第14話 村娘(?)、連れ去られる

セイジア・タリウスとジンバ村の少女モニカが話をした次の日の午後、村に一台の馬車が乗り入れていた。

「ええい。早く連れて来ぬか!」

馬車に乗ってきた男が怒鳴り声をあげている。身なりの良さから、村人よりも高い身分の人間だと見当がついた。

「隠し立ていたすと、この村のためにもならんぞ」

いかにも短気そうな背の低い男はすぐそばにいた若い村長をにらみつける。

「いえ、決してそのようなことは」

ハニガンは慌ててそう言うが、心の中では不平が渦巻いていた。3日前に急に手紙が届いて知らされてからずっと消えない思いだった。

(いくら領主さまのためとはいえ、大事な村人を差し出せというのはあんまりだ)

しかも、その対象が若い娘なのだから、目の前は余計に暗くなる。この村の若い娘といえばモニカしかいない。連絡が来てから、村長自らよく言い含めて、彼女も大人しく受け入れてくれたはずだったのだが、そのモニカの姿は何処にもなかった。

(逃げてほしいが、それだとどんな罰があるかわからない)

どちらに転んでも村にとって不幸な事態になることには変わりはなかった。ハニガンだけでなく、馬車を遠巻きにして見守っている村人たちも苦しげな表情を浮かべていた。

「お願いでございます。どうにかお見逃しいただけないでしょうか」

そんな中でただ一人、領主の使いに頼み込む者がいた。ごま塩頭の頑丈そうな身体をした男だ。モニカの父ベルトランだ。

「何を言うか。おまえの娘は侯爵様に取り立てられるのだ。大変な名誉であるのだぞ。光栄に思うがいい」

だが、小男はまるで取り合わない。村人の言うことなど鼻から聞くつもりはないのは明らかだった。こいつらとは身分が違う、という思いが使者を傲慢にさせる一方で、村人たちを萎縮させていた。

「しかしながら、この子の姉も領主さまの元へ行ったきり帰ってきません。娘を2人とも連れていかれては、わが家の暮らしは成り立たなくなります」

だが、ベルトランだけはひるまなかった。子供への愛情は身分の壁を超えるのかもしれなかった。

「それならばなおのこと誇るべきであろう。おまえの娘たちは侯爵様のお役に大いに立っているのだからな」

思わぬ抵抗にたじろぎながらも、使いの者は傲然と言い放ったが、

「アンナが連れていかれてもう1年が経つというのに、一度も帰ってこないではありませんか。あの子は一体どうしてしまったのです?」

父親はとうとう小男につかみかかった。まずい、と思ったハニガンが割って入ろうとするが、それより早く、

「こらえてくれ、ベルさん」

「面倒を起こさないでくれ」

他の村人たちが背後から年をとっても頑健な男の身体をおさえつけていた。

「離さぬか、無礼者!」

体格では圧倒されていた使者だったが、村人の助けもあって、ベルトランを地面に押し倒すのに成功していた。

「よくもやってくれたな。おれは貴様のような下郎に触られる身分ではないのだ」

下衆な本性をあらわにしながら小男は哀れな父親を何度も蹴りつけた。明らかに過剰な暴行だったが、村長をはじめとして、罰を恐れて誰も止めることはできなかった。

「たわけ者がっ!」

領主の使いは腰から剣を抜き払って、横たわったベルトランを斬りつけようとする。さすがにそれは、とハニガンがようやく動き出そうとしたそのとき、

ぐるぐるぐるぐるぐる!

凄まじい勢いで使者の小さな身体が浮き上がり、空中でスピンし始めたではないか。突然の出来事に村長もモニカの父も他の住民も呆然とするしかない。

「な、な、な、な、な」

数十秒間旋回した後、ようやく着地した男は完全に目を回して足をふらつかせていた。激しく回転したせいで三半規管がその機能を喪失していたのだ。すると、

ぐるぐるぐるぐるぐる!

もう一度使者は宙に浮かんで高速で回転する。ただし、今度はさっきとは反対に回る。「うああああ」と情けない悲鳴が午後も遅くなったのどかな山間の村に響き渡る。それからまた数十秒後に男の身体は地面に降り立っていた。

「む、む、む。一体何があったのだ」

顔からは粘っこい汗がダラダラ流れ、髪はバサバサに乱れていたが、使者の足元はしっかりしていた。一度回転した後で逆方向に回転したおかげで平衡感覚が立ち直った、ということなのかもしれなかった。

「この村には、時折つむじ風が吹くので、そのせいでございましょう」

いつの間にか、領主の使いの前に1人の娘が立って笑っていた。いかにも村の娘らしい野暮ったいワンピースを着て、くすんだ色の髪を三つ編みにまとめ、目は前髪で隠れている。

