第70話 女騎士さん、欠場?(前編)

セイジア・タリウス欠場、の知らせを聞いて、場内のあちこちから失望の溜息が上がった。もともと国中から敬愛されている女騎士にはファンが多く、しかも予選会でのパフォーマンスは大いに評判を呼んでいたので、彼女目当てでやってきた人もたくさんいたのだ。

「えーっ、そんなー」

「セイジア様ー」

とりわけ、金髪の騎士のファンを自認するユリ・エドガーとメル・フェイルの落ち込みようはひどかった。

「ユリちゃん、何も聞いてないの?」

見かねたチェ・リベラが訊ねるが、

「はい。最後にお会いした時は何も変わった様子はなかったんですけど」

眼鏡の少女記者がセイと最後に会ったのは5日前で、その後に「セインツ」を襲った非常事態も知らなかった。


「わたしも何も聞いてないわよ」

事情を知らないのはリブ・テンヴィーも同じことだった。

「何か変わったことはなかったんですか?」

アリエル・フィッツシモンズが動揺を隠しながら質問するが、

「特に変わったところはなかったと思うけど。まあ、あの子がおかしいのはいつものことなんだけど、そういう意味では今日もいつも通りおかしかった、という感じなのかな」

「いつも通りおかしい、ってなんだよそれ」

シーザー・レオンハルトが思わず噴き出すと、

「今朝はわたしも頑張って早起きしたのよ。あの子の晴れの舞台だから見送りしたくってね。そうしたら、『ちこくちこく』って言いながら、トーストをくわえて表に飛び出していったから、『何よそれ』って思わず突っ込んじゃったんだけど」

確かにそれはおかしい、と2人の騎士も同意せざるを得なかった。と、そのとき、

「逃げたんじゃないのか?」

とだみ声が後方から聞こえてきた。

「どうせ怖くなって、ばっくれたんだぜ。所詮、お偉い騎士様がお遊びでやったことなんだ。ざまあないぜ」

酒でも飲んで酔っ払っているのか、男の声は大きくなり、暗い場内に響いた。セイジア・タリウスには少数ではあるが「アンチ」が存在していて、この男もそういった輩なのかもしれなかった。どの世界にも人気者をねたみひがむ性根のよろしくない人間はいる、ということなのかもしれないが、恋する女子を中傷されたシーザーとアルが怒りに燃えて反論しようとすると、彼らに挟まれて座っていたリブがいち早く音もなく立ち上がって、後ろの座席を睨みつけていた。

「もう一度言ってごらんなさい」

女占い師のつぶやきは、小さなものであったが地の底から轟くような迫力を秘めていて、それまでざわついていた劇場がいっぺんに静まり返った。

「いいこと? うちのセイにろくでもないことを言う奴は地獄に落とすわよ」

紫の瞳から炎が燃え盛っているのを見て、「ひい」と思わず叫んだのは発言の主だろうか。死の国にひとり君臨する魔女のごとき威風にあたりの空気が凍り付いていくのを誰もが感じていると、

「姐御、落ち着いてくれ」

「リブさん、座りましょう」

勇気ある2人の騎士がなだめたおかげで、リブはひとまず座ることにした。

「止めなくてもよかったのよ。こないだ覚えた『三年殺し』の秘術で呪い殺してやろうかと思っていたのに」

「そんな恐ろしい術を軽々しく使わないでください」

なおも怒りが収まらない様子のリブに「しかも『こないだ』って……」と思いながらアルが苦笑いする。そして、

(おれらより姐御の方がセイを大事に思っているのかもな)

シーザーはいつも畏れ敬っている年上の女性を見直す気分になっていた。


「陛下、大丈夫でございますか?」

国王スコットの右隣に控えた侍従長が主君を気遣う。

「大丈夫、とは何がだ?」

「いえ、その、セイジア・タリウスが出演しない、とのことですが」

「じいよ、それは今さっき余も聞いて知っておる」

軽く笑われて侍従長は恐縮するが、かつての臣下が舞台に立つのを王が楽しみにしていたのをよく知っていて、それゆえに思わず問いかけてしまったのだ。

「タリウスは変わらんな」

「どういうことでしょう?」

左隣に控えた宰相ジムニー・ファンタンゴに訊かれて、「ふむ」と微笑みながら若き王は頷くと、

「あの娘はいつも余の考えの及ばぬことをしてくる。あれが余の前の前に立つときは必ず、思いがけないことを言い、思いも寄らない動きをする」

「まさしくその通りですな」

重々しく頷いたファンタンゴは、

「宰相もあやつにはいつも困らされておったな」

主君に笑われて思わず眉をひそめた。沈着冷静な男の表情がわずかに変わったのを見た国王スコットは、

「セイジア・タリウスは常に余の予想を裏切ってきた」

と言ってから、

「だが、あの娘に失望させられたこともない。だから、今度もきっとそうなるであろう」

その言葉に女騎士への変わらない信頼が込められているのを、侍従長と宰相をはじめとした周囲の家来たちは一様に感じていた。

「おや、もう始まるのか」

2階の特別席から見下ろしている国王の目に、司会者が舞台の中央にやってくるのが見えた。

「それでは最初に登場いたしますのは、『ミスター・アンド・ミセス・チルドレン』のみなさんです!」

アナウンスに続いて老人たちがステージの上にゆっくりとやってくる。

「市内で長年にわたって活動している合唱団、とのことです」

事前にプログラムを確認していた侍従長が主君に説明すると、

「年老いてなお健勝とは喜ばしいことだ」

と王も頷く。そして、「ミスチル」の面々が童謡を張りのある声で歌い出すと、場内は懐かしさと温かさにあふれた空間へと変わり、ハプニングによって生じた混乱は完全に消え失せていた。歌い終えた老人たちは万雷の拍手に迎えられ、

「見事! あっぱれである!」

国王スコットも褒め称えた。かくして、「ブランルージュ」は幕を開けたのであった。




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