第68話 大会、開幕!(前編)

この年最後の陽が沈み、外はすっかり暗くなっていた。大晦日の夕方、アステラ王国王立大劇場メインホールの客席はほぼ満員に近い状態だった。戦争の影響で長きにわたって中断していた伝統のイベント「ブランルージュ」が今夜とうとう復活するのだ。希望と期待に胸を膨らませた善男善女が国中から集まって、芸術の祭典をこの目で見ようとしていた。

「いよいよですね」

前方に近い列に設けられたマスコミ関係者の席で、ユリ・エドガーも意気込んでいた。

「今からあんまり張り切らない方がいいわよ。25組も出演する長丁場だからね」

チェ・リベラの口調は冷めているが、白と黒の市松模様のスーツを着ているところを見ると、彼もまた今夜のイベントに期するものがあるとうかがえた。

(今日のイベントは歴史に残るイベントになる、そんな気がする)

「メルちゃん、しっかりお願いするわね。新年最初の特集号が成功するかどうか、あなたにかかってるのよ」

「はははははいー」

文化芸能部部長に励まされて泡を食っているのは、「デイリーアステラ」お抱え絵師のメル・フェイルだ。人参色のぼさぼさした長髪で身なりも野暮ったいが、美人画を描かせれば当代一流との評判も高い若き女流画家だった。

「わわわわわたし、ふふふ普段あまり表に出ないから、きききき緊張しますー」

「メルさん、わたしも一緒ですから落ち着いてくださいってば」

ユリとメルは新聞社内で数少ない女性同士、ということもあって仲が良かった。

「ななななんとか、ややややってみますー」

端目で見る限り、挙動不審なメルだったが、

(今夜はアゲハさんをこの目で見て、頭の中にしっかり焼き付けるんだ。それに、セイジア様の御姿も初めて生で観られるのも最高だ)

と心の内では創作意欲に燃えていた。美しいものを愛する彼女の心が美しい女性の絵を生み出す一番の原動力となっていたのだ。


「おまえは来なくてもよかったんだぞ」

「レオンハルトさんこそ、まだ仕事が残っているんじゃないんですか?」

シーザー・レオンハルトとアリエル・フィッツシモンズは相変わらずギスギスしたやりとりをしながら、座席を探していた。

「へっ。おれはきっちり仕事納めをしてきたぜ。今日この日のためにな」

セイジア・タリウスを応援するためなら、青年騎士は苦手なデスクワークに長時間励むことも厭わなかった。

「おまえこそ、実家に戻らなくていいのか?」

「ぼくとセイさんは家族公認の仲ですから」

茶色い髪の少年は胸を張る。最強の女騎士をアルの嫁に迎え入れるのは、フィッツシモンズ家挙げての目標になりつつあった(ただ一人妹のアリシアだけが不賛成だったが)。とはいえ、進捗が見られないようだと家族ぐるみで総攻撃を仕掛けてきかねないので、残されている時間はそう多くはない、とアルは大いに危惧していた。

「けっ。おまえとセイに『仲』なんて存在しねえだろうが。無いものを認めるなんて、おまえの家族もずいぶんむなしい真似をするもんだな」

「むなしいのはあなたの頭の中身ですよ。お気の毒様です」

「なんだとコラ。てめえの命も今年限りにしてやろうか?」

「初日の出を拝めないのはあなたの方ですよ」

くだらないいがみあいでしかなかったが、国防のトップとその腹心ともなると強烈な迫力を伴っていて、2人の周りから波が引くように人が離れていったのだが、

「シーザーくん、アルくん、こっちこっち」

そこへ春風のような温かさを感じさせる声が聞こえてきた。王国一の占い師リブ・テンヴィーが劇場の中央付近の座席に陣取っているのが2人の騎士の目に飛び込んできた。

「ほら、早く来なさい。いつまでもじゃれあってたら、他のみんなの迷惑になるでしょ?」

この美女にかかると「アステラの若獅子」と「王国の鳳雛」の凄絶な果たし合いも野良犬の喧嘩と何ら変わらないものになってしまうようで、シーザーとアルからはそれまでの殺気は消え失せ、リブの言われるがまま、とぼとぼと彼女のそばへと歩み寄っていくしかない。

