第55話 グウィドラの破滅・カネロ編(その2)

「グウィドラ」の3人には友情などまるでなかったが、ソロ活動を始めるにあたって仲間と別れるのを残念に思う気持ちが全くもってなかった、という点だけは完全に一致していた。トニーもチャドもカネロも、

「おれこそが真のスターだ」

という思い込みを持っていて、他の2人は自分を邪魔する足枷くらいにしか思っていなかったのだ。一人で動き出せば誰もが自分の真価を理解してひれふすだろう、と目の前が白っぽく見えるほどに前途が明るくなるのを感じながら、3人はそれぞれ単独での活動に乗り出したのであった。

とりわけカネロの自信は大きかった。彼は「グウィドラ」のメンバーでは唯一楽器を扱うことができたのだ。大陸全土で愛用されている木製のボディと6本の弦からなる楽器だ。その演奏技術は相当なもので、ライブの際に独奏を披露すると集まったオーディエンスが大いに盛り上がるのは何よりの楽しみだった(ついでに他の2人がそれをいまいましく見ているのも楽しかった)。トニーとチャドのように外見だけが取り柄なわけではなく、独り立ちできるだけの力量は十分にある、と自負していた。もともとミュージシャンを志向していて、アイドルなどいつまでもやっていられるものではない、と思っていた赤い髪の少年は、今回の仲違いをようやくめぐってきたチャンスとして受け止めていた。世界が本当のおれを知るときがやってきたのだ、と。そして、その通りにカネロは自らの本当の価値を知ることとなった。ただし、自分が思っていたよりは大したことがない、と知らされたのだが。


「くそっ」

ライブを終えて控え室に引き上げるなり、カネロは荒れ狂った。テーブルを蹴飛ばし、花束を乱暴に床と壁に投げつけた。

「どうしたんですか。客席は満員だったじゃないですか」

眼鏡をかけた貧相な男がおろおろしている。口うるさいイチマの代わりにマネージャーをやらせようとスタッフから選び出したのだが、

(なにもわかっちゃいねえ)

と、赤い髪の少年の怒りはさらに増してしまう。確かに客入りは良かった。だが、彼が問題にしているのはそこではなく、客の盛り上がり方だ。それを口に出せば、「しっかり盛り上がっていたじゃないですか」と、あの齧歯類に似たマネージャーもどきにまた言われそうだが、「あいつに何がわかる」とカネロは思っていた。世界中で一番客の反応に敏感な人種と言えば、芸能人に決まっている。素人には「盛り上がっている」としか感じられない状況でも、実際に演じている人間からすれば、盛り上がりの中にも実に多種多様な反応が秘められているものなのだ。そして、アイドルとして絶頂を迎えていた少年にもそれはわかっていて、今日の客席の反応はとても満足できるものではなかった。実に腹立たしいことだが、「グウィドラ」として活動しているときの客はこんなものではない。劇場を埋め尽くした女性たちが彼ら3人に身も心も捧げんばかりに熱狂し、そんな女性たちから気に入ったのを選び出して、ショーの後で餌食にするのはもはや当たり前のようになっていた。あれ以上の興奮を自分一人で生み出さなければいけないのに、それができていないのが、カネロには何よりも苛立たしく思えてならなかった。

「まあ、こんなものだよね」

「80点」

こういう声が客席から聞こえる気がした。しかも、一度だけではない。ここのところずっと続いている。

(そんなはずはない)

と思ったのは必ずしも自惚ればかりとは言えなかった。マズカ帝国でライブをした時にはもっと手ごたえがあったからだ。ならば、アステラ王国の人間は芸術を理解しない愚昧な連中ばかりなのだ、と決めつけてもよかったが、しかし、そうではない、という直感もあった。この世界で素晴らしいのは自分だけで、他の全ての人間はみな無知蒙昧なのだ、という思い上がりがカネロには沁みついていて、愚かしいのはマズカもアステラも変わらない、という奇妙ではあるがフェアな見方をしていたのだ。裕福な商人の一人息子として何不自由なく育ち、苦労も挫折も知らずにここまでやってきた少年は、自分の思い通りに行かない状況が我慢ならず、その後も部屋の中で暴れ回った。

「ちっ」

そそくさと着替えると、慌てる貧相な男を尻目に劇場から出ていこうと裏口へと向かう。酒でも飲まなければやっていられなかった。早いところ飲み屋に向かおうとするカネロは2人組の若い女性とすれちがう。少年がハンチング帽を目深にかぶっていて、トレードマークの赤い髪を隠しているため、彼女たちはアイドルがやってきたとは気づかないらしく、談笑しながら通り過ぎていく。と、そのとき、

「でも、カリーと比べちゃうとね」

「わかる。やっぱそうだよねえ」

という声が聞こえて、足を止めていた。何の根拠もないが、自分のことを言われているとわかった。

(なんだ? カリーっていうのは一体何なんだ?)

