第63話 グウィドラの破滅・トニー編(その2)
マズカ帝国で人気の男性アイドルユニット「グウィドラ」のメンバー、トニー、チャド、カネロの3人は仲が悪かった。もともと性格が合わなかったうえに、3人とも「俺が俺が」と前に出ようとする目立とう精神の持ち主(それ自体は芸能人として悪いことではないが)だったので、協調できるはずもなかったのだ。だが、ただひとつ、セックスが大好物、という共通点があって、「追っかけ」の女の子を食い物にするときだけは一致団結して行動に当たっていた。ホテルの一室を貸し切って取っ替え引っ替え乱行に及んだことは何度もあった。しかし、そうすることもいつの間にかなくなっていた。別に関係が悪化したわけではない。悪化するほどの関係性は3人の間にはもともとなかったからだ。乱行が止んだ理由があるとすれば、それはトニーの行動がエスカレートしていくのに他の2人がついていけなくなった、というのが一番大きいはずだった。
そして、今夜、トニーは真っ暗な小屋の中で息を荒くして目を輝かせていた。両耳に嵌められたピアスが鈍く光っているのが夜目でもわかった。やりたいことをようやくやれる、という歓喜に満たされて、さんざんお預けを食わされていた犬のようだったこれまでの気分が一気に晴れた気がしていた。それこそ、犬のように舌を出しそうになるくらい、彼は興奮しきっていた。
彼の目の前には2人の少女が横たわっていた。どちらの服も切り裂かれて、ほとんど裸になってしまっている。さっき街中で見つけた娘を、事前に見当を付けていた郊外の小屋までさらってきたのだ。深夜なので人通りもなく、誰かに見つかる心配はない。
「こいつは当たりですね」
ひとりの少女の顔をまじまじと覗き込んでいた銀縁眼鏡の若者がにやにや笑う。たまたま見つけたにしてはよい獲物が手に入った、という意味なのだろう、と「同好の士」の言葉をトニーは理解したつもりになる。
ばちん、と大きな音がした方を見ると、もうひとりの少女の上に馬乗りになった太った男が娘の頬を張り飛ばしたのだとわかった。
「あんまり痛めつけないでくださいよ」
眼鏡がびくびくしながら注意するが、
「おれに指図するんじゃねえ」
男に睨まれて、ひい、と首をすくめる。
「おいおい。もっと楽しもうぜ」
手に持った瓶から、酒をぐびぐび飲みながらトニーが言うと、2人もそれを受け入れたのが、明かりのない室内でもわかった。やっと訪れたチャンスなのだ。楽しまないだけ損だ、とアイドルは酔いが回ってふやけた脳味噌で考えていた。
どんな大好物でもずっと食べ続けていると飽きてしまうように、セックスにも飽きが来るものなのかもしれない。いつ頃からなのか、トニーはありきたりの性交に満足できないようになり、特殊な「プレイ」に活路を見出すようになっていた。とりわけ彼のお気に召したのは、サディスティックな「プレイ」だった。女を痛めつけ、泣かせ、傷つけることに何よりの快感を覚えるようになっていた。最初は軽く殴りつける程度だったが、次第に攻撃の程度は増していき、相手に怪我をさせるのは当たり前のようになった。しかし、そんなことをされた相手はたまったものではなく、「追っかけ」から訴えられたり、娼婦を傷物にされた「組織」が怒って「グウィドラ」の事務所に抗議してきたこともあった。その際は、裏社会とも付き合いのあるジャンニ・ケッダーが説得に乗り出して事なきを得たのだが、
「少しは身を慎め」
と社長からトニーは厳重注意を受け、他のメンバーからは「つきあってられない」と距離を置かれてしまった。こうなっては、さすがの少年も反省せざるを得ない。ただし、「こんなことは二度としない」というのではなく「次はバレないようにしよう」という方向に反省していたのだが。完全に犯罪者の心理に基づいて彼は動くようになってしまっていた。
