第69話 大会、開幕!(後編)

「ただいまより国王陛下がご入場されます。場内の皆様はご起立のうえ、お迎えして頂けますよう、お願い致します」

係員がよく通る声でアナウンスすると、観客たちは全員立ち上がって、2階の貴賓席を見上げた。そこに国王の席も特別に設けられていると知っていたのだ。ほどなく、アステラ王国の若き国王スコットがゆっくりと入場してきた。王が笑顔を浮かべながら手を振ると、拍手が沸き起こり、「万歳」を叫ぶ者も中にはいた。

(みな楽しんでいるようだ)

常に国民を思っている温厚な王は、家臣の反対を押し切ってここまで足を運んだことを思い出しながら席についた。

「宰相、すまなかったな」

隣の席に遅れて座った宰相ジムニー・ファンタンゴは主君にいきなり謝られて怪訝な顔をする。

「一体何をお謝りになられることがあるのですか、陛下」

いや、と王は少し気まずそうに笑ってから、

「おまえが注意してくれたにもかかわらず、こうやってここまで来てしまったのを、今頃になって気がとがめたのでな。年末の忙しい時期に余がいきなり言い出したので、おまえもさぞかし困ったことだろう」

それでしたら、と宰相は整った容貌にわずかの揺らぎも見せずに、

「もう過ぎた話ではありませんか。むしろ、こうやって民が楽しむ催しにまで心を砕かれる陛下の御心に考えが及ばなかった、このファンタンゴの落ち度であります」

うむ、そうか、と国王スコットは鷹揚に頷く。

(民の幸せが余の幸せだ)

階下のなごやかな雰囲気が2階にまで届いて、王は満ち足りた気持ちになる。こうやって王宮の外に出なくてはわからないことがある、と思い、そしてようやく訪れた平和もこれからも長く守り続けなくてはいけない、という思いを新たなものとしていた。


最前列に座ったジャンニ・ケッダーはご機嫌そのものだった。今日はオブザーバーとして参加しているので、審査をするわけでもなく純粋にイベントを楽しめそうだ、というのも彼の気持ちを軽くしていた。劇場に入ると、「残念ですね」と何度も言われて、何のことか、と思っていたら、「グウィドラ」が「ブランルージュ」に参加できなくなったことを気遣われているのだ、と一緒に来たイチマに指摘されるまで気づかなかったのだ。われながら迂闊な、と思いはしたが、とはいうものの、「グウィドラ」はジャンニにとってはもはや過去の存在に成り果てていた。無断で国に帰ったチャドとカネロはともかく、トニーはもう二度と舞台に上がることはないのだ。あの不思議な少女から頼まれた「後始末」はもう済ませてある。この芸能界の大物は常に未来を見据えていて、過ぎ去った栄光にはまるで関心を寄せなかった。人によってはそれを冷酷だと捉えられたが、徹底した未来志向が彼を長きにわたって業界の頂点に君臨させていたのもまた事実であった。

(あいつが騒ぎを起こさなければいいのだがな)

そんなジャンニに唯一心配事があるとすれば、歌姫アゲハだった。彼のプロダクションに所属する類稀な才能を持つこの上なく気まぐれな存在が、今夜も段取り通りにやりおおせるとはとても思えなかった。実際、予選会では他の参加者の心を折って危うくイベントそのものをぶち壊しにするところだったのだ。主催者側も悪影響を憂慮して、アゲハをトリ、つまり一番最後の出演者とすることに決めていた。外国から来たゲストにイベントを締めくくる役どころをまかせるのはいかがなものか、という異論もあるにはあったが、歌姫の圧倒的な歌唱力の前には無駄な抵抗でしかなかった。

「大丈夫。わたしにまかせてくれればいいから」

トリに抜擢された、と聞かされたアゲハはいつになく上機嫌で、ジャンニがいくつか注意を与えても「わかってる、わかってる」と全くわかってなさそうにニコニコし続けていた。カリー・コンプと共演する、というのも「彼女」の機嫌をよくしていたのかもしれない。

(まあ、へそを曲げられるよりはマシに違いないが、あいつがわしらの思い通りに動いたためしなどない)

そう思いながらも、ジャンニ・ケッダーはこの状況を楽しんでもいた。イベントは思い通りに行かないからこそ面白い部分もある、と思っていたからだ。何一つ予想外の事の起きない、無事に円滑に終わった催しの何と味気ない事か。トラブルやハプニングが起きてこそのイベントだ、という思いもあるのだから、我ながら業が深い、と内心苦笑いを浮かべていると、

「直前になってそんなことを言われても困る」

同じ列の座席に座っていた主催者のひとり―予選会では審査委員長だった男だ―が、係員に何かを言われて困っているのがわかった。「早速問題か」と思いながら立ち上がって、

「どうされたのですか?」

と訊ねる。男は大物の登場にほっとしたような顔を浮かべると、

「出演者からプログラム変更の申し出があったのです」

と言った。ジャンニはその内容を聞いて少し驚いたものの、

「詳しい事情はわかりませんが、特に問題はなさそうですし、認めてもいいんじゃないですか?」

そう言うと、係員は「ではそのように」と言って、何処かへと走り去っていった。来賓のはずなのにジャンニがすっかり指導者みたいに振る舞っているのを本人も周囲も特に不思議には思ってはいなかった。「格の違い」とはそういうことを指すのかもしれない。

(いきなり思いがけないことが起こった)

席に戻りながら男は考える。当てが外れた、と言えたが、思わぬ楽しみができた、とも言えた。

(どういうわけなのか、その理由は舞台の上で答えを出してもらおうか)

ジャンニ・ケッダーはゆったりと背もたれに体を預けながら、これから始まる新たなステージへと思いを馳せていた。


場内が突然暗くなり、観客がざわつきだした。その声が次第に小さくなり聞こえなくなりそうになったそのとき、ファンファーレが鳴り響いた。

「大変長らくお待たせいたしました。『ブランルージュ』、いよいよ開幕です!」

豊かな声量の司会者がシャウトすると、もう一度ファンファーレが鳴り響き、客席からは歓声と拍手が鳴り響いた。舞台上にスポットライトが当たり、その中で真っ赤な背広を着た司会者が今夜のイベントについて説明を始めた。

「セイさんは一番最初に出演するんですよね?」

事前にパンフレットでプログラムを確認していたアルがつぶやく。

「あの子がトップバッターだなんて、ずいぶん思い切ったことをする、と思うけど」

予選会でかなりの評判をとったとはいえ、セイは素人だ。リブの意見はもっともなこと、と言えた。

「待つのは面倒だから、おれにはありがたいけどな」

物事を深く考え込まない性格のシーザーは単純に喜んでいた。

そうこうしているうちに、舞台上ではいくつかのセレモニーが進行していき、観客がそろそろ退屈しかけた頃、

「それではこれより演技の方に移りますが、その前にお客様にお知らせがございます」

舞台に上がった司会者がいくらか申し訳なさそうな表情を浮かべながら説明を続ける。

「今晩、出演を予定しておりましたセイジア・タリウスは事情によって出演がキャンセルになったことをここでお断りさせていただきます。どうぞご了承ください」

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