第71話 女騎士さん、欠場?(後編)

ダキラ・ケッダーとカリー・コンプ、2人の男を従えて会場から控室に戻ろうとしていたアゲハが不意に足を止めた。

「セイジア」

遅れてカリーも気づく。向こうからセイジア・タリウスが歩いてきた。行儀の悪いことに、大きなハンバーガーをぱくつきながら歩いている。

「んあ?」

ようやく歌姫に気づいたセイは口をもぐもぐ動かしながら、

「会場の外に屋台が集まっているんだ。おいしそうなので、つい買ってしまった」

なおももぐもぐやりながら、

「食べるか?」

と半分ほど残ったハンバーガーの断面をアゲハに見せつけた。はあ、と大きく溜息をついた銀髪のディーヴァは、

「もともとそんなジャンクフードなんか食べないし、これから歌おう、ってときに食事をするシンガーなんていない」

厳しくかつ冷ややかに声を浴びせられてもセイは微笑んで、

「見解の相違、ってやつだな。腹は減っては戦は出来ぬ、というのがわたしの考えだ」

食事を再開する。美しい騎士が口を開けるたびに肉と野菜を挟んだ大きなバンズがみるみる面積を減らしていくので、3人は呆気にとられてしまうが(目の見えないカリーにもそれはわかった)、

「今夜、あんたは出演をキャンセルした、ってさっき聞いたぞ」

ダキラが最初に口を開く。

「ああ、その通りだ。急な申し出だったので、運営には悪かったかも知れない」

セイは顔色をまるで変えない。

「逃げた、って考えている奴もいるんじゃないか?」

「かもな」

挑発したつもりが、女騎士がそよ風に吹かれたほどの反応も見せないのに、ダキラの頭が一瞬熱くなるが、

「やめておきなさい。こいつはあんたがどうこうできる相手じゃない、ってわからない?」

タレントにたしなめられたマネージャーにできるのは、大人しく口をつぐむこと、ただそれだけだった。「おや」と軽い驚きとともに、セイは青い瞳で歌姫の顔を見る。

「きみには怒られるかと思ってたんだが、お姫様」

からかうように言われたアゲハの瞳の赤い色が深みを増す。

「別に怒りはしないけど、不愉快ではあるわね」

「ほう。不愉快、なのかい?」

ハンバーガーを食べきったセイはソースのついた右手の親指を舐めながら訊き返す。

「ええ。不愉快ね。セイジア・タリウス、どうせあなた、また何かを企んでいるんでしょ?」

ふふん、と余裕たっぷりに女騎士は笑って、

「まあ、当たらずとも遠からず、ってところだ。別に何かを企んでいるつもりはないが、企んでいるように見えるかも知れないな」

意味の取れないことを言われた3人は困惑するが、

「とにかく、これからわたしは忙しくなるから、きみに構っている暇はないんだ」

女騎士に切って捨てるように言われた歌姫の髪が逆立つのが盲目の詩人にも見えるかのようだった。プライドの高い「彼女」にとって、ぞんざいに扱われるのは嫌われる以上に腹立たしいことなのだ、というのがわかる気がした。

「きみが気にすべきなのは、わたしではなく、後ろにいる、今夜共演する歌うたいの方だ」

「はい?」

いきなり話題を振られてカリーは困惑する。

「きみの実力は認めるが、カリーだってなかなかのものだ。自分がメインディッシュで、カリーはオードブルだ、って思っているかもしれないが、案外逆かも知れないぞ、蝶々夫人」

いい加減にしろ、とダキラは叫びたくなる。面と向かって侮辱されて誇り高く怒りっぽい歌姫がどんな反応を示すか、想像したくもなかった。だが、

「あはははははははは!」

アゲハの反応は予想外のものだった。天井を突き抜けんばかりの声量で高笑いをしたかと思うと、10代とは思えない妖しさに満ちた笑みをセイへと向けた。

「それはカリーを過大評価しているというものよ、セイジア・タリウス」

「へえ、そうなのか?」

「そうよ。確かにカリーはいい腕をしているけど、わたしがメインディッシュなら、彼は付け合わせのにんじんのグラッセ、といったところがせいぜいだわ」

「わたしはマッシュポテトの方が好みだけどな」

食堂で働いていた頃によく作ったものだ、とセイは思いながら笑みを浮かべ、アゲハも楽しげに微笑む。

(なんてこった。アゲハと真っ向から平気でやり合ってやがる)

マネージャー気取りのオールバックの青年は呆れながらも驚いていた。圧倒的な力量とオーラを持つ天才シンガーに抵抗しようとした者はこれまで例外なく叩き潰されてきたのに、金髪の騎士はまるでたじろぐ様子を見せない。逆に言えば、最強の女騎士と勝負できるアゲハの度胸も大したもの、とも考えられたが。

雪のように白いダッフルコートを身につけたアゲハは、一歩だけ下がると、にっこり微笑んだ。いつもとは違って無邪気な笑顔で、「そうしていると普通の女の子みたいだ」とセイは思う(セイはアゲハの「正体」に気づいていない)。

「セイジア・タリウス、あなたを認めるけど、あなたを認めない」

不思議なことを言われた女騎士は、きょとん、とした表情を浮かべてから、

「そんななぞなぞみたいなことを言われても、よくわからないが」

「それはそうよ。わからないように言ったんだから」

人を食った答えを返したアゲハは、

「知りたかったら、今夜のわたしの歌を聴くことね。あなたがわたしの思った通りの人なら、ちゃんと気づけると思う」

いつも自分勝手な「少女」にしては珍しく思いのこもった言葉のようにダキラには聞こえた。自分と対等な人間が現れたことが、アゲハの心をいくらか柔らかくしていたのかも知れない。天才であるがゆえの孤独に歌姫は苦しんでいたのだろうか、と今更気づかされた気がした。

「そういうことなら、しっかり聴かせてもらおう。もともと、きみの歌は楽しみにしていたんだ」

「嬉しいことを言ってくれるじゃない。じゃあ、しっかり楽しみなさい」

そう言うと、アゲハはセイのジャンパーの左袖に軽く触れて、

「今日のはまあまあよ」

とだけ言って、通り過ぎていった。ハロルドのバックダンサーに服を取り替えてもらって良かった、と思う女騎士の横をダキラも通り過ぎていく。

「カリー、油断すると、あのお姫様にやられるぞ」

セイの物言いは、うわべこそ柔らかだが、中身は真剣だと、カリーの鋭い耳が聞き逃すはずもなかった。

「心得ています」

「ならいいんだ。おまえの演奏も楽しみにしているからな」

すれちがいざまに、ぽん、と叩かれた肩に親愛の情を感じて、吟遊詩人の胸は熱くなったが、

「セイジア・タリウス、どうせあなた、また何かを企んでいるんでしょ?」

さっきのアゲハの言葉が脳裏に甦っていた。

(他の誰でもない。あのセイジアが今夜何もしないまま終わるはずがない)

その意味で、歌姫と詩人の予感は一致している、といってよかったが、その「企み」がどのようなものであるか、見抜くまでには至っていなかった。



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