第2話 突然の来訪者(中編)
「おまえの勘当を解くことにした」
そう告げても、テーブルの向こうに座った妹のセイジアが「はあ」とぼんやりした顔をしているのにセドリック・タリウスは苛立った。せっかく実家に戻れるようになったというのに嬉しくないのか、と。
「喜べるわけないじゃない」
壁に背を預けて立っているリブ・テンヴィーがつぶやく。
「何か裏があるに決まってるんだから」
そう言って、女占い師は手にしたグラスを傾けて、ぐびぐび、と赤ワインを飲む。
「人聞きの悪いことを言わないでくれ」
さっきから妙に当たりのきつい美女にたまりかねて青年は文句を言うが、
「あら? じゃあ、何の魂胆もない、と伯爵様は仰るのかしら?」
さらに辛辣さを強めて言い返してきたのに反論できない。実際のところ「裏がない」とは言えなかったうえに、それを隠して平然と振る舞うためだけの老獪さを青年は持ち合わせてはおらず、あるいは狡猾に事を運べるほど卑しい性格でもない、と言えた。したがって、彼にできたのは、非難の意思を込めた視線をリブに向けることだけだったのだが、
「わたし、席を外した方がいい? 兄妹2人で積もる話もあるでしょうから」
そう言いながら外へ出ようとした占い師に、
「いや、そこまでしてもらう必要はない。ここはあなたの家ではないか」
と慌てて止める。どういうわけか自分を嫌っているリブが不快ではあったが、それと同時に自分の目につくところにいてほしい、と思ってもいたのだ。善と悪、白と黒、そういったものを明確に分ける生き方をセドリックは望んでいて、26年の人生もそのように歩いてきたつもりでいたが、すぐそばにいる赤いドレスを身に着けた女性にもたらされた強烈なアンビバレンスによって、これまで得た経験が全て意味のないものであるかのように感じられてしまっていた。
「まあまあ、せっかくだからリブも立ち会ってくれ」
セイがなだめるように言うと、リブはタリウス兄妹の顔を代わる代わる見てから、再び壁に背中をもたれさせて、「ふん」と天井を見上げる。出ていくのはやめにしたようだ。上を向いた尖った鼻の先の形の良さに心がときめくのを感じながらも、貴族の当主らしい克己心で青年はその思いを押し隠す。
「それで」
セイはよく光る眼で兄の顔を見た。
「兄上はわたしに何をしてほしいのですか?」
「なに?」
女騎士は笑みを浮かべながら木のテーブルの上にやや身を乗り出し、
「何かしてほしいからわたしの勘当を解くことにしたのでしょう? 残念ながら、最近のわたしは実家に戻れるほどの手柄を立てたわけでもありませんし」
つまり、セイもリブと同様に兄の来訪に「裏がある」と思っているわけだった。
(相変わらず憎たらしい奴だ)
思わず舌打ちしたくなるが、セドリックは目の前の妹を見直してもいた。考えてみれば、セイが騎士になるためにタリウス家を出奔してからもう7年になり、それから会ったのは、キャンセル公爵家への嫁入りを命じたときと今回の2度だけだ。セイが美しくたくましく成長したのは前回会ったときに気づいていたが、それから2年近く経って、妹がさらに大人になっているのを兄として認めざるを得なかった。いかなる経験をしたのかは不明だが、より人間として大きくなっている、と思いながらも、彼女の過去の行動を考えると決して許すことはできない、と青年は開きかけた扉を再び固く閉ざし、鍵をかけて錠を下ろした。
「それがわかっているなら話は早い」
血を分けた妹ではなく、訴訟の相手方に用いるのがふさわしいトーンで、セドリック・タリウスは話し始める。
「おまえは知らないだろうが、わがタリウス家の領地にジンバ村、という場所がある」
そう言われたセイはリブと顔を見合わせた。2人の美しい女性が何か変なものを飲み込んだかのような表情をしているのを見て、
「なんだ? どうかしたのか?」
セドリックは訝しむが、
「いえ、兄上。そのジンバ村なる土地、わたしは一応知ってたものですから」
「なんだと?」
驚く兄に向かって、
「ここから東の方角の、国境付近の僻地にある村だと聞いていますが」
知っていたからこそ、大衆食堂で働くときにその地名を借りて「セシル・ジンバ」と名乗ったのだ。ちなみに「セシル」は兄妹の母親の名前である。
「よく知っていたな」
驚いているとも褒めているともつかない言葉を吐いた兄に、
「いえ、子供の頃から地図を見るのが好きで、それでたまたま覚えていたのです。もしかしたら、母上から教わったのかもしれません」
ははは、と小さく笑ってから、
「でも、実際に行ったことはありませんが」
