第57話 グウィドラの破滅・カネロ編(その4)
「くまさん亭」を出たカリー・コンプの後をカネロは尾行していた。彼が引き連れている4人の屈強な男たちは、「グウィドラ」のサポートメンバーであると同時に、カネロのトレーニング仲間であった。赤髪の少年には楽器の演奏だけでなく格闘技の心得もあって、騎士上がりのコーチから直接指導を受けていて、見事な肉体に鍛え上げていた。ジムでのスパーリングでもストリートファイトでも負けたことはない。
(おれ一人で十分なはずだが、念には念を入れて、だ)
大衆食堂で凄まじいまでのパフォーマンスを披露していた吟遊詩人に制裁を加えるために、4人を呼び出したのだ。どう考えても逆恨みでしかなく、カリーを痛めつけたところで勲章になるどころかむしろ恥を上塗りするだけなのだが、そうでもしなければ心の傷がずきずき痛むのを止められはしない、とカネロは思い込んでいた。その傷にしたところで、甘やかされたアイドルが自分で勝手に傷ついただけなので、詩人にとってはいい迷惑としか言いようがなかったのだが。
(何処へ行きやがる)
杖を突きながら歩いているにもかかわらず、カリーの脚は意外と速く、止まる様子はまるでなかった。角を曲がって、表通りから狭く暗い裏通りへと入っていく。目が見えない詩人は追跡してくる男たちに気づく様子もなさそうで、後ろから来る仲間が小声で冗談を飛ばし合っているのを聞いても、カネロは咎めるつもりはなかった。こちらは腕に覚えのある5人組で、向こうは日常生活にも支障をきたすであろうハンデを抱えた男ただひとりなのだ。どう考えても、この後の展開はわかりきっていて、油断があろうと隙があろうと何も問題にはならないはずなのだ。弱者を相手をリンチにかけるおのれの残忍さに思いを馳せるほど、カネロの心は成熟してはおらず、ただただ邪魔者を痛めつける期待に胸を膨らませるだけであった。最初に楽器を破壊してから、二目と見られぬほどに顔を傷つけ、二度と演奏できないように腕と指をへし折ってやるつもりだった。喉笛を踏みつけて砕いてやれば歌うこともできなくなる。乾いた唇を舌で舐めまわしながらも、白い寛衣をまとった詩人の背中から目を離すことはない。
(おいおい。まるでおれたちを誘っているみたいじゃないか)
カリーが路地の奥へと進むのを見ているうちに、カネロは笑いをこらえられなくなる。人目も届かず、叫んだところで誰にも聞こえはしない、昼間でも寂しいはずだと少年の貧困な精神にも想像がつく。暴力にはおあつらえ向きの場所をわざわざ自ら目指している獲物に、カネロは憐れみすら覚えつつあった。道の幅がますます狭まり、左右の建物が肩に触れるようになり、腐った残飯の湿った臭いが何処からか漂ってきて、仲間の舌打ちが聞こえたそのとき、
「え?」
カネロは詩人を見失っていた。よそ見をしたわけではない。目の前が真っ暗になっていたのだ。何処からも明かりが届かない、都会の真ん中に生じた完全なる暗黒が少年たちの行く手に待ち受けていた。
「おい、先に行って探してこい」
なるべく怯えを見せないように気を付けながら、カネロは仲間に命じた。少年と同じくやはり身体は大きくとも知能は平均以下の4人の若者たちは、特に何も考えないまま前方へと足を踏み出した。
「何処へ行きやがった」
ひとりがそうつぶやいたのは、撒かれてしまったのではないか、という不安があったからだ。もし、そんなことになれば、リーダー気取りの少年からどんな目に遭わされるかわからない、と思っていた。だが、ここで彼らはもっと別のことを心配するべきだったのだろう。すなわち、獲物に逃げられたことではなく、獲物から逆襲されるのを恐れるべきだった。
しゅっ、と風を切って地面から毒蛇のように襲い来るものがあった。それは最初の犠牲者の
「ぎっ!」
短い叫び声で何らかの異常が起こったとカネロたちは察したものの、辺りが暗闇に包まれているために正確な状況を把握できない。どた、と地面に何かが倒れた大きな音が聞こえた瞬間に、またしても暗がりを鋭く切り裂く音がして、第二の犠牲者のみぞおちに何か硬いものがめりこんでいた。
「がはっ!」
ここに至って、少年たちはようやく何者かに襲われていることに気づいたが、時既に遅く、第三と第四の犠牲者は同時に眉間に強い衝撃を受けて意識を失い、2日前の吐瀉物の痕跡がいまだに残る路上に転がっていた。
「ひい」
1分も経たないうちに仲間が全滅した、という現実を直視できるほどカネロは強くなかった。ステージで脚光を浴びる雄姿など見る影もなく、みじめに逃走しようとするが、それすらも許してはもらえず、両足を払われて、背中から倒れてしまう。受け身を取ることができず、呼吸すらままならない少年のもとへ誰かが近づいてきたかと思うと、喉元に長い棒が突き付けられた。いや、正確を期すならば、それは棒ではなく杖だった。
(嘘だろ?)