「それは知らなんだ。実にすさまじいものだな」

急いで威儀を正しながら小男は冷静になろうとする。この村で大人の身体を吹き飛ばすほどの風が吹くとは聞いたことがなかったが、今の仕業が人間にできるとは思えなかったので、そう考えるしかなかった。ましてや、目の前の少女にできるはずもない。

「もしや、おまえがモニカか?」

使者の問いに、娘は黙ったままにっこり微笑む。ジンバ村の若い娘はモニカしかいない、という情報を得ていたので、やはりそう考えるしかなかったが、どうも釈然としない思いを小柄な男は抱いてしまう。

「モニカは小さな娘と聞いておったが」

娘は長身で使者とほぼ同じ背の高さ、というのはあくまで男の判断で、第三者が見れば明らかに彼女の方が身長では上回っていたが、

「育ち盛りなんです」

とあっさり答えられたので、まだ10代なら急に大きくなることもあるかもしれない、と納得するしかなかった。

(これからよそに連れていかれるにしては妙に落ち着いてやがる)

その点も男に不審に感じられた。これまで何十人もの娘たちを田舎から領主の元へ連れ去ってきたが、ここまで冷静な少女は見た覚えがなかった。尋常でない腹の座り方だ。後になって考えれば、ここで彼はもう少し検討すべきだったのかもしれないが、

「まあ、よい。自らここまでやってきた心がけは神妙である。侯爵様もお喜びになるに違いない」

既に予定の時刻を過ぎていたことが男を焦らせていた。屋敷に着くのが遅れれば、上司から厳しく叱られるに違いなく、それは避けたかった。村人たちより身分は上といっても、この男も下層階級で苦しみにあえいでいたのだ。

「では、参るぞ」

使者が馬車に乗り込むと、娘は居並んだ人々に一礼をしてその後に続いた。2人を乗せた馬車が南へと走り去り、それを見送ってから村人たちは顔を見合わせる。

「今のは一体誰だ?」

そんな声を口々に漏らしていた。あんな娘は見たことがなく、皆がよく知るモニカであるはずがなかった。そのとき、

「モニカ!」

地面に倒れ込んでいたベルトランが跳ね起きて走り出した。その行く手には彼の娘がとぼとぼと歩いているではないか。奪われて戻らないはずだった娘を父はしっかりと抱き寄せた。

「おまえ、いったいどうして」

そう言ってからベルトランはモニカが馬を連れていることに気づく。しかも、ただの馬ではない。茶色い身体に白い斑点がついた、とても大きな馬だった。

「留守にする間、この子の面倒を見ておいてくれ、ってセイジア様に頼まれたの」

「セイジア様、だって?」

父親だけでなく、村の人々は誰もが驚く。

(じゃあ、まさか今のは)

遅ればせながら、ハニガンは真相に気づいていた。たった今、連れ去られていったのはモニカではなくセイジア・タリウスを名乗る不思議な娘だったのだ。しかし、何故そんな真似をしたのかまではわからない。身代わりになってまで村娘を助ける理由が彼にも、そしてそれ以外の人々にもわからなかった。

「きっと何か魂胆があるに違いねえ」

けっ、と吐き捨てたのはヒゲダルマだった。この男は女騎士を排斥しようとする反対派の急先鋒だった。その言葉に同調するかのような重苦しい雰囲気が広がり出す。外部の人間をたやすく信用しない気風が、それだけ村に染み付いていたわけだが、

「ねえ」

モニカが俯いたまま口を開いた。

「それなら、もしもわたしが『行きたくない』って言ってたら、みんな助けてくれた? 領主様に逆らってくれた?」

いつも大人しい娘が強い調子で言葉を発したことに、父だけでなく村の人々は衝撃を受ける。そして、「それはできない」と認めるしかなかった。だから、モニカの問いに誰も答えることはできなかった。

「あの人だけがわたしの話を聞いてくれた。わたしを助けようとしてくれた」

少女の声が涙声に変わった。

「あの人は間違いなくセイジア様よ。わたしはそう信じるわ」

縁もゆかりもない一人の村娘をその身を投げ出して助けようとする気高さこそ、騎士である何よりの証明であり、モニカの心を強く動かしていた。

(でも、領主様の所に連れていかれて、セイジア様はどうなっちゃうの?)

いくら強い騎士でも、女性が一人で貴族の館から無事に戻ってこられるとは思えなかった。彼女の姉も戻ってこられないというのに。そう思うと、純朴な田舎の少女の胸は痛んだ。そんなモニカを村の大人たちは黙って見ることしかできず、時だけが過ぎていった。

(どうでもいいんだけどよ)

そんな人間たちの事情などお構いなしに、セイの愛馬である「ぶち」は、モニカに轡を取られたまま、ぶるるるる、と大きく溜息をついた。

(セイのやつ、おれをひとりにしやがって。帰ってきたらただじゃおかねえぞ)

寂しさをごまかすための憎まれ口を叩きながら、若くたくましい馬は主人が去っていった道の向こうを首を高くもたげて見つめていた。



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