「まったく。いい加減仲良くしなさい。今度喧嘩したら、2人とも石像に変えて、わたしの家の前に飾っちゃうからね」

脅し文句にしても途方もないことを言うものだが、この占い師が本気で睨みつければ、人間を石に帰ることなどたやすい、と思わせる凄味が彼女にはあった。

「すまん、姐御」

「面目ありません、リブさん」

2人の騎士は頭を下げるが、いざ近づいてみると、目の前に座ったリブがいつにも増して魅力的なことに気づかざるを得なかった。肩もあらわな真っ赤なドレスは何度となく目にした、彼女のお気に入りの一着だが、それだけで真冬の街を歩けるはずもないので、その上から黒いミンクのコートを羽織っていた。その黒さがリブの肌の白さをより際立てていて、ブルネットの髪が一筋肩に垂れているのが、男の自制心にとどめを刺すかのごとく煽情的に見える。白と赤と黒。絶妙な配色に劇場中の視線が集まっているのも無理はない、と青年も少年も考える。

(舞台よりも客席の方が目立ってどうするんだよ)

並の女優では太刀打ち出来ないほどの色気を発散させている妖艶なおねえさんを見て、シーザーは思わず口には出さず突っ込んでしまうが、

「何か文句がありそうね?」

驕慢な女帝を思わせる威圧感を加えられて、

「滅相もない!」

と慌てて謝罪する青年騎士。しかし、目立っていることについては2人の騎士もあまり彼女のことは言えなかった。白いタキシードに身を包んだアルはまさしく貴族的な立ち居振る舞いで、場内の(主に少年よりも年上の)女性の歓心を買っていて、背中に「ASTELLA ROYAL KNIGHTS」と書かれた銀色のスタッフジャンパーと真っ青なパンタロンを身に着けたシーザーは不良ワルの魅力を振りまくアクションスターのようで、「格好いい」と男女を問わず熱い視線を送られていたのだ。

「ところで、なんなの、そのダサいスタジャン。最近流行ってるの?」

リブに呆れられて、

「いや、王立騎士団の創設1周年を記念して作ったもので、おれが自分でデザインした自信作なんだが」

シーザーが首を捻ったのを見て、

(一番やったらいけない人がやっちゃったのね)

リブは再び呆れ、

(ぼくは必死で止めたんですよ)

アルも心の中で弁解するが、そこで「ん?」と王立騎士団団長は何かに気づく。

「なあ、姐御。今『流行ってる』って言ってたが、他の誰かが着ているのを見たのか?」

はあ、とリブは本人にそのつもりはなくても、なまめかしく聞こえてしまう溜息をついてから、

「セイがしょっちゅうそれを着て出歩いてたのよ。『もっとマシな服はあるでしょ?』って止めたんだけど、気に入っちゃったみたいでね」

「マジでか? そうか。あいつにも一応贈っておいたんだが、そんなに気に入ってくれたのか。うわあ、最高だな」

シーザー・レオンハルトの喜ぶことと言ったらなかった。自分のデザインした服を好きな女子が着てくれて、しかも、今自分もその服を着ているということは、お揃い、ペアルックではないか。ということは、もはや恋人になったも同然ではないか、と同然であるはずもないのに青年騎士は思い込む有様だった。

(なんだかすごく負けた気がする)

その一方で、アルは悲嘆に暮れていた。あまりのダサさにジャンパーに一度も袖を通さないでおいたことに、ここまで敗北感を覚えることになろうとは、予想外にも程があった。石が浮いて木の葉が沈んだかのような不条理な事態に少年騎士は打ちのめされていた。

「そんなことはどうでもいいから、早く座って」

ぽんぽん、と女占い師が両手で左右の座席を叩いたので、シーザーは左に、アルは右に座ることにする。

「あなたたち、今日のお目当ては誰なの?」

「セイに決まってる」

「セイさんです」

ほぼ同時に左右から返事が来て、「そりゃそうよね」とリブも納得する。恋する女子のパフォーマンスだ。見ないで済ませられるはずもなかった。

「セイのダンス、わたしも直接見たことはないから、とても楽しみ」

「へえ、そうなんですか。聞くところによると、かなり評判はいいみたいですけど、どんな感じなんでしょうね」

リブとアルが話し合っていると、

「なんにせよ、おれは全力で応援するだけだ。全身全霊で応援してやろうと思っている」

シーザーが早くも気合を入れまくっているのがおかしくなって、

「お手柔らかにね」

とリブは微笑んだ。


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