第64話 グウィドラの破滅・トニー編(その3)

(危なかった)

教え子の少女たちを助けたにも関わらず、リアス・アークエットを身震いする思いでいた。姉とシーリンを迎えに行く、と言ってシュナが一人で「くまさん亭」まで出かけた後で、何故か急に不安になって後を追いかけたところ、食堂へ向かう道の途中で人が集まっていて、その中には食堂の女主人であるノーザ・ベアラーの姿もあった。

「リアスさん、大変だよ」

少女の顔を見るなりノーザは叫んだが、その声を聞くまでもなく、リアスは恐るべき事態が起こっているのを察していた。

「シュナ!」

人だかりの真ん中で、「セインツ」で一番年少の娘が横たわっていた。顔や腕に傷を負っているのがわかって、リアスはパニックになりかける。

「ひでえことをしやがる。こんな子を馬車から突き落としやがって」

たまたま目撃したらしい労務者が吐き捨てたのに驚いて目を見開いた黒ずくめの少女の存在に気づいたシュナが、

「おねえちゃんが。シーリンが」

と泣き叫んだ。自分だって痛くて苦しいはずなのに、姉と友人の心配をしている少女から話を聞き取ると、リアスは親切な商売人から馬を借りて、シーリンとイクを誘拐した連中の追跡を開始した。天も味方したのか、悪党の乗った馬車を目撃した人間が複数いたことから、行方はすぐに突き止められた。拳銃使いだった頃に誘拐事件を何回か解決した経験があったのも幸いだったと言えた。とはいえ、少女たちが凌辱されなかったのは、全くの幸運だった、としかリアスには思えなかった。

(ノーザさんがシュナの面倒を見てくれているはずだけど)

そう考えてから、シーリンとイクの様子もちゃんと確認しなければいけないのを思い出した少女ガンマンが、「ねえ、あなたたち」と言いながら、教え子の方を振り向くと、びく、と2人は体を震わせて、壁際へと後退した。自分を怖がっているのだ、と思ってリアスはショックを受けたが、

(それはそうよ)

と溜息をついた。生きている価値のない悪人であっても人殺しは人殺しなのだ。怖がられて当然ではないか。そう考えて、どうにか子供たちの反応を受け入れようと努力はしたものの、傷ついたことは否定できなかった。これからもずっと怖がられるのだろうか、と思うと胸が痛んだが、

(それならそれでいい)

リアス・アークエットは胸を張って前を見据える。教え子にどう思われようとも、必ず守って見せるつもりだった。2人に近づくと屈みこんで顔を覗き込む。シーリンは特に異常はなさそうだったが、イクの顔は腫れて、唇が切れているのがわかった。あのデブに殴られたのだ、と悟って、もっと苦しませてやればよかった、と憎らしく思ったが、ただの脂肪の塊に成り果てたケダモノに思いを巡らせたのは一瞬で、

「痛い?」

ボブカットの少女の顔に軽く触れながら訊ねると、こくり、と頷かれた。リアスは若干無理に笑って見せると、

「骨が折れたりはしてないわ。明日になったらもっと腫れるかもしれないけど、大晦日までには収まっているはずよ。もし、腫れが残っていても、メイクでなんとかするから」

少し厚化粧になっちゃうかもね、とジョークを飛ばしてみても、2人の反応は薄い。死ぬほどの怖い思いをしたばかりだから無理もなかったが、自分も怖がられているのか、と思うと黒いドレスを着た美少女は落ち込んでいくばかりだった。

「リアスは前からこんなことをしてたの?」

シーリンが不意に訊ねてきた。

「こんなことって?」

「今みたいに、銃で人を撃つのを」

しばらく黙ってから、

「ええ、そうよ。わたし、この国に来る前は拳銃使いをしていたの。あなたたちに黙っていて悪かったけど」

今更隠し通せるはずもないので素直に認めると、向かい合ったシーリンとイクの表情が驚愕に変わり、唇が震え、

「ひ、ひ、ひ」

と言葉にならない声が2人の口から飛び出す。コーチの正体を知って裏切られた思いなのだろう、殺人者だと知って軽蔑しているのだろう、と想像してリアスの気持ちはすっかり重くなる。

