第73話 女騎士さん、少女たちと踊る(その1)
話を「ブランルージュ」3日前の夜に戻す。怪我を負ったシュナが離脱してしまい、絶不調に陥った「セインツ」を救うアイディアをほかならぬシュナが持っている、と感じたセイジア・タリウスが小さな少女に訊ねたところから始めることにする。
「あのね」
セイに考えを訊かれたシュナは少し口ごもってから、
「わたしの代わりに、セイに踊ってほしい」
とひそかな願いを打ち明けた。その言葉に女騎士の目は見開き、「あっ」とシュナ以外の4人の娘たちも思わず声を上げていた。5人でひとつ、として動いていた「セインツ」には代役を入れる、という発想がなかったのだが、それでもセイならば役割を果たせるかもしれない、という気になっていた。彼女とは長い間行動を共にしていて、しかも踊りも練習していて、シュナの代わりとしては現状において一番望ましい人間だと思われた。
「わかった」
セイは膝をついてシュナの目をしっかりと見つめた。
「シュナ、きみの願いは確かに聞き届けた。このセイジア・タリウス、きみに代わって『セインツ』に助太刀することにする」
力強い言葉にシュナの顔は明るく輝いた。敵中に孤立した不安な状況に援軍が訪れたような安心感を目の前の美しい騎士は与えてくれたのだ。
「でも、セイ、大丈夫なの? あなた、わたしたちの踊り、全然踊れなかったじゃない」
ヒルダが心配そうに訊ねると、少女たちは嫌なことを思い出したかのように表情を暗くする。確かにその通りだ。キャプテン・ハロルドの振り付けは難なくこなすセイだったが、「セインツ」のダンスをやろうとすると、どうしてもぎこちなくなってしまうのだ。だが、
「それは大した問題じゃない」
金髪の騎士は言い切る。
「でも」
プラチナブロンドのヒルダは食い下がるが、
「できるかどうかは問題じゃない。やるしかないんだ。シュナがわたしに頼んだんだ。だったらそれをやるまでだ。託された願いを必ずかなえるのが騎士というものだ」
なんと雄々しく力強い言葉なのか。5人の娘は強く胸を打たれていた。今目の前にいるのは、いつも明るく自分たちを励ましてくれる陽気なおねえさんではなかった。戦場において常に先頭に立ち、並み居る敵に立ち向かってきた勇者がそこにはいた。仲間の不在に心細い思いをしていた子供たちは、頼れる味方の登場にようやく希望を見出した気持ちになっていたが、
「だめよ」
それまで黙っていたリアス・アークエットが否定の言葉を短く言い放つ。
「セイはシュナの代わりにはなれないわ」
「何故だ? そりゃあ確かにわたしはシュナと比べて踊りは下手かもしれないが、やってみなければ」
「やらなくてもわかるから、そう言ってるの」
反論を途中で断ち切られたセイは黙ってしまう。それを見たリアスは少し息をついてから、
「誤解のないように言っておくけど、セイ、あなたのダンスの上手い下手を問題にしているわけじゃないの。あなたは短い間に努力を重ねてかなり上達している。それはわたしも認めている」
「じゃあ、どうして」
そう訊いてきたセラの顔をリアスは見つめてから、
「想像してみなさい。シュナの代わりにセイが入ったらどうなるかを」
黒衣の美少女に言われた通りに、5人とセイは想像してみて、「ああ」「そういうことか」と言った後に、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「わかったでしょ? シュナとセイとでは身長が違いすぎて、全体的なバランスがおかしくなってしまうのよ」
確かにリアスの言う通りだった。シュナは「セインツ」のメンバーで一番小柄で、セイは女性の平均的な身長よりもかなり背が高い。「セインツ」の5人が横一列に並ぶとき、シュナはいつも端に立っているが、他の4人とさほど身長に差があるわけではないので、見た目に違和感はない。だが、シュナの代わりにセイが入ると、頭一つ背が高く成熟した体つきの女騎士は、少女たちの調和を乱す邪魔者でしかない、と思われたのだ。
「確かにそれだときついかも」