驚愕と屈辱がカネロの胸を焦がした。カリー・コンプが自分を見下ろしているのが、ようやく暗さに慣れた目に映ったのだ。
「どうもわたしは悪目立ちするようで、嫌がらせには慣れっこなのですよ」
その言葉にも、その表情にも、どういった心の動きも見えなかったことが、少年をかえって恐怖させていた。
「いつもなら我慢するところなのですが、あなた方からは殺気を感じましたので、やむを得ず先に手を出させてもらいました。わたしもさすがに命は惜しいのでね」
こいつ、おれのことをなんとも思っていない。それに気づいたカネロはガタガタ震え出していた。襲い掛かろうとしていた相手を憎んでも怒ってもいない。うるさい羽虫を追い払ったくらいにしか感じていないのだ。
「最初からそのつもりだったのか?」
「はい?」
「最初から、おれたちを始末するつもりで、ここまで来たのか?」
ああ、はいはい、と商談の相手に明朗な態度をとるビジネスマンのように詩人は頷くと、
「ええ、その通りです。わたしはそうでもないのですが、あなたがたは暗い場所だと不便な思いをするようなので、ご招待することにしました。少しは警戒した方がいいんじゃないか、と思うくらいあっさりついてきてくれて助かりました」
さっき「誘っているみたいじゃないか」と思ったのは間違いだ。本当に誘っていたのだ、と魯鈍な少年もさすがに気づく。相手が一人だと盲目だと舐め切った結果、わざわざ罠にかかるような無様を曝すこととなったのだ。
「これに懲りたら、乱暴な真似はよすことですね」
ひゅっ、と杖を引っ込めると、カリーは身を翻して闇の中へと戻ろうとする。
(舐めるんじゃねえ!)
一瞬で怒りが頂点に達したカネロは跳ね起きると、詩人の無防備に見える背中に飛び掛かろうとするが、
「がっ!」
それはできなかった。詩人は背中を向けたまま、左手に持った杖をカネロの右脇腹に深々と突き刺していたのだ。レバーを抉られた痛みにマズカ帝国で大人気のアイドルは深夜の路地裏でのたうちまわる。
「だから、乱暴はよしなさい、と言ったのです」
年長者の務めと言わんばかりに詩人は教え諭そうとするが、激痛に悶え苦しむ赤い髪の少年の耳には届かない。
(セイジアからもらった杖をこのようなことに使いたくはなかったのですが)
カリーは溜息をつきながら手にした杖を強く握りしめた。もしも、彼が少年たちを撃退する様子をセイジア・タリウスが見ていたとしたら、
「杖術か。なかなかのものだな」
と褒めたに違いなかった。少年の頃に、カリー・コンプは杖術を習って相当な腕前になっていたのだ。
「わしの友人をおまえに紹介したい」
そう言って、彼の師匠である「楽聖」ヤンギ・ヒジャが男を連れてきたことがあった。その男はカリーと同じように目が見えなかったが、中に鋼を仕込んだ杖で悪党を打ち据える、一種の仕事人と呼ぶべき存在だった。
「ヒジャさんは歌うたいで、あっしは仕事人。どっちも世間様からは爪弾きにされる存在だから、仲良くなれたのでしょうか」
そう言って笑いながらも、男は卑屈な態度をとることなく堂々としていたので、
(ぼくもこの人みたいになりたい)
と、カリー少年は憧れるようになり、杖を使って戦う術も教わったのであった。とはいうものの、
(まあ、今回のように杖で解決できるならそれでいいのですよ。本気はなるべく出さずに済ませたいので)
この場において、カリー・コンプは本気を出したわけではなかった。杖術はあくまで彼の余技に過ぎない、と今まさに苦しみの最中にあるカネロが知ればさらなる屈辱にまみれたはずで、セイジア・タリウスがカリーについて「腕が立つ」と評価したのも別の点にあるのだが、カリーが本気を出すとどうなるのか、については、この物語の後の方で語られることになるはずである。
おええええ、と大きな音を立ててカネロが胃の中身をぶちまけ、酸っぱい臭いがあたりに漂った。
「許さねえ。てめえ、許さねえぞ」
口許に反吐を付着させながら脅されても、迫力などあるわけもないのだが、それを聞いた吟遊詩人は「ん?」と眉をひそめた。そして、
「ちょっと待ってください。あなた、もしかして」
しばらく考え込んでから、
「グウィドラ」
と呟いたので、カネロの身体が、びく、と跳ねた。
「そうだ。確か、グウィドラというグループだ。あなた、そのメンバーですね」
少年が目を血走らせて、
「どうしてわかる?」
と訊ねると、
「いや、グウィドラのみなさんが歌っているのを一度聴く機会がありましてね。今、あなたの声を聞いて、声帯がそこそこ鍛えられているので同業者なのだろうな、とは思っていたのですが、思い出すのに時間がかかって失礼しました」
そもそも一度聞いただけの声を覚えているのが異常だろう、とまだ立ち上がれないまま少年は苦り切る。
「でも、グウィドラの歌はなかなかよかったと思いますよ。粗削りで洗練されていないメロディ、粗野で乱暴ともとれるフレーズ、細かいことを気にしない大らかなお三方の歌いぶり、それから勢いのみで突っ走る演奏の方もなかなか興味深いものがありました」
