第6話 女騎士さん、馬に乗る
「暴れ馬はいないか?」
「は?」
柵の向こうから背の高い金髪の女性にいきなり声をかけられた作業員は戸惑った。
「そちらの牧場に暴れ馬はいないか、と聞いているのだが」
聞こえていない、と思ったのかもう一度質問してきたが、そう離れてもいないので彼女の声はしっかりと聞き取れている。ただ、話の内容を理解できていないだけだ。
「あの、どういった用件なので?」
「ああ、これはすまない。実は馬を手に入れたくてここまでやってきたんだ」
そう言われて、この美人さんが作業員の働いているザマ牧場までやってきた意図はわかったが、それでもまだわからないことがあった。
「どうして暴れ馬を気にするんです?」
男は女性よりも年上のはずだったが何故か敬語になっていた。彼女の身にまとった雰囲気になんとなくプレッシャーを感じていたのかもしれない。
「そりゃあもちろん、暴れ馬が欲しいからだ」
わけがわからない。普通ならよく手入れされた馬を欲しがるものではないか。この牧場にはサラブレッドはいないし、軍用や競走用に訓練された馬もいないが、それでも人によく慣れた出来のいい馬はそれなりにいた。
「いや、そういうのはかえってダメなんだ。わたしの乗り方が乱暴なせいなのだろうが、つい乗り潰してしまいそうになるんだ。かわいそうな思いをさせたくないから、暴れ馬の方がいいんだ。気性が荒くて、手の付けられない、人の言うことなんか絶対に聞かない、っていうじゃじゃ馬の方がな」
(このお嬢さんも相当なじゃじゃ馬娘だな)
と思って、作業員は噴き出しそうになる。言っていることはわけがわからないが、この田舎にたったひとりで来ているだけでもかなりの気の強さだと見当がついた。
「それで、どうなんだ? いるのか、いないのか?」
金色のポニーテールを揺らして、じゃじゃ馬娘が柵から身を乗り出して訊ねてきたまさにそのとき、男の背後から悲鳴が上がった。
「またか」
作業員は思わず溜息を漏らす。
「またか、とはどういうことだ?」
いや、と大柄な男は苦笑いを浮かべ、
「ちょうどいい、というか、あいにく、というか、あんたの欲しがりそうなやつがここにはいるんですよ」
おお、それでは、と青い瞳を輝かせる女子に、
「ちょっと来てください」
と促すと、彼女は、ひらり、と柵を飛び越えて内側へと降り立った。あまりの身の軽さに男は呆気にとられるが、すぐに気を取り直して、
「こっちです」
と案内する。厩の前まで来ると、そこでは大乱闘が繰り広げられていた。一頭の馬を4人の男たちが押さえつけようとして悪戦苦闘している、と言った方が正確だっただろうが。
「くそっ」
尻餅をついた小柄な男が顔を押さえながら悪態をついている。顔の真ん中からは血がどくどく溢れているのは蹴飛ばされたせいだろう。ただでさえ低い鼻がめりこんでしまっている。
「やっぱりか」
作業員は腰に手を当ててうんざりした表情になる。放牧するために表に出そうとしてこの騒ぎになっているようだ。毎日のことだが、それでも厩の外に出せただけ今日はまだマシな方かもしれない。
「ははあ。あいつか」
一緒にやってきた若い女子が興味深そうに暴れ回る馬を見つめる。茶色い身体のそこかしこに白い斑点が飛び散っていて、さながら銀河のように見える。じっとしていれば美しい馬に違いなかったが、ぶるるるるる、と嘶き、口から泡を吹いて暴れ回っている今の姿を見れば、誰でも敬遠するに違いなかった。
「でかいな」
彼女の呟きに耳を止めた男は、
「まだまだ大きくなりますよ」
と答える。
「えっ?」
「まだ全然若い、子供なんですよ。それであのでかさなんだから、一人前、というのも妙だが、成長したらすごいやつになるんじゃないか、と思ってるんですが」
その声が聞こえたのか、けっ、と吐き捨てながら顔を血で染めた小男が立ち上がり、
「こんなやつ、どうにもならねえよ。さっさと馬刺しにでもしちまうといい」
いまいましそうに言ったチビを咎めるように見た娘に「まあまあ」と言いながら、
「おれらもあいつの面倒をずっと見てきたんで、そう簡単に見捨てるつもりはありません。でも、このままずっとあの調子だと、何かしら手立てを考えないといけなくなります」
そう言って作業員が俯いたのと同時に、うわあ、と叫び声があがって、2人の男が一遍に跳ね飛ばされた。ひーん、と勝鬨を上げるかのように、茶色の馬が前足を高々とあげる。
「よし」
ブロンドの美しい娘は頷くと、
「気に入った」
にっこり微笑む。
「は?」
