言い出した新入りに室内の誰もが呆れるしかなかった。

「きみたちをこのまま抛ってはおけない。今夜のうちに問題を解決する」

そう言って入り口の方へと歩き出した。

「何処へ行くんですか?」

アンナが問いかけると、

「ここの主人に話をしてくる。そういえば、挨拶もまだだったしな」

事も無げに言い放ったので、全員が絶句する。

「でも、鍵がかかってるんだよ?」

誰かがそう忠告してきた。外から鍵がかけられているため、中から開ける手段はなかった。火事になっても逃げられないじゃないか、とセイは内心苦い思いになったが、

「大丈夫だ。わたしは鍵を持ってるんだ」

そう言うと、扉の前に立ってから、思い切り蹴りを食らわせた。どごっ、と大きな音と共に、分厚い木製のドアが吹き飛び、廊下から締め切った室内に空気が流れ込んでくる。

「な? 言った通りだったろ?」

事も無げににっこりと笑った三つ編みの娘に、召使たちは言葉を失う。なるほど、その鍵ならばどんな扉でもこじ開けてしまうことだろう。世界に一つだけのマスターキーだ。

「じゃあ、待っていてくれ」

すたすた、とセイジア・タリウスは歩き去る。彼女の姿が見えなくなると、

「アンナ、あれは一体誰なの?」

仲間たちが質問を投げかけてきたが、

(わたしに聞かれても)

アンナは困ってしまう。妹の代わりに来た、といっても初めて会う人なのだ。正体を知っているはずもなかった。そもそも名前も聞いていない。

(でも、もしかしたら、あの人がわたしたちを助けてくれるのかも)

決して悪い人ではない、ということだけは、アンナにもわかっていた。

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