第54話 グウィドラの破滅・カネロ編(その1)
話を「ブランルージュ」予選会の翌朝までさかのぼる。
「ソロ活動だと?」
宿屋の自室で朝食を摂っていたジャンニ・ケッダーが声を上げる。
「ええ。実はもう始めちゃってるんです。事後報告になってしまって申し訳ありませんが」
頭を下げているのは、ジャンニのプロダクションに所属する男性アイドルユニット「グウィドラ」のマネージャーであるイチマだ。鼠色のブレザーを着た化粧っ気のない中年女性だが、業界では凄腕として知られていた。
「いったいなんだってそんなことになったんだ」
ジャンニはそう言いながら、あまり焼けていないトーストを口にする。「グウィドラ」は目下売り出し中の3人組で、正統派のトニー、クールなチャド、肉体派のカネロ、とタイプの異なる美形を揃えていることから、マズカ帝国では多くの女性から熱烈な支持を受けていた。今回、アステラ王国にやってきたのは、その人気を国際的なものにしよう、という狙いがあったためだ。
「そもそも、アステラに来てから、うちの子たち、ずっと機嫌がよくなかったんですよ。どうも上手く行っていない、ってみんな思ってるらしくて」
イチマは独身で子供もいないが、「グウィドラ」の3人を「うちの子」と呼んでいた。
「そんなことはないだろう。わしがライブを見た限りでは、なかなか評判もよさそうだったぞ」
「それはそうなんですが、上には上がいるじゃないですか」
「上だと?」
芸能界の大物は女性マネージャーの言わんとするところが分からず首を捻るが、
「アゲハですよ。あの子はもっと人気があるじゃないですか」
と言われて、
「ああ、なるほど」
とようやく納得する。アゲハもジャンニのプロダクションに所属する天才シンガーで、彼女(?)も王国にやってきて各地で歌声を披露しては絶大な人気を博している、というのはこの物語でこれまで描いてきた通りである。
「うちの子たちも頑張っているのに、何処へ行っても、アゲハ、アゲハ、って。わたしだって気分がよくないです」
イチマまで不機嫌になってきたので、上司であるジャンニは苦笑いを浮かべる。
(無理もない。『グウィドラ』の実力はもちろんわしも認めているが、アゲハにはとても太刀打ちできん。相手が悪すぎる)
50年近く芸能界で生きてきた男にとっても、歌姫ほどの才能を目にしたのは稀だったのだ。人間のレベルを踏み外すほどの能力の持ち主がそうそういてはたまらない、というのも確かだったが。
「しかし、どっちも同じプロダクションのタレントであって敵ではないんだ。仲良くしたらいい」
「なにを言ってるんですか!」
娘ほどの年齢の女性に怒られて、70過ぎのジャンニはびくっとしてしまう。
「向こうから挑発してきてるんですよ。こっちが関わらないようにしても、わざわざ潰しにかかってきて、いい迷惑ですよ。社長からも坊っちゃんに伝えておいてくれませんか?」
一応頷いて見せながらも、
(話がだいぶ違うな)
と老人は考えていた。アゲハのマネージャーは彼の息子のダキラ・ケッダーだが、ダキラからは「グウィドラ」の3人がアゲハに言い寄ってきて困る、と苦情を言われていたのだ。ちなみに、プロダクションでアゲハの「正体」を知るのは、ジャンニとダキラのケッダー父子のみで、「グウィドラ」もイチマもそのことは知らなかった。
「おかげで最近は3人とも喧嘩ばかりで、舞台裏でもホテルでもずっと取っ組み合ってるか無視しあってるかのどっちかで、一緒にいると胃が痛くてたまりません」
女性マネージャーの肌も心なしか荒れているように見えて、上司は心から同情した。
「それで、3人は各自でソロ活動を始めた、というわけか?」
「ええ。もう一緒にステージに上がるのも嫌だ、って言い出して。みんなバラバラにやることにしたみたいです。わたしにも相談しないで勝手に決めちゃって、本当に困ります」
ふむ、とジャンニは少し考えてから、
「わしはそれほど悪いこととは思わんが」
「社長、そんな」
抗議しかけたイチマに「まあまあ」と言ってから、