シーリンが声をひそめてつぶやいてから、
「いや、でも」
セラが諦めきれない様子で声を上げる。
「わたしの代わりにセイがセンターに入ればいいじゃん」
その提案に子供たちは「そうか!」と思わず感心する。長身のセイが中心になって少女たちがサイドに回る並びはどうか、とショートカットの娘は言っているのだ。それならば見栄えはよくなるものと思われたが、
「いや、それはどうかと思うな」
今度はセイが難色を示した。
「わたしが真ん中だと、新参者がいきなり主役を気取ったみたいでどうも気分がよくない。今度の舞台の主役はきみたちであるべきだと思う」
(セイならそう言うと思った)
リアスは心の内でひそかにつぶやく。あまり長くない付き合いでも、セイジア・タリウスが自らを誇らない、目立つのを嫌う性格だというのはわかっているつもりだった。にもかかわらず、人並外れたオーラの持ち主である女騎士は何をしようとも自然と人の目を集めてしまうのは実に皮肉なものだったが、ともあれ、そんな性格を承知していたので、セイはシュナの代役にはなれない、とリアスは考えていたのだ。
「そんなことを言ったって、他にどうしようもないんだから」
シーリンが眉を顰め、
「そうだよ、セイ、おとなしくセンターになれよ」
イクが妙な怒り方をする。
(そう言われてもなあ)
セイは困ってしまう。リアスの意見も理解できたし、自分が「セインツ」に加わるなら、中央に位置するしかない、というのもわかっているつもりだった。だが、彼女がその案に否定的なのは、主役の座を奪いたくない、という以外にも理由があった。
(わたしでは、みんなを引っ張れない)
と思っていたのだ。「セインツ」の演技を何度も見ていて、センターというのはかなり難しいポジションだと気づいていた。「セインツ」のセンターは大体においてセラがつとめていたが、ユニット全体をまとめあげ、メンバーを引っ張っていく重要な役割を担っている、とかつて軍を率いていたセイにはなんとなくわかっていた。シュナの代役を果たすだけでも大変な自分にその役割が果たせるだろうか、と不安しか感じなかった。
(わたしにはその役割はきつい。わたしだけでは)
自らの力不足を感じ、気持ちが暗くなるのを感じたセイは「ん?」とそこであることに気づく。今、自分は何を考えていたのか。「わたしだけではきつい」、そう考えていた。ならば。
「わたしだけではきつい。だが、わたしだけではなかったならば、どうだ?」
その疑問は答えでもあった。自分一人で出来ないことは他の人間を頼って、一緒になしとげるべきなのだ。だから、
「なあ、リアス」
友人である雌豹のような少女に呼びかけていた。
「きみも一緒に踊ってくれないか」
「え?」
予想だにしなかった言葉にリアスの全身は固まってしまう。
「わたしを、みんなを助けてくれないか? きみとわたしが一緒なら上手く行く。そんな気がするんだ」
その提案に少女たちは色めきたった。
「えっ? ということはどうなるの? シュナがいなくて、セイとリアスが入って、6人になるんだから」
ヒルダが頭を働かせ、
「やっぱり、背の高いセイとリアスを中に入れて、わたしらはサイドに回った方がいいと思う」
イクがつぶやく。そして、
「
5人の子供たちは一斉に歓声を上げた。6人、つまり偶数の人数なので、センターをつとめる人間も2人必要になる。そして、セイとリアスの2人のセンター、というのはとても魅力的に思われたのだ。ともに長身で、ひとりは金色の髪の華やかな顔立ち、もうひとりは艶やかな長い黒髪のクール・ビューティー。タイプの違う2人の美形が並び立つのを想像しただけで感激で震えてしまいそうになる。
「いいよ! すごくいい!」
「うん、これならやれる気がする」
シュナが離脱してから初めて、少女たちの顔に希望の光がさしていた。だが、
「ごめん、それは無理」
リアスが俯いた。
「前にも話したと思うけど、わたしは怪我をしてもう踊れないの。だから、悪いけど、無理よ」
「え? でも、リアス、普通に歩けてるから大丈夫なんじゃない?」
