第5章 女騎士さん、辺境へ行く
第1話 突然の来訪者(前編)
扉を挟んで、男と女が見つめ合っていた。互いに驚きに目を見張っている。
外に立つ男は仕立てのいい白のスーツを着ていて、身分の高さと育ちの良さがうかがい知れた。しっかりとセットされた金色の髪が、青年の几帳面で真面目な性格を表しているとも見えたが、そんな彼の心は今、混乱の真っ只中にある。内側から扉を開けた女がその原因だった。といっても彼女が恐ろしいわけではない。その容姿があまりに魅力的すぎたのだ。
(なんと美しい)
そう口に出すのをどうにかこらえる。肩まで伸びたブルネットの髪、よく通った鼻、ルージュの助けを借りなくても自ずと赤い唇、そのどれもが素晴らしかったが、何といっても彼を魅了していたのは彼女の瞳だ。豊かな知性と深い思いやりのこもった菫色の輝きに、青年は宇宙の始まりと世界の果てを同時に見た気になる。つまり、彼女こそが自分の全てなのだ、と一瞬で悟っていた。彼女は眼鏡をかけているから、その輝きもレンズ越しに見ているわけだが、玻璃を通すことで瞳の色がより美しくなったかのように感じていたので、別に残念だとは思わなかった。そのとき既に女は驚きから回復していて、感情を表に出したのを恥じるかのように冷たさを装いつつあったが、男はまだそれに気づかず、彼女をじっと見つめ続ける。
(この感情は一体何だろうか)
胸を占める未知の情動に青年はとまどうしかない。温かいものがとめどなくこみあげてきて、自分でも押しとどめることができない。いや、わたしはこんな思いをしたことがある。それが何なのかも知っているはずだ。そう思いながらどうにか考えをまとめようとしていると、
「いつまで黙っているおつもり?」
やや低めの声が鼓膜を震わせたので、青年は我に返る。驚くべきことに、その声音もまた彼にとって何よりも好ましいものだった。
「ああ、いや、これは申し訳ない」
青年は慌てて姿勢を正す。その「申し訳ない」には黙っていたことだけではなく、不躾に彼女の全身を眺めていた意味も込められていた。もっとも、健康な男子であれば誰だって、肌もあらわになった彼女の肩と腕と胸の上半分に視線が釘付けになっていたはずなので、一概に彼を責めることもできないのだが。肌の白さとドレスの赤が混じり合った色彩に脳が染め上げられるのを感じながらも、身なりのいい青年は口を開く。
「ここはリブ・テンヴィー殿のお宅だと聞いているが」
「ええ、そうよ。わたしがそのリブだけど」
ぴし、と青年は背筋を伸ばすと、
「申し遅れた、わたしの名は」
「セドリック・タリウス伯爵」
「は?」
名乗りをあげるまえに名前を言い当てられて青年―セドリック・タリウスは再び驚愕に目を見張る。
「あなたの名前はセドリック・タリウスでしょ。違った?」
「いや、その通りだ。何も違わない。いかにもわたしはセドリック・タリウスだ」
彼女の、リブ・テンヴィーの評判は彼も聞いていた。アステラ王国一の占い師で、彼女の言葉を頼りにしている貴族や富豪も多いという。だが、頭脳明晰で合理性を重んじるセドリックはその噂を馬鹿馬鹿しく思っていた。占いなどという前時代的な代物に頼るべきではないと考えていたのだ。だから、その女占い師もまやかしをもっともらしく語る怪しげでふしだらな人物に違いない、と決めつけていたのだが、予想に反して今彼の目の前に立っているのは美貌と賢明さを併せ持つ若い女性だった。
「どうしてわたしの名を知っている?」
「さあ。どうしてかしらね」
はぐらかしながら、美女はさもおかしそうに微笑む。占い師だけに不思議な力で名前を見抜いたのだろうか。訝しく思いながらも、紅の唇がカーブを描くのに見とれてしまってから、伯爵はどうにか気を取り直す。
「いや、それはともかくとして。わたしが今日ここに来たのは」
「よかったわね」
「は?」
またしても話を遮られてセドリックは驚く。
「今日はたまたま家にいて机に向かって何か勉強しているわ。あの子は一度外に飛び出すとなかなか戻ってこないから、あなたも相当待たされたかもしれないわね」
くすくす笑うリブもやはり魅力的だったが、
「あの子、というのは?」
わけのわからない伯爵が訊ねると、物分かりの悪いやつ、と言わんばかりの眼で女占い師が見つめてきて、
「あなた、妹さんに会いに来たんでしょ?」
とつぶやいたのとほぼ同時に、
「兄上!」
家の中から大きな声が聞こえ、妹のセイジアが金色のポニーテールを揺らしてこちらへやってくるのが見えた。名前だけでなく訪問した理由まで当ててきたリブの賢さにセドリックは驚き、ますます彼女に惹かれていくのを感じる。
「いかがなされたのですか?」
妹の問いかけに兄は、うむ、と重々しく頷いて答えようとするが、
「あなたに会いに来たのよ」
リブに先を越されてしまった。「えっ?」と驚くセイを見る兄セドリックの胸中は複雑だった。キャンセル公爵との婚約破棄を理由に勘当した妹に用件があって来たのだが、それは彼にとって楽しい話題ではなく、もともと来たくて来たわけではない。だが、そんな後ろ向きの気分で訪れた場所で、運命の人、というべき女性と出会ったことに高貴な青年はなおも動揺していて、正直なところ今の彼には妹のことを考える余裕はなかった。
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