第46話 祝勝会と反省会
今夜の「テイク・ファイブ」は貸し切りとなった。リアス・アークエットの教え子たちとセイジア・タリウスが「ブランルージュ」の予選会をめでたく突破したのを祝うことにしたのだ。テーブルを囲んで座っているどの顔も喜びに満ち溢れている。
「かんぱーい!」
たくさんのコップが掲げられたが、その中に酒が入っているのはキャプテン・ハロルドしかいない。少女たちはもちろんリアスは未成年であり、セイはあまり酒を好まなかった(ただし、酒にかなり強いのはキャンセル公爵家での一件を見ても明らかである)。
「わたしも遠慮しておきます」
カリー・コンプもハロルドの誘いを丁重に断った。目の見えない詩人が酔っぱらうと大変なことになるのはわかりきっていたので、もちろん無理強いはしなかった。
「まあ、それならそれでいいさ。せっかく作ったんだ、じゃんじゃん食べてくれよ」
テーブルの上にはハロルドの作った料理が所狭しと置かれていた。祝勝会になっても残念会になっても、少女たちにたくさん食べてもらおうとごちそうを用意していたのだ。
「おいしい!」
「ハリー、やるじゃん」
子供たちに褒められて、
「はっはっはっ。そうだろう、そうだろう」
黒い肌のダンサーは相好を崩す。彼の作る南方料理は素人の域を超えるもので、店を出さないか、と話を持ちかけられたことも一度ならずあったほどだ。
(味が濃くて栄養もたっぷりだ。リブがいたら「酒が進む」って喜んだだろうな)
よく煮こまれた肉を頬張りながらセイは、「後で作り方を教わろう」と考える。「くまさん亭」での勤労でめざめた料理人としての資質は、彼女の中でいまだに眠ってはいなかった。
「マスターも予選会を見に来ればよかったのに」
店を閉めていてもいつも通りカウンターの中にいるベックにリアスが声をかける。
「いやあ、わしにはとても無理だ。あの子たちの演技を見ているうちに、ドキドキしすぎてあのまま天に召されていたかもしれん」
「もう、マスターったら」
店のかわいい用心棒は苦笑いをしてから、
「わたし一人だけじゃ予選を通れなかった。カリーさんが助けてくれなければ、今頃みんな泣いてたわ」
老バーテンダーは吟遊詩人の方を眺めた。カリー・コンプの名前は彼も一応は知っているが、その若者は今、少女たちに囲まれてちやほやされている最中だった。
「カリーさん、ほら、ちゃんと食べて」
左隣に座ったシーリンが詩人の口許にフォークに刺した肉団子を差し出せば、
「カリー、水分も摂れよ。あんた、歌うたいなんだから、咽喉を大切にしないと」
右隣に座ったイクもコップを差し出していた。
「いや、みなさんにそこまでしてもらうわけには」
「だめ」
「遠慮するなって」
少女たちの過剰ともいえるサービスをと断るわけにもいかず、カリーは困った表情を浮かべる。彼女たちの顔は紅潮し、瞳は熱く潤んでいて、単なる親切の域を超えている、というのも若き詩人を困惑させ、「ははは」と力なく笑うより他に術がなかった。まだ10代前半でも女性は怖い、というのを思わぬ場所で教えられていた。
「あれは大丈夫なのか?」
ベックも首を捻るが、
「一芸に秀でたハンサムなんだから、それは当然もてるでしょ」
リアスはそっけなく答える。カリーが彼女の好みから外れていたせいで、そんな関心の薄い反応になったのかもしれないが。
(ちくしょう、おれはあんな風にもてたことなんかないぞ)
ねえねえ、カリーさん、と美形に群がる5人の娘をキャプテン・ハロルドは恨めしそうに見ていたが、
「ハロルド、今後のことを相談したいのだが」
いきなりセイが話しかけてきたので驚いてしまう。場の空気を全く読まないのは、恋愛音痴のせいなのか、ゴーイング・マイウェイ精神のなせるわざなのかは定かではないが、おのれが非モテであるのを忘れられるのなら、今は何だってよかった。
「今後、っていうのはなんだ?」
「もちろん本大会のことだ。わたしは今日の