「ひ、ひ、ひ」

それに続く言葉は何だろうか。「人殺し」だろうか、「ひとでなし」だろうか、「ひどい」だろうか。いずれにしても罵られるに決まっている、と美しき拳銃使いが覚悟を決めていると、

「ヒーローじゃん!」

と2人の少女が叫んだので、

「は?」

リアスは呆気に取られてしまう。

「え? あの、『ヒーロー』って、どういうこと?」

と聞き返すと、

「あ、そうか。リアスは女の人だから、『ヒロイン』って言わなきゃダメだったね」

シーリンに的外れの反省をされて、ずっこけそうになってしまう。

「いや、そうじゃなくってね。わたしが今、人を殺したのを見てたでしょ? それを『ヒーロー』って言うのはおかしくない?」

「そうかもしれないけど、わたしたちを助けてくれたじゃん。だったら、ヒーローだよ」

そう言い切ったイクの横で、うんうん、とシーリンも大きく頷いている。

「それに、あんなやつら、死んで当然だよ。いい気味」

イクが憎々しげに言ったのをリアスは咎められない。彼女も過去に男に襲われたことがあって、子供たちがどれほど恐ろしい思いをしたかは理解できた。失われていい命などない、というのは確かに正しいのだろう。しかし、その正しさはこの場において2人の少女を何ら救ってくれはしないのだ。

「それにね、わたしら、リアスがすごく強いって知ってたから、拳銃使いって聞いてもあんまりビックリしないよ」

シーリンがぎこちなく笑いながらそう言うと、うんうん、と今度はイクが大きく頷いたので、リアスは驚いてしまう。

「そんなの、どうして知ってたの?」

どうしても何も、とイクと顔を見合わせたシーリンが、

「だって、いつだったか、ベックのお店でわたしらが踊っているときに、騒いでた酔っぱらいを投げ飛ばしてたから」

「そうそう。それに、わたしらに野次を飛ばした馬鹿のきんたまを蹴って黙らせたこともあったじゃん」

そう言ってイクが笑ったので、そんなことあった? と「テイク・ファイブ」の可愛い用心棒は手で顔を覆ってしまう。年頃の女の子なのだから「きんたま」とか言わない方がいい、と注意した方がいいのか、と悩んでいると、

「だから、わたしたち、リアスが拳銃使いでも全然大丈夫だから」

「っていうか、逆にますますリスペクトしたくなったんだけど。美人で強いなんて、最高だもん。マジで憧れちゃう」

シーリンとイクの言葉を聞いたリアスは返事をする代わりに2人を強く抱き寄せる。自分と2人の間に確かな絆があったことを嬉しく思う気持ち、そして2人の無事を喜ぶ気持ちを表現する言葉が見つからなかったのだ。いつもは怖いコーチに優しく抱かれた2人の少女の身体が震え、激しく泣き出した。男たちに襲われた恐怖が甦ったのだろう。「こわかった」という言葉しか出て来ない。