その場にいた彼女以外の全員が呆れ顔になる。今の暴れっぷりを見て何処に気に入る要素があったのか。
「体力も性格も申し分ない。あれならわたしの愛馬にふさわしい」
そう言うと、
「試し乗りさせてもらうぞ」
と、暴れ回っている最中の馬の方へと歩き出す。危ない、と止める暇もなく、彼女は茶色の巨体の目の前まで近づいていた。邪魔をするな、と言わんばかりに、かなりの勢いでぶつかってきた頭をあっさりかわし、
「よっ、と」
暴れ馬の背中に飛び乗っていた。勝手に身体に乗られた、と駿馬の怒りが爆発する。そこからの暴れようはすさまじいものがあった。牧場で働く男たちも見たことのないほどの怒り方で、止めることなど考えもせず、急いで距離を取っていた。小型の竜巻がいきなり目の前で発生したと想像してみるといい。誰だって逃げるしかないはずだ。だが、
「あはははははは。いいなあ、おまえ。本当にいい」
何事においても例外は存在するものらしく、馬の背にまたがった女子はとても楽しそうに笑っていた。鞍もついていないというのに、姿勢は安定していて振り落とされる危険はまるでなさそうに見える。暴れ回る馬に乗っているのではなく回転木馬で遊んでいるのではないか、と勘違いしてしまいそうになる。
(すげえ)
ここに至って、娘がただものでないことに作業員一同が気づいていた。尋常でない馬を乗りこなす者もまた尋常ではないはずだった。と、そのとき、ぶるあああああ、と大きな叫び声とともに、いきなり馬が走りだした。夜空を横切る流星のごとき速さと、豪雨の後の濁流のごとき勢いを併せ持った、すさまじい疾走というべきだった。
「おお。そう来たか」
だが、それでも金髪の娘の笑顔は消えない。彼女の表情は見えなかったが、歓喜と興奮がおのれの背後にあるのを感じた若い馬は、激怒に激怒を幾重にも積み重ね、さらに速度を上げていく。
「危ない!」
誰かが叫んだのは、牧場の柵が2人(?)の行く手に迫っていたからだ。だが、そんな制止の声など聞くはずもなく、馬の巨軀は柵をあっさりと突き破って森の中へと駆けて行き、男たちはそれを呆然として見送るしかなかった。
(なんだこいつ)
怒りが焦りに取って代わっていくのを「彼」は感じていた。いくら速く走ろうと、いくら勢いを増そうと、背に乗った邪魔者は消えてくれない。飛び上がって振り落とそうとした。樹にぶつけようとした。しかし、そのたびに巧みに操られてしまい、思い通りにならなかった。おれは自由になりたいんだ。ただひとりだけで何処までも走っていきたいだけなんだ。それなのに邪魔をしてくるやつらに腹が立って、いつも戦っていたのだ。
「そう怒るなよ」
突然優しい声をかけられて「彼」は驚く。
「おまえの気持ちはわからないでもないが、でも、ひとりというのはさみしいものだぞ。一緒にいてくれる誰かが必要なのは、人間でも馬でも同じことだ」
うるさい。黙れ。「彼」が人間だったなら、そう怒鳴っているところだったが、もちろん馬なので言葉など持ち合わせてはないし、そもそも人間の言葉は理解できない。怒りを保とうとするが、首を撫でまわされる感触に戦意が萎えてくるのを感じた。
「なあ、一緒に旅をしてくれないか? わたしのものになれとは言わない。わたしに不満があれば、何処に行ってもいいんだぞ」
ほう、と「彼」は感心する。何を言われているのかはわからないが、この人間が自分に自由をもたらそうとしていることは、なんとなくわかった。この狭い牧場にも飽き飽きしていたところだ。
(こんなやつなんかどうにでもなる)
そう思ったのと同時に脚が止まっていた。うん、いい子だ、と背中の「主」に声をかけられた。
「ひとまず戻ろうか」
そう言われて素直に向きを変えたのは、命令を聞いたわけではなく、自身がそうしたかったからだ、と少なくとも「彼」だけはそう思っていた。
「あれ?」
馬に乗って牧場に戻ってきたセイジア・タリウスが驚いたのは、さっきよりも人が増えていたからだ。職員全員が出てきたらしい。
「ははははは。どうやら心配をかけてしまったようだな」
笑いながら地面に降りると、彼女を案内してくれた大柄な作業員が近づいてきた。
「大丈夫でしたか? 怪我はありませんか?」
いや、と女騎士は微笑んで、
「2人きりで話し合って来ただけだから、怪我なんてしないさ」
はあ、と男はよくわからないながらも頷く。人と馬が話をする、というのは馬鹿げているように聞こえるが、面倒を見ているうちに気持ちが通い合うのを感じるのは、牧場で働いている者なら誰でも経験のあることだった。
(ということは、この人とこいつはわかりあったのか?)