「後腐れのない人間を選ぶのが一番いい」
というのがトニーの考えだした解決策だ。どんなひどい目に遭わせようとも文句を言ってこない相手なら問題はないはずだった。というわけで、彼はスラムに住む女性に目を付けた。マズカ帝国の首都ブラベリの片隅にある貧民街に出かけては犠牲者を見繕おうとしたのだが、一応は有名人である少年が表立って動くわけにもいかないのでいつの間にか知り合っていた「同類」にゲットしてもらうことにした。彼と同じく女性を痛めつけることに喜びを感じ、上流社会から爪弾きにされている点でも同じ人間とトニーはつるむようになっていた。薬物で身を持ち崩した資産家の御曹司とメイドと執事を何人も殴りつけて死なせたことで廃嫡されたある貴族の跡取り息子、その2人とアイドルは共に行動をとるようになり、貧しい女性たちを夜な夜な毒牙にかけては、歪んだ欲望を満たしていったのであった。
しかし、「グウィドラ」がアステラ王国にツアーに出かけてからは、異国の地で「標的」を見つけるのに苦労し、フラストレーションは日々募る一方だった。とうとうある高級バーでホステスを暴行して騒ぎを起こしたことで、
「これではダメだ」
と思ったトニーは母国から仲間を呼び寄せ、いつもの「遊戯」に及ぶことにしたのだ。我慢をする、という選択肢はこの少年の中には
「おれはこっちにするわ」
太った男はそう言うなり、
「もっと抵抗しろよ」
と、イクをもう一度ビンタした。さっきとは逆の頬を張られて口の中が鉄の味であふれる。
(誰がするもんか)
とイクは思っていた。負けん気の強い彼女には男の言うことを聞く気などまるでなかった。「抵抗しろ」と言ってくる相手には抵抗しないことが抵抗になるのだ。もっとも、そんな気の強さを男に見込まれたのがボブカットの娘の不運ではあった。心の強い少女の精神を痛めつけ、意志を打ち砕くのがこの肥満体の何よりの快楽なのだ。それ以外にも、抵抗しない理由は別にあった。
(これ以上やられたら、大会に出られなくなる)
殴られて顔が変形してしまえば「ブランルージュ」の舞台は上がれない、と思ったのだ。生きて帰れるかもわからない状況でそんなことを気にしている自分が愚かしく思えたが、この時点でも最悪の事態は回避できている、と思えたことが少女の気持ちをわずかながら楽にさせていた。
(シュナはここにはいない)
姉と同時にさらわれたはずの妹はこの場にはいなかった。拉致された直後に馬車から投げ出されたもの、あれがシュナだったのだろう、とイクは思っていた。猛スピードで走る車体から舗道に抛り出されて無事でいられるとも思えないが、それでもこの地獄よりははるかにマシだった。
(わたしはどうなってもいい。シュナが無事でいてくれれば)
たったひとりの肉親を思って涙を流した少女の顔に、
「寝てんじゃねえぞ」
太った男の分厚い掌が一撃を見舞った。
「ああいうのは野蛮で嫌ですねえ」
銀縁眼鏡をかけた若者が眉をひそめながら傍に置いてあったカバンから何かを取り出した。銀色のケースだ。ぱか、と開かれると、その中に注射器と何個かのアンプルが入っているのが、手足を縛られ寝かせられたシーリンにも見えた。
「今からきみにこのお薬をあげます。ちっとも痛くありませんよ。とってもとっても気持ちがよくなるお薬ですから、心配しないでください」
透明な液体の入ったアンプルを見せられながら、猫撫で声で告げられて、
(そんなの、絶対ヤバいやつに決まってる)
シーリンは確信し、それは当たっていた。若者の言う「薬」というのは、強力な麻薬、正しくは強力すぎる麻薬だった。一度打たれると正気には戻れず廃人になってしまう、下手をすれば死に至る代物だった。