「それはそうだろう。わたしも行ったことはないし、父上も行ったことはないそうだ。おそらくタリウス家の人間で足を運んだ者はいないはずだ」
「そうなのですか?」
うむ、とセドリックは妹に向かって頷く。
「タリウスの本領からはかなり離れているからな。そんな場所がいつどのような理由でわが伯爵家の領地となったのかも定かではない。祖先の誰かが功績を挙げたものの、手頃な褒賞がなかったので、そんな土地を貰ったのかもしれないが」
いい加減な話だ、と根っから真面目にできているセドリックは眉をひそめた。
「それで、そのジンバ村がどうしたのです?」
うむ、ともう一度頷き、溜めを作ってから、
「セイジア、おまえにジンバ村に行ってほしいのだ」
「え?」
伯爵の言葉にセイも驚いたが、リブも驚いていた。
「どういった理由で行くのでしょうか?」
「さっきも言った通り、ジンバ村はタリウス家の領地ではあるが、誰も行ったことはなく、どのような様子かもわからない。管理が行き届いているとはとても言えない状況だ。わたしはタリウス家の当主として、こういうことはよろしくない、と考えたのだ」
セイは少し考えてから、
「つまり、わたしにジンバ村の調査をしてこい、と言われるわけですか?」
「それだけではない。現状を調べた上で村を治めるのだ。それがおまえの果たすべき役割だ」
それを聞いても女騎士は特に変化を見せることはなかったが、
「いつまで?」
「ん?」
声が聞こえた方へ視線を向けた青年の表情が固まる。リブ・テンヴィーの顔が真っ青になっていたからだ。
「セイをいつまでジンバ村にやるつもり?」
肌が病的に青白くなっても、それでも美しい占い師に動揺しながらも伯爵は、
「期間は特に決まってはいない。まあ、なるべく早く戻れるようにわたしとしても取り計らうつもりだ」
そう付け加えたのが自分でも言い訳のように思えて、セドリックは苦り切る。若い娘をたったひとりで見知らぬ辺境へと追いやる、というのは誰がどう見ても残酷な仕打ちのはずだった。しかも、兄が妹にすることだとはとても思えない。女占い師の反応がその証明でもあった。
(おまえはただの娘ではない。貴族の娘だ。貴族ならば与えられた役目を果たすのだ)
だが、そう思ったところで良心の痛みは消えず、自分が正しいとも思えなかった。リブの燃えるような瞳を、震える声を見聞きしてしまったせいかもしれない。自己正当化が上手く行かなかった以上、今の彼にできるのは、相手を悪者にすること、ただひとつだった。
「おまえの近況は聞いている」
「はあ」
突然の命令に困惑しているのか、いきなり話題が変わったためか、要領を得ない返事をしたセイを兄は責め立て始める。
「労働者相手の食堂で働き、舞台で肌を見せて踊る。いずれも貴族にふさわしからぬ、嘆かわしい行為だ。おまえの振舞いがわがタリウス家の名に傷をつけているのだ。そのようなわがままをこれ以上見過ごしてはおけん、嫌だと言ってもジンバ村に行ってもらう」
聞く者を傷つけずにはおけない多分に棘のある口調だったが、
「いえ」
セイはまるで動じることはなく、その様子にセドリックの方がかえってショックを受ける。悪口を言われたときに一番有効な対処法は、言い返すことではなく、まるで効いていない態度を示すことである、というのを無意識のうちに女騎士は実践していたのだ。
「親愛なる兄上のお申し付けに嫌だと言うつもりも、逆らうつもりもありません。わかりました。このセイジア・タリウス、ただちにジンバ村へと赴き、調査をしたうえでそこを治めることにいたします」
音を立てずに立ち上がったセイは兄に向かって一礼し、命令を承る。
「うむ。いい心がけだ」
伯爵は頷いてみせたが、心の中は荒れ狂っていた。無理難題を言われたセイが抵抗することなくあっさり承諾したのを喜ぶべきなのだろう。だが、何故かそうは思えなかった。確かに妹は自分の言うことを聞いた。だが、自分の思い通りに動いたわけではない、と本来理知的な青年に似つかわしくない不合理な思考にとりつかれ、その結果、感情的になって口走っていた。
「わたしも好きでこんなことをおまえにやらせるのではない」
「兄上?」
セドリックの口ぶりに何かを感じたのか、セイが声をかけるが、それでも彼の口は止まらない。
「だが、おまえがそうさせたのだ。セイジア、おまえが悪い。おまえが大人しく嫁いでおかないからこういうことになったのだ」
「いやあ、その節はご迷惑をおかけしました」
苦笑いを浮かべて肩をすくめる妹を、さらに責め立てようとした兄に向かって突然、ばしゃっ! と液体がかけられた。
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