そう思って茶色い馬を眺めると、ぶるるるる、と息を吐いてはいるが、さっきとは打って変わって落ち着いた様子に見える。ただ、よく見てみると、その目の中には炎が燃えていて、怒りと不満が消えてはいないのがわかる。
「まだ怒っているみたいですが」
「いや、それでいいんだ。これくらいで大人しくなられては困る」
そう言いながらセイは馬の長い顔に頬を寄せ「いい子だ」とうっとりした表情をして目を閉じた。
(うるせえ。なれなれしくするんじゃねえ)
「彼」はそう思いながらも、悪い気はしなかった。たてがみを撫でられるのも心地いい。
「それでだ」
セイは作業員をしっかりと見た。
「こいつをわたしに譲ってほしいのだ。もちろん、タダで、などと厚かましいことを言うつもりはないが」
「タダで結構じゃ」
そう言いながら進み出たのは明るい色のシャツを着た小柄な老爺だ。
「おやっさん」
まだ鼻血の止まらない小男が驚く。
「あなたは?」
「この牧場を経営しているザマという者だ」
セイの問いかけに答えてから、ザマ老人は頭を下げる。
「タダ、と言われたようだが」
「その通りじゃよ。この子にはわしらもほとほと困り果てておったんだ。だから、ちょうどいいところであんたが来てくれた、というわけだ。飼うにしても金が馬鹿にならんし、処分するにしても金がかかるのでな」
(やべえ)
老人が何を言っているのかはわからなかったが、それでも自分が危ないところであったのだけは「彼」にもわかっていた。
「じゃあ、こいつをもらってもいいのか?」
「ああ。わしからもお願いしたいくらいだ」
そう言いながら、老人はもう一度頭を下げる。
「そうか。そういうことなら有難く頂戴することにしよう」
「よろしく頼む。あんたならきっと大事にしてくれるだろう」
「もちろんだ。たくさんかわいがってやるさ」
それはそうと、とセイは自分のものとなった馬を見てから、
「こいつの名前はなんなんだ?」
と訊ねた。
「ない」
「は?」
「まだつけておらんのだ。毎日毎日暴れ回るから、みんなから『バカ』だの『アホ』だのとは言われておったようだが」
いや、それをさすがに正式な呼び名にするわけには、と呆れる女騎士に、
「ちょうどいいじゃないか。娘さん、あんたが名前を付けてやればいい」
「わたしが?」
「ああ。あんたが主人になるんだ。その方がいい」
他の作業員も賛同する気配があったので、セイは少し迷ってから、
「そうだなあ」
眼を閉じてじっくり考えこむ。
「巌のごとき堂々たる肉体、荒れ狂う怒濤のごとき力強さ、闇を切り裂く疾風のごとき素早さ、人を寄せ付けない奔放不羈な精神」
かっ、と眼を見開き、
「よし。おまえの名は『ぶち』だ。それこそがおまえにふさわしい呼び名だ」
高らかな声で愛馬に命名する。
(そのまんまじゃないか)
茶色い身体に白い斑点、という見た目通りじゃないか、仰々しい前置きは何だったのか、などとセイ以外の全員が思っていたが、ひーん、と「ぶち」が甲高い声を上げて、
「ははは。そうか、おまえも気に入ってくれたか」
満面の笑顔で愛馬の首に抱き着く女騎士を見ていると何も言えなくなってしまった。
上のような経緯でセイジア・タリウスの愛馬となった「ぶち」は、彼女の相棒として長きにわたって共に行動することになる。「ぶち」にまたがった「金色の戦乙女」は、数多くの彼女の肖像画や大陸各地に建てられている彼女の銅像にその姿を留めていて、馬の身でありながら「ぶち」もまた英雄として今でも多くの人々に愛され続けている、というのは説明するまでもない周知の事実だろう。
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