愕然としながら振り返り、女性たちの後ろ姿を見送るが、まさか「カリー」について問い質すわけにもいかなかった。だが、ひとつだけわかったことがある。何者かは知らないが、その「カリー」なるものが、自分のステージの熱狂を冷ましているのだと。それに加えて、自分が他の誰かと比べられるのも我慢ならなかった。おれは唯一無二の存在であるべきなのだ、という増上慢に少年は支配されていたのだ。

(ぶっつぶしてやる)

邪魔者の存在を知覚したカネロは劇場の狭い廊下で怒りに震えながら、拳を握り締め歯を食いしばった。


その後もカネロのステージは今一つ盛り上がりを欠いた状態が続き、少年のイライラは日に日に増していったのだが、その日はとうとう客入りまで中途半端な状態になってしまった。デビュー時から事務所の多大なバックアップを受けてきた彼にとって、舞台上からオールスタンディングのフロアがスカスカに空いているのを見るのは初めてのことで、赤い髪のアイドルは屈辱で全身が重くなるのを感じながらパフォーマンスを最後までやりおおせなければならなかった。この様子は「グウィドラ」の他の2人にもすぐに伝わるはずで、ホテルに戻れば嫌味をねちねちと言われるはずだった。少年の貧弱な脳味噌で考えられる最悪の状況としか言いようがない。

ステージから降りて控室に戻ると、劇場の支配人がやってきた。こいつにも嫌味を言われるのか、とげんなりしていたが、意外なことに、

「いたしかたありませんな」

とさばさばした態度を取られた。逆にそれがカネロの怒りに火をつけることとなったのは、「おまえには期待していない」「しょせんその程度だと最初から分かっていた」という見下しを感じたからだ。若者に激昂されても場慣れした支配人は慌てることなく、

「いえいえ、それは誤解です。あなたさまが悪いのではありません。今度ばかりは相手が悪かったのです」

「相手だと?」

「ええ」

りゅうとした身なりの中年男性は静かに頷いて、

「なにしろあのカリー・コンプが相手では、誰でも勝ち目があるものではありません」

とつぶやいた。

(またそいつか)

カネロは邪魔者が再び立ち塞がってきたのだと悟り、頭が煮えそうなほどに熱くなってきたのを感じた。

「その、カリーとかいうやつはいったい何者なんだ?」

「おや、ご存じではないのですか?」

そこで初めて支配人は少年を見下した態度をとった。仮にも芸能界に身を置く者が、しかも同じ楽器を扱っているにも関わらず「楽神」を知らないとは何事か、と思いながらも、まだ未熟な若者に向かってカリー・コンプのことを説明したのだから、親切な男と言うべきではあったのだが。

(だからなんなんだ)

話を聞かされてもカネロの自信は揺らがなかった。その手の「伝説」は実状よりもだいぶ盛られているものなのだ。実際に見てみれば大したことはない、というのはよくある話だ。

「じゃあ、そのカリー・コンプは近くの食堂で演奏してるんだな?」

「ええ。今日も来ていると聞いてます。いつもいきなりふらっと現れては気ままに歌っていくそうで。わたしもこの仕事をやってなければすぐに駆け付けたいところですが」

支配人はカネロの顔を見て、

「今ならまだ間に合うと思いますから、行ってみたらどうです? 大いに勉強になると思いますよ」

ふざけるな、と叫びたかったが、そうしなかったのはプライドのなせるわざだったろうか。おれが誰かに学ぶことなどあるものか、と少年は思っていたが、しかしそれでも「邪魔者」をこの目で確認する必要があると思っていた。どうせ大したことはないに決まっている。誰もおれには勝てはしないのだ。

そういうわけで、カネロはカリー・コンプがライブをしている「くまさん亭」という名の大衆食堂へと足を運ぶことに心を決めていた。





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