「この世のものとは思えない快楽を味わえる、きみはとっても幸せです」
よだれを垂らしそうになりながら、眼鏡の男は言った。この麻薬を打たれて催淫状態になった女性と交わるのを彼は無上の楽しみとしていた。絶頂に達して、そこから戻れないまま人間をやめていく犠牲者を観察していると神になれた気がしたのだ。
(いやだ。いやだ)
これから自分を待ち受けているものを想像したシーリンは身をよじって逃れようとするが、
「ああ、だめだめ。じっとしてようね」
男にたやすく動きを止められてしまう。この期に及んで紳士的な態度を崩さないのが、この若者の内面に鬼畜が巣食っている何よりの証明だ、という気が少女にはした。
「おふたりさん、ちゃっちゃと済ませてくれよ」
酒をラッパ飲みしながらトニーがへらへら笑う。そして、
「最後はおれがきっちり始末してやるからよ」
と言いながら、折り畳みナイフ(偶然にもチャドと同じものだ)を取り出した。その銀色の刃が深夜の暗闇にきらめくのを、ほぼ同時に振り返った眼鏡と肥満体はぼんやり眺めてから、
(狂ってる)
と、自分たちの頭がおかしいのは棚に上げて、2人とも思った。そんな仲間の評価など気にも留めず、ひひひ、とトニーは笑う。
(やっとできるんだ。やっと殺せるんだ)
そう思うと、嬉しさのあまり小躍りしてしまいそうになる。今の彼は女性を殺すことに喜びを見出すようになってしまっていた。最初は痛めつけるだけにとどめておいたのだが、一度誤って死なせてしまったときに、
(これだ)
と目覚めてしまったのだ。そこからは明確な殺意を持って行為に及んでいた。いろんな殺し方を試してみたが、結局はナイフを使うのが一番だ、と考えるようになった。白い肌を傷つけ、顔面を切り裂き、最後は心臓に突き刺す。それを考えただけで腰が砕けそうになる。性犯罪者から快楽殺人鬼へとレベルアップ、あるいはレベルダウンした少年は短く刈った髪に触れてから、
(今夜は運がいい)
数え切れないほどの女性を天国に送ってきたが、2人を一遍に、というのはあまり記憶になかった。本当は3人だったが、一人はあまりにも子供すぎたので捨ててきたのだ。別に情けをかけたわけではなく、子供を痛めつけ殺したところで楽しくはない、と以前の経験から考えただけのことだった。せっかくの機会だから、2人同時に痛めつける特別なやり方を試してみようか、と頭の中で算段を練り始める。
「じゃあ、やるぞ」
肥満体が太い声でつぶやくと、
「はい」
眼鏡が甲高い声で同意する。
太った男は丸いこぶしを握り締めた。やっと本気を出して殴れるかと思うとうれしくてたまらなかった。少女の美しい顔面を自分の手で醜く変形させてやる。その後で体中の骨を砕くのだ。ふごー、ふごー、とうごめくブタのように潰れた鼻を見上げながらイクは「もうだめだ」と諦めてしまう。
「じっとしててくださいね」
若者の声とともに冷たい気配がして、左腕に注射器の針が迫り来るのにシーリンは気づく。
(こいつら最悪だ)
長い黒髪の少女はそう思っていた。貧民街で生まれ育ったので、犯罪者はごく当たり前のように見てきた。自分たちだって罪を犯したことはある。そうやって、盗みを働いたのをセイジア・タリウスに見つかってしまったのだが。しかし、自分たちの場合もそうだったが、スラムでの犯罪は生きるために必要に迫られてやったものだ。もちろん、決して擁護されるべきことではなく、罪であることに変わりはない。だが、今、自分たちを辱めようとしている連中が、何の必要もないのに気持ちよくなりたいためだけに罪を犯そうとしているのを見れば、「下には下がいる」と思わざるを得なかった。自分たちよりも身なりのいい人間の犠牲になろうとしていることに、少女は絶望し、針が肌に潜り込みつつあるのを感じて悲鳴を上げた。
