第72話 幕が上がる
全25組(セイがキャンセルしたので24組になっていたが)の半分が出番を終え、「ブランルージュ」は佳境へとさしかかり、場内の雰囲気もかなり暖められていた。
「おれは芸事には縁がなかったが、見てみるとなかなかいいものだな」
シーザー・レオンハルトはうきうきした様子だったが、
「ええ、まあ、そうですね」
アリエル・フィッツシモンズが浮かない顔をしているのは、お目当てのセイジア・タリウスが欠場したから、というばかりでもなかった。イベントが始まってから、左隣に座ったリブ・テンヴィーに左腕をずっと抱えられていて、とてもではないが集中できずにいたのだ。彼女の深い胸の谷間に挟まれたままの腕から伝わってくる極上の柔らかさに何度か意識が飛びそうになるのを懸命に堪えていた。
「あの、リブさん。そろそろ離れていただけると助かるのですが」
「あら、アルくんの方からアタックしてきてくれるのを待っていたのに」
と言うと、女占い師は少年の腕にさらに力をかけて、そうなると当然アルの左腕はリブの身体により深くめりこむことになる。この世界で誘惑の手練手管を競い合う選手権があれば、リブ・テンヴィーは何連覇でも達成できただろう、となかば失神しかけながらも王立騎士団副長はぎりぎりで正気を保つと、
「ぼくの気持ちはリブさんならおわかりのはずです」
とはっきり断った。汗をダラダラ流す少年騎士をつまらなさそうな表情で見てから、妖艶な占い師は抱え込んでいた腕をようやく解放した。
(やっとあきらめてくれたか)
アルが安心したのも束の間、
「そうやって抵抗されるとますます燃えちゃうのよね」
くすくす笑うリブの眼鏡がきらりと閃き、アリエル・フィッツシモンズは背筋に冷たいものが走るのを感じた。その冷たさに快さがいくらか含まれているのに、彼自身大いに困惑してもいたのだが。
「えーと、次は誰が出るんだ?」
すぐそばで隠微な争いが繰り広げられていたのも気づかずに、のんきにパンフレットでプログラムを確認していたシーザーが、
「ん?」
と手元を二度見した。
「どうしました? そういえば団長は字が読めませんでしたよね?」
部下に揶揄されて、
「ちげえよ! いくらおれが馬鹿でも、読み書きくらいできらあ!」
青年は激昂し、獅子のように吠える。
「じゃあ、どうしたの?」
占い師に訊かれたシーザーは黙ってパンフレットを差し出した。のぞきこんだリブとアルは、
「ああ、なるほどね」
「そういうことですか」
と事情を理解する。次に登場するのが「セインツ」だと知ったのだ。
「その『セインツ』というのはあれだろ? あのリアスさんが教えているとかいう」
「ええ、そうよ。5人の女の子たちをリアスさんが教えていて、みんなとても歌と踊りが上手なのよ」
シーザーの質問にリブがにっこり笑って答える。
「そうなんですか。それはぜひ見てみたいですね」
アルが頷くと、
「一緒に見ましょうね、アルくん」
と言いながら、リブ・テンヴィーは頭を少年の肩に預けた。重みとともに濃厚な花の香りが押し寄せてきて、アルは息をすることすらままならなくなる。
(だから、やめてほしいんですけど!)
アリエル・フィッツシモンズの苦悶はこの後しばらく続いた。
「ゆゆゆユリさんの記事を読んでからずっと楽しみにしてたんですよ、せせせ『セインツ』のみなさんを描くのを」
メル・フェイルは膝の上に広げたスケッチブックに鉛筆で何かを描き続けている。美人画の名手である彼女は、少女を描くのも当然得意にしていた。美しく描くだけではなく、躍動感もしっかり描き出そう、とメルの目は輝きを増していく。
「確かにあの記事はかなり評判がよくて、会社にも何件か問い合わせが来たそうよ」
「本当ですか?」
チェ・リベラの言葉にユリ・エドガーは驚きの声を上げる。
「嘘を言ったって始まらないでしょ? ただ、予選会で名前を知られるようになったと言っても、『セインツ』にとっては今夜が本当の勝負でしょうね」
「本当の勝負?」
眼鏡をかけた部下の少女に、白と黒のスーツを着た奇矯な男は頷いてみせる。
「『セインツ』を推しているユリちゃんには悪いけど、予選会の最初で失敗しているのはやっぱり無視できない事実なのよ。未熟な面を曝け出したのはプロとしていかがなものか、って、わたしとしては採点が厳しくなっちゃうわけでね。あの失敗をどう乗り越えたか、も見せて欲しいところね」
「大丈夫です。みんなならやってくれますよ」
「セインツ」の成功を確信するユリの姿は記者というよりも一人のファンのように見えて、リベラは思わず苦笑いを浮かべたが、彼女の書いた記事が別の場所で大きな波紋を起こしていたとは、上司のリベラもユリ自身にも思いも寄らないことであった。
「ほう、次はあの『セインツ』か」
国王スコットがそうつぶやくと、周囲に緊張が走り、それまでの和やかな空気が一変したのには理由があった。数日前の朝、「セインツ」を大きく取り上げた「デイリーアステラ」を読んだ王が、少女たちが暮らす貧民街をこの目で視察したい、と言い出したのだ。この王都にも苦しい身の上の人間がいるとは知っていたが、実際に暮らしぶりを見たわけではない、と気づき、
「国を治める者としてこの目で確かめなければならぬ」
と王はいてもたってもいられなくなり、すぐにでも出かけるつもりだった。安全上の懸念を理由に反対する宰相ジムニー・ファンタンゴと侍従長に向かって、
