第103話(第4章完) 女騎士さん、たそがれる
小雪の舞う寒い午後だった。灰色の雲が重く垂れこめ、いずれ本格的に雪が降り出すものと思われたが、リブ・テンヴィーの家の裏で、セイジア・タリウスは薪割りを続けていた。重い鉈を軽々と振るい、テンポよく薪を割っていく。刃物を扱っている以上、気を抜くわけには行かなかったが、それでもセイの心はどこかふわふわと落ち着かないまま、様々なことを考え続けていた。
(リアスたちはもう着いた頃だろうか)
リアス・アークエットと「セインツ」の少女たちを見送って数日が経っていた。旅程が順調に進んでいれば、既にマズカ帝国の首都ブラベリに到着していてもおかしくはない。
(頑張ってくれるといいが)
金髪の騎士は彼女たちの成功を当然祈っていたが、それ以外の思いがあることも自覚していた。
「先を越された」
とどうしても思ってしまうのだ。友人が生涯をかけて挑むべき目標を見つけ、ただひたすらにその道を邁進していこうとするのに、焦る気持ちがあるのを否定できなかった。食堂で働くのも、ダンサーとして踊るのも、いずれも得難い経験ではあったが、それがセイジア・タリウスの生きる道であるか、と言われれば、そうではない、と答えざるを得なかった。とはいえ、彼女は自らの目指したいものが何であるか、気づいてはいた。
「わたしは騎士だ」
騎士として生き、騎士として死にたい。騎士団を辞めてもうじき2年になるが、結局セイの願いはそれに尽きてしまうようだった。しかし、騎士とは主君に仕え、与えられた使命を果たす者だ。幸いなことに平和は保たれているが、そうである以上国王が彼女を呼び戻す可能性は極めて低い。かといって、他国に仕官の道を得るつもりはなかった。王と国家への忠誠心もあるにはあったが、それ以上に、
「よそで騎士になるのはなんだか気に入らない」
と思って決めたことだった。「金色の戦乙女」が移籍すれば、国家間のバランスは崩壊し、戦争の危機が再燃したはずなので、各国の首脳は彼女の気分に感謝すべきものと思われた。ともあれ、セイが騎士であろうとするのは困難である、と思われたのだが、
(あと少しなんだ)
おぼろげながらではあるが、彼女には自分のやるべきことが見えかけているような気がした。しかし、それだけに焦る気持ちがあった。皆目見当もつかない方が気は楽なのかもしれない。早く気づきたいのに、どうしたらそれを見つけられるのかがわからず、最近のセイは無闇にじたばたしてしまっていた。そして、彼女の抱える問題はそれだけではなかった。
(近頃のわたしはなんだかおかしい)
身体の具合が変だ、と女騎士は首を捻っていた。とはいえ、病気に罹ったわけではなく何処か痛めたわけでもなかった。雑木林で稽古に励んでいるときに、せつなさで胸がいっぱいになって、ほう、と溜息をついてしまったり、夜中に飛び起きて、覚えていないはずの夢に心臓が高鳴るのを感じることがしばしばあった。20年生きてきて初めてのことに困惑するしかなかったが、その原因にセイはなんとなく思い当っていた。
(リアスにキスされたせいだ)
別れ際にあの美少女に熱烈なくちづけを受けて以来、変調が頻繁になっていたのだ。それに加えて、
(シーザーとアルのことも妙に気になる)
今までは悪友とかつての部下のことを一般の出来事と同様に考えることができた。だが、最近は2人について考えようとすると、頭の中に霞がかかったようになって明確に判断できないでいるのに自分でも気づいていた。心の片隅に2人の特別な居場所が出来てしまった、と感じていて、それは単なる友人とも違う、と思っていた。
(あの2人は、わたしにとって一体何なんだ?)