「『グウィドラ』というのはもともと、スーパースターになる素質のある少年が3人揃ったスーパーユニット、というコンセプトだったのはきみも知っているだろう。1人でも十分主役を張れる人間なんだから、自己主張が強くて当然だし、いつかはみんな独り立ちしていくはずなんだ。われわれが思っていたよりも、その時期が早く来た、ということなんじゃないか?」
大手プロダクションの社長にふさわしい懐の深さにイチマも感銘を受けたが、
「ただ、社長。それとは別の問題がありまして」
「何があった」
いえ、その、と女性マネージャーは言いにくそうにしてから、
「お恥ずかしい話なんですが、こちらに来てからもいろいろトラブルがあって」
またか、とジャンニ・ケッダーは苦虫を噛み潰したような顔をする。『グウィドラ』の3人はプライベートでたびたびトラブルを起こしていて、マズカ帝国のゴシップ誌にコンスタントにネタを提供してしまっていた。そして、ジャンニもイチマも毎回その後始末に追われて苦労していたのだ。
「一体何をやらかした?」
「酒の上でのトラブルが何度か。支払いをしなかった、とか、酔って暴れて店の備品を壊した、とか」
しょうがないやつらだ、と思いながらも、社長が何処か安堵していたのは、これまでに「グウィドラ」が起こしてきたトラブルに比べればまだ大したことがないもの、と言えたからだ。そんな風にトラブルに慣れてしまいたくはなかったが。
「それはわたしがお店に行って謝ってきたので、これ以上問題はないか、と」
「すまないな、きみにも苦労をかける」
真面目な部下をねぎらってから、
「ともかく、ソロでも何でも舞台に上がるのならそれでよかろう。アゲハみたいにすっぽかされるよりはずっといい。『ブランルージュ』では3人で出てくれないと困るが」
「ええ、それはもちろん」
今年復活するアステラ王国のビッグイベント「ブランルージュ」の目玉として、アゲハと「グウィドラ」が招かれている、というのはイチマも当然理解していた。絶対に失敗するわけにはいかなかった。
「それと、プライベートの方があまりひどいようなら、わしが3人と直接話すから、きみも一人で抱え込まないようにな」
「ありがとうございます」
女性マネージャーは、社長の思いやりの深さを尊敬し、だからこそ、帝国の芸能界でも多くの人に慕われているのだ、と心から思っていた。
しかし、これから起こる事態は、そんなジャンニ・ケッダーの思いやりの深さに起因する、とも言えるのだから、世の中はつくづく皮肉にできているようであった。彼が以前から「グウィドラ」の私生活を厳しく管理していれば、あるいは遅くともこの時点で少年たちを叱責していれば、3人は破局を避けられたかもしれない、というのは後世の芸能評論家たちも唱えている問題点である。また、ジャンニがもともと、「芸能人と一般人のモラルは異なる」という考えの持ち主だったために、「グウィドラ」のスキャンダルにも比較的寛大だったのも理由に挙げられる、とこの事件のおよそ半世紀の後に大著「ケッダー家の興亡」をものした伝記作者は指摘している。一般常識を逸脱したところにスターの魅力があるのだから多少の不行状は大目に見よう、という芸能界の古い通念が生んだ事件、ともこの作者は指摘している。さらに付け加えるなら、ジャンニが長年その行方を探し求めてきたカリー・コンプの招聘が実現しかけていたために、彼の関心が「グウィドラ」から離れていたのも大きなポイントだ、と指摘する識者も少なからず存在する。カリーの存在がなければお抱えの男性アイドルにもう少し注意を払っていたのではないか、とする見方である。しかしながら、結局のところ、「グウィドラ」が破滅に至ったのは、彼ら3人の心の弱さに拠るところが大きく、まだ未成年であったとしても、プロダクションの社長やマネージャーにのみ責任を負わせるのは妥当ではないのだろう。
ともあれ、ここからしばらくは、マズカ帝国およびアステラ王国で一時期人気を得た少年タレントたちが転落する顚末を見ることになる。その過程がセイジア・タリウスと彼女をめぐる人々の物語とも重なり合っている以上、避けては通れない話でもあるのだ。
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