セラの疑問はもっともなもの、と言えたが、
「無理と言ったら無理なのよ!」
夜の廃工場に苦しげな叫び声が響く。少女たちもセイも何も言えなかったのは、リアスの顔が真っ青になっていて、細い腕で我が身をきつく抱きしめているのが見えていたからだ。袖の上から爪を突き立てているが、それに気づかないほど彼女は心の痛みを覚えているのだ、とまだ幼い子供たちにもしっかりわかっていた。
(なんて情けない)
そして、リアスは自分を責めていた。教え子がセイが助けを必要としているのに、それに応えられないのが情けなかった。もちろん助けに行きたい。だが、いざそうしようとしても、身体は動かず足はすくみ、前に進むことができない。今の彼女は恐怖に支配されてしまっていた。
(怖い、怖い)
踊ろうとしてまた失敗してしまうのが怖かったし、何より子供たちを失望させるのが怖かった。偉そうなことを言っていたのに一番大事な場面で何もできない、というのでは何のためのコーチなのかわかったものではなかった。結局、自分はあの子たちに何もしてやれないのか、と諦めかけたそのとき、厚く垂れこめた雲の隙間から差しこむ月の光のように、過去の思い出がリアスの重く沈んだ心を優しく照らし出していた。
アークエット一座で旅をしていたときのことだ。その日も公演を終えた後でみんなで野宿をしていたのだが、夜中にトイレに立ったときに、暗闇の中で誰かが激しく動いているのに気づいた。
「ロザリー?」
まだ幼いリアスに声をかけられたロザリーが、いささかばつの悪そうな顔をしているのが、明かりのない暗がりでもしっかりとわかった。
「あら、まずいところを見られちゃったかしら」
何をしているのかを問う必要はなかった。踊りの練習をしているに決まっていた。だが、こんな夜中にどうして一人だけでこっそりやるのか、と思っていると、
「あなたに負けていられないからね」
「え?」
思わぬことを言われて少女は驚いてしまう。ロザリーはリアスよりもずっと上手いのだ。まだまだ下手っぴな自分のことなど気にする必要などないではないか。
「自分では気づいていないんでしょうけど、あなた、日に日に上達してきてるのよ。それを見ていると、わたしもうかうかしていられない、っていつも思うの」
栗色の瞳が光るのが見えた。
「だって、わたしはあなたのコーチだからね」
いつも優しい女性の中に秘められた意地と闘志を目の当たりにして、リアスは衝撃を受けていた。人を教え導く者としての矜持、それをこの夜のロザリーから学んだ気がしていた。
(わたしもロザリーみたいになりたい)
踊り子として憧れていた女性は、指導者としての憧れでもあった。そして、道半ばにして自ら命を絶った大切な人のために弟子として何かできるとすれば、それは恩師の教えを消すことなく後につなげていくこと、それしかないのではないか。ならば、ここで立ち止まっているわけにはいかないではないか。
「なあ、リアス」
リアスの内面の葛藤を知らないセイは、明らかに怯え切っている黒衣の美少女に心配そうに声をかける。
「わたしたちもリアスに無理はさせたくない。だから」
「いいえ」
決然とした声が返ってきて、セイも子供たちも驚く。
「やるわ。こうなったらやるしかないわ」
「本当に大丈夫か?」
なおも細い身体と長い手足を震わせるリアスを見兼ねて女騎士は訊ねたが、
「さっき、あなたも言ってたじゃない。できるかどうかは問題じゃないのよ。やるしかない、ってことよ」
心を決めても恐怖が消えたわけではない。しかし、それでもリアスは前を向いてどうにか笑おうとする。その微笑みは、深く傷ついても狩人に立ち向かおうとする漆黒の豹のように猛々しく凄絶な美しさを感じさせた。セイと5人の少女はそれを黙って見守ってから、深く頷く。一緒に戦い抜こう、という気持ちで、その場にいた全員の心はひとつになる。
かくして、シュナの抜けた「セインツ」にセイとリアスを加えた特別編成のユニットの挑戦は始まった。
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