それがわからずにイライラしてくる。あまりイライラするので、今度2人に会ったら殴ってやろうか、と思っていたが、そうしたところで問題は解決しない、というのもわかっていたので、イライラは募るばかりだった。
「ねえ、セイ」
後ろから声をかけられて、鉈を振り上げた右手をぴたりと止める。振り返ると、リブ・テンヴィーが腕を組んで立っているのが見えた。
「一体何してるの?」
「見ればわかるだろ? 薪割りだ」
「うちで使う用の薪を割ってるの?」
「ああ、そうだが」
そう、と女占い師は小さく頷く。シックな黒いコートの下は濃い紫のキャミソールだ。妖艶な美女は真冬でも相変わらず軽装を貫き通していて、友人の様子を見ようと外に出るためにコートを軽く羽織ったに過ぎないようだった。
「それならもう十分だと思うわ」
「え?」
ふとセイが横を見ると、大量の薪がうず高く積み上げられているではないか。
「どこかの街を焼き討ちするなら足りないかもしれないけど、うちだったら一月は余裕で保つんじゃない?」
女占い師にからかうように言われて、ははは、とセイは乾いた笑いを漏らす。無意識にやりすぎてしまったようだ。
「余った分は後で物置にしまっておくから」
「そうしてちょうだい」
いたずらっ子の妹を諭す姉のような慈愛に満ちた眼でセイを見たリブは、
「大丈夫よ」
とささやいた。
「え?」
「いろいろつらいこともあるだろうけど、最後には必ず上手く行くから。これからあなたが行く道はそんな風にできてるの」
しばし呆気に取られてから、
(かなわないな)
セイは笑みを浮かべた。思い悩んでいたのがリブにはすっかりお見通しだったらしい。
「どうしたら上手く行くか、リブ先生はそれを教えてはくれないんだろ?」
「前にも言った通り、それを考えるのもあなたの大事なつとめよ。意地悪で教えないわけじゃないから、そこは誤解しないで」
わかってる、わかってる。そう言ってセイはリブの顔を見つめた。銀色の小さな粒が風に散らされる中で、互いの親愛の情を確かめるように、2つの視線が交錯する。
「あ、そうそう」
ぱん、とリブが手を叩いて、
「今日はわたしがごはんを作るから」
「え?」
これにはさすがにセイも驚く。いつもは料理を女騎士に任せきりで、家事がからきしダメな美女が一体どういう風の吹き回しでそうしようと思ったのか。
「わたしは料理をしないだけで、できないわけじゃないの」
それはできない人の言うセリフだ、と思ったものの口には出さず、
「何を作るつもりなんだ?」
と金髪の騎士が訊くと、
「ローストビーフよ。あなたの好物を作ろうと思って」
女友達の心遣いがうれしくて、
「それは楽しみだ。生焼けか丸焦げか、どっちに転ぶかはわからないが」
「ねえ、セイちゃん。おねえさんのことを馬鹿にしてない?」
上手く焼ける選択肢はないのか、と眼鏡の奥で紫の瞳から炎が上がるのを見てもセイは慌てることなく、
「いや、なに。きみみたいな美人が料理まで上手だと、わたしを含めて、世の女性たちはいよいよ立つ瀬がないと思ってね」
と余裕を見せる。
「ずいぶん口が達者になったものね」
なおも不機嫌そうなリブにセイは微笑んでみせて、
「わが国きっての人生相談の名人と一緒に暮らしていたら口も上手くなるさ」
と言いながら立ち上がって、家へ帰ろうとする。
「そういうことなら、わたしも及ばずながら手伝うことにしよう」
「別にあなたの手を借りるつもりなんてないけど」
「そう言うなって。どうか遠慮なくこきつかってくれ」
罪のない笑顔を見せられて、リブも笑うしかない。
(もう、本当に馬鹿なんだから)
そう思いながらも先を行く女騎士への愛情を再確認して、女占い師は自分の家へと戻っていく。セイが考えたよりはリブの料理の腕前は悪くなく(いくつかアドバイスする必要はあったが)、夕食ではそこそこの出来のローストビーフを食べることができた。食事が終わると、窓の外で大粒の雪が降りしきるのを見ながら、リブは酒を、セイは紅茶を、それぞれ飲みつつも静かに夜を過ごしていった。
そんな平穏な生活にもうすぐ終わりが来ようとしていた。それは2人にとってあまりに突然で予想外の出来事であった。しかし、それでも、
(こんな素敵な時間はいつまでも続かない)
と心のどこかではわかっていたのを、この夜から何日も経たないよく晴れた昼下がりにやってきた一人の客によって、セイとリブは気づかされることとなる。
(第4章 終)
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