「いくぞ」
太った男の右腕を大きく振りかぶる。その拳が直撃するのを想像して、イクは目を閉じてしまう。太い腕が少女の顔面目掛けて動き出したそのとき、
「ぱん」
夜更けの郊外に軽快な破裂音が鳴り響き、男も少女も、その場にいた全員は動きを止める。
「なんだ、今の?」
「さあ」
眼鏡の若者の返事が要領を得なかったので、トニーはやはり動きを止めている肥満体の男に訊ねようとしたが、
「え?」
太った男の動きが止まった理由が自分たちとは違うことに気づいていた。
「うう、あああ」
呻き声を発しながら、どう、と大きな音を立てて巨体が横倒しになる。ぬるく臭い液体が顔にかかったのを感じて、イクが右手をやると、闇の中でも真っ赤に染まっているのが見えた。血だ。男の右のこめかみに穴が開いて、どくどくと黒い汁をあふれされている。
死神は騒々しく乱暴に踏み込んできたりはしない、とその夜この小屋にいた人間は全員知ることとなった。悪人に死を告げる神の御使いは、音もなく優雅に現れるのだ、と。黒いドレスをまとった少女の形を取った死の化身は小屋の中に悠然と入ってくると、眼鏡の若者のすぐ目の前にまで歩を進め、そして、右手に持った銃で彼の額に狙いを付けた。
「は?」
見入られたかのように全く動こうともしない若者の眉間を弾丸が撃ち抜く。頭の中身を小屋の壁面にぶちまけ、ジャンキーはこの世に別れを告げる。魂のなくなった空っぽの肉体を見下ろす少女の顔には何の感情も見えず、ひたすら美しい、としか言いようがない。間一髪で危機を逃れたシーリンだったが、喜びは全く感じられなかった。
(リアス?)
リアス・アークエットが突然現れたことに驚く気持ちしかなかった。いつもダンスを教えてくれる厳しくも優しい美少女が外道を撃ち殺している。そんな状況を理解することができずにいると、どたどた、と騒がしい音がした。見ると、トニーがイクを引き起こして、少女の喉元にナイフを突きつけているではないか。人質に取るつもりなのは明白だった。マズカの少年アイドルは勝ち誇ったかのような笑い顔で、
「こいつがどうなっても」
銃声が鳴り響いたので、それ以上は言えなかった。
「あああああああああ?」
少年の右の耳が大きく欠けていた。まるで大きなネズミにかじられたかのようだ。痛みと流血で動転したトニーはイクの身体を抛り出すと、見苦しく逃亡しようとするが、
「ぱん、ぱん」
両膝を撃ち抜かれて、派手に転倒する。リボルバーに弾丸を込めながらリアスは倒れ込んだ外道の親玉に近づいていくと、
「どうなってもいいわけないでしょ」
と言い放ち、今度は少年の両方の肘を撃ち抜いた。多くの女性たちを痛めつけてきた少年も痛みには弱いらしく、白目を剥いて気絶する。
「この子たちは、わたしの宝物なんだから」
そう言うと、リアス・アークエットの目にようやく感情らしき光が宿った。
「人質を気にしているうちは、ガンマンとしては下の下だ」
というのは、彼女の師匠であるノジオ・Aの教えだった。人質を盾に取られても、狙いが正確でスピードが十分あれば、気にせずに犯人を射ち倒せる、というわけで、実際リアスも人質を取られたことは何度もあったが、それを気にせずにさっさと倒してしまうのが常で、今回もそうしたまでのことだった。
(間に合って本当によかった、だけど)
少女ガンマンはそっと溜息をついた。
(ここからが大変ね)
悪党を倒すことなどリアスには実にたやすかった。だが、むしろ問題なのは後始末の方なのだ、と賢明な少女は気づいていた。
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