「余はアステラの王であり、アステラの国土は余の肉体も同然である。その余が行きたいと言っておるのに、それに掣肘を加える、というのは、おのが手足を自由に動かしてはならぬ、と言っておるのと同じではないか」
と、いつも温厚な王らしからぬ威厳に満ち溢れた言葉を述べ、それを聞いた臣下はみな平伏するしかなかった。それでも、突然出かけると国民に迷惑がかかる、という侍従長の反論を「民に負担を強いるのは余の本意ではない」と王も受け入れ、年明けまで視察を延ばすことにしたのだが、いつになく強硬な王の態度は王宮のみならず貴族の間でも噂として広まっていた。
(お優しい方だとばかり思っていたが)
宰相ファンタンゴは王に対する認識を改める必要を感じていた。そうでなくとも王はまだ若い。完全に人格が固まったわけでもなく、これからも成長し、変わっていくはずだった。
「健気な娘たちだ。頑張ってほしいものだな」
国王スコットは舞台の上に暖かなまなざしを送っていた。
「ちょっと出てきます」
杖をついて控室を出ようとするカリー・コンプに、
「もうすぐ出番よ」
アゲハが声をかける。紫の薄い生地のワンピースを身に着けただけだが、「彼女」専用に用意された控室は暖房がしっかり効いているので寒くはなさそうだ。
「それはわかってますが、『セインツ』のみなさんを応援したいので」
詩人の言葉を聞いて、「せいんつ?」と首を傾げてから、
「ああ、あのガキンチョたちか」
と歌姫は理解する。
「おまえと大して年齢は変わらんぞ」
ダキラ・ケッダーが噴き出したが、
「それでもガキはガキよ」
アゲハは持論を変えない。他人などまるで歯牙にかけない天才歌手も「セインツ」のことはかすかに記憶していた。マズカ帝国のディーヴァのプレッシャーで他の出演者たちが潰されていく中、吟遊詩人の助けはあったとはいえ踏みとどまった少女たちだ。歌姫の頭の片隅に居場所を与えられる価値はあるのかもしれなかった。
「物好きねえ、あんなのを見ても何の足しにもならないと思うけど」
「あなたにとってはそうかもしれませんが、わたしには彼女たちに何か未知数なものを感じるのですよ」
ふうん、と大して興味もなさそうに鼻で笑ったアゲハの表情が、その後すぐに一変し、強張ったものとなる。そして、
「わたしも観に行く」
と言いながら立ち上がった。
「おい、まだ準備しなきゃいけないんだぞ」
ダキラがマネージャーらしく注意を与えるが、
「少し遅れたからってなんなの。待たせておけばいいのよ」
スター歌手らしい、と言うべきなのか、傲慢な返答をして、カリーより先に部屋を出ていく。その後をカリーとダキラが慌ててついていく。
「あなたは興味を持っていないかと思ってましたが」
カリーの問いかけに、
「さっきまではね。でも、今はもう違う」
今を生きる「少女」にとっては、過去からの一貫性など取りに足らない問題なのかもしれなかった。
(そういうわけだったのね、あいつ)
何かを把握したつもりになったアゲハは、奥歯を噛み締めながら会場へと足を速めた。
「場内の皆様にお知らせがございます」
司会者のアナウンスに、観客の中から「またか」と言いたげな雰囲気が漂った。欠場の知らせはもう聞きたくない、というのが劇場中の一致した意見のはずだった。
「只今より登場いたしますのは、『セインツ』から『セインツwithS&R』に変更になったことを前もってお知らせいたします」
そう言われても誰も理解できた者はいなかった。「セインツ」自体に馴染みがないのに、少しばかり名前が変わったからといって、どういう意味があるのか。
「それでは登場していただきましょう。『セインツwithS&R』のみなさんで、曲は『天馬の夢』でございます。はりきってどうぞ!」
事情がわからないまま観客たちが、ぱらぱら、と拍手を送ると、舞台袖から6人の少女たちが駆け出してきて、ステージの中央に横一列に並んだ。
「は?」
「えっ?」
シーザーとアルが大きな声を出したのは当然のことだった。その6人の中に彼らがよく見知った姿があったからだ。
「セイジアさん?」
「せせせセイジア様?」
ユリとメルも口をあんぐりと開けていた。彼女たちが憧れるセイジア・タリウスが何の前触れもなく登場して、呆気に取られてしまっていた。あの女騎士は「セインツ」の一員ではないのに、一体どういうわけなのか。しかし、ステージ上には「セインツ」のメンバーではない人間が、もう一人いた。
(リアスさん?)
リブ・テンヴィーは声こそ出さなかったが、やはり驚いていた。セイだけでなくリアス・アークエットまでもが「セインツ」とともに現れたのだ。そして、「セインツ」で一番小さな、シュナという娘がいないことにも気づいていた。つまり、舞台の上には今、「セインツ」のセラ、シーリン、ヒルダ、イク、そしてセイとリアスの6人がいることになる。
(こういうことなのかしら?)
リブは頭の中で整理してみる。さっき司会者の言っていた「セインツwithS&R」というのは、「セインツ」の4人に、「S&R」、セイジア(Saygia)とリアス(Rius)の2人を加えた特別編成のユニットなのではないか。どういうわけでそうなったのかまでは、さすがの占い師もつかめなかったが、ともあれ、幕は上がり、今夜一夜限りのユニットの演技が今まさに始まろうとしていた。
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