おまえ、ちっとも褒めてないじゃねえか、とカネロは腹立たしさのあまり涙をこぼしそうになる。「うん、そうですね」と呟いてからカリーは懐から楽器を取り出すと、
「確かこんな歌だったですよね」
と言いながら弦をかき鳴らし、歌い出した。こんな真夜中に、襲われたばかりなのに何を考えているのか、と呆れていたカネロの顔が次第に青ざめていく。
(これはおれたちの歌じゃないか)
カリー・コンプが歌っているのは、まぎれもなく「グウィドラ」のナンバーだった。一度耳にしただけの曲を完全にコピーするとは実に恐るべき能力だったが、しかし、本当の意味で少年を震撼させていたのは、吟遊詩人の歌と演奏がオリジナルよりも遥かに優れた出来栄えだったことだ。本物よりも完成されたまがいもの、実物よりも光り輝く模造品、そんな有り得ないものが目の前に存在していた。
(やめろ。やめてくれ)
厳然たる現実を突きつけられたカネロの目から涙があふれだす。本当はさっき食堂で演奏を聴いた時からわかっていたはずなのだ。自分はこの男には遠く及ばない、と。だが、それから逃げようとして、目を背けようとして、詩人に消えてもらおうとしたのだ。だが、それにも失敗して、挙句の果てに、自分たちの歌を演奏されてレベルの違いを思い知らされていた。もはや言い訳などできるはずもなかった。
「頼む。やめてくれ。もうやめてくれ」
少年が泣き崩れているのにようやく気付いた詩人が演奏を止める。
「わたしの歌がお気に召さなかったようですね」
あたりまえだ。自分が特別でも何でもないとわからされて気に入るはずもないのだ。
「お聞き苦しい歌を聴かせてしまって申し訳ありませんでした」
「うるさい。消えろ。消えてくれ」
カリーは頭を下げて路地から去っていった。やつにおれの気持ちがわかるはずがない、とカネロは思う。何故なら、
(だって、あいつは天才で、おれは凡人でしかないからだ)
と思って、また声を上げて泣き出した。詩人の杖で気絶させられていた4人が目覚めても、赤い髪の少年はまだ涙を流し続けた。
「失敗した時が最大のチャンス」というのは、かつてリアス・アークエットに歌と踊りを教えたロザリーの言葉だが、それでいけば、カネロはこの夜とても大きな勉強をした、と考えることもできた。自分の未熟さを思い知らされる一方で、「楽神」と称えられる当代随一の歌うたいの演奏に間近で接したのだ。確かに愚かで馬鹿げた失敗ではあったが、これを機に自らを見つめ直すことができていれば、またとない飛躍のチャンスになっていたかもしれなかった。
だが、残念ながらそうはならなかった。この翌朝、カネロはマズカ帝国へと一人で戻っていった。「グウィドラ」の他の2人にも、ジャンニ・ケッダーにもマネージャーのイチマにも誰にも知らせることなく無断で帰ったのだ。
(あいつに勝てるはずがない)
とカリー・コンプに打ちのめされたまま、アイドルの道を諦め、事務所も辞めた。苦労を知らない若者の心は折れたまま元に戻らなかったのだ。その代わり、彼が選んだのは、格闘家の道だった。元騎士のコーチからは「プロとしてやっていける」と前から素質を評価されていて、これならばやれる、と思ったのだ。その翌年の末にマズカ帝国最大のスタジアムで行われた格闘技の大会で、いきなりメインイベントでデビューすることになったカネロは、皇帝が臨席し、大観衆が見守る中でベテランファイターを相手に見事に勝利を収め大歓声を浴びたのだが、後になって、
「とんだ茶番を見せられた」
と皇帝が恐ろしい顔をしてのたまった、という噂が広まったことで事態は一変する。「あれは八百長だ」という見方が帝国中に広まり、誰もがそれを信じるようになっていた。
「おれは真剣だった」
とカネロが憤慨したのは嘘ではなかったが、ただし、対戦相手はプロモーターから負けるように言い含められていて、つまりは「片八百長」というのが正確だった。自らも武術を修めた皇帝の目をごまかせなかったおかげで、格闘家としてのカネロの人生は暗転することとなる。半年後の第2戦では惨敗し、アイドル時代のファンを失望させた上に、「やはり最初の試合は八百長だった」と確信させる結果となり、結局、格闘技もそれっきりとなった。
その後の彼は、マフィアとの交際が取り沙汰され、薬物、DV、詐欺などで何度も逮捕されているうちに都からも姿を消し、30代以降の行方は知られていない。裏社会の抗争に巻き込まれて秘密裏に消された、という噂も根強くあるが、確たる証拠があるわけでもない。
「素質は素晴らしかったのに、何事にも一生懸命になれなかったのがあの子の過ちであり、わたしの過ちでもあります」
と「グウィドラ」の元マネージャーのイチマは、カネロの失踪を知らされた後にそれだけ言うと、後は黙して何も語らなかった、と伝えられている。
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