「ええ、そうね。でも、2人ともよく頑張ったわね」

自分の声が震えているのがリアスにもよくわかった。そして、2人がほとんど裸に近い状態だと気づいて、早く服を着せてあげないと、と思っていると、

「みんな大丈夫か?」

背後から力強い声が聞こえた。セイジア・タリウスがやってきたのだ。金色の髪が夜目にも光って見える。

「ええ、なんとか。ちゃんと来てくれたのね」

2人を探しに行く前にノーザ・ベアラーに女騎士に連絡を取ってもらうように頼んでおいたのだ。

「今日出かけた劇場から帰る途中で『くまさん亭』に寄ろうと思ってたから、運が良かった。おかみさんから話を聞いてすぐにダッシュで後を追いかけてきたんだ」

「まさか、ここまで走ってきたの? 結構距離があったと思うけど」

「だって、馬よりもわたしの脚の方が速いから」

どれだけ俊足なのよ、とセイの超人ぶりに前髪を切りそろえた美少女は呆れる。

「あ、そうだ。これもおかみさんから聞いた話だが、シュナは大した怪我じゃない って、自分で言ってるそうだ」

「本当?」

イクが大きな声を出す。やはり妹が心配だったのだろう。

「ああ。だから、医者にも行かずに済みそうだ、って話だ」

よかったー、とボブカットの少女は息を大きくつく。

「ねえ、セイ。この子たちに服を着せてあげたいんだけど」

リアスの言葉に、ああ、そうだな、と答えながら、女騎士は着ていたジャンパーを脱いでからシーリンに投げ渡す。それから、

「こいつ、いいコートを着てるな」

と言いながら、銀縁眼鏡の若者の死体からコートを剥ぎ取った。もっとも、リアスに撃たれた時点で眼鏡は何処かに飛んで行ってしまっていたが。

「気持ち悪いだろうが、我慢してくれ」

とイクにも投げ渡すと、

「どうでもいいよ。寒くて風邪をひきそうだもん」

ボブカットの娘が血と肉片のこびりついたコートにくるまるのを見て、セイは困ったように微笑んだが、その表情はすぐに引き締まったものとなる。

「殺したのか」

いつも陽気な女騎士らしからぬ重々しい声だった。

「ええ、殺したわ」

それに答えた少女ガンマンの声はいたって冷静なもので、二人の口から出た響きは見事なまでに好対照をなしていた。小屋の中に転がった2つの死体を見下ろしてから、

「面倒なことになるぞ」

とセイはつぶやく。彼女はリアスの行為を道義的に責めるつもりは全くなかった。戦場で敵国の兵士を手にかけてきた自分に責める資格などないのは十二分に自覚しているつもりだった。金髪の騎士が憂慮しているのは、これから後をどのように処理するか、ということだ。人の命が失われた以上、簡単に片づけられない事態となったのはもはや明白であった。

「面倒になるのを承知の上で殺したのよ」

リアスの言葉は実に落ち着いたものだった。彼女は一時の激情に駆られて男たちを殺したのではなく、確固たる決意のもとで始末したのだ、というのがセイにも伝わる。

「ねえ、リアスは捕まったりしないよね?」

シーリンが不安な表情を浮かべて叫んだ。

「もちろん、そんなことはさせないさ。こうなったら一蓮托生だ。わたしも後始末を手伝おう」

セイは一点の曇りもない笑顔を浮かべる。リアスの行為が正しかろうとそうでなかろうと、共に背負っていこうと決めた表情だった。

「気持ちは嬉しいけど、あなたみたいな立派な騎士を犯罪者にするわけにはいかないわ」

少女ガンマンが立ち上がると、ふわり、とドレスの裾が広がった。リアスの黒い瞳がセイの青い瞳と見つめ合い、

「セイ、あなたはこの子たちを家まで無事に送って。こいつらの始末はわたし一人でやるから」

「しかし」

女騎士の懸念は消えない。拳銃使いの強さはよく知っているが、それでも事件の後始末を一人でできるとは考えにくかった。

「大丈夫。どうやって処理するかを考えて、最初から動いていたから」

そうつぶやいたリアスの視線の先には四肢を撃ち抜かれた男がいた。かなり出血しているが、時折ぴくぴく痙攣しているので生きているのは間違いなかった。

「なるほど。あいつだけ生かしておいたのは何故か、と気になっていたが、そういうことだったのか」

「ええ、そういうことよ。まあ、生かしておいた、ということでもあり、殺せなかった、ということでもあるけどね」

どういう意味か、と眉を顰める騎士を見てリアスは噴き出すと、

「だから、これからもうひと頑張りしないといけないのよ」

そう言って、殺人現場に似つかわしくない華やかな笑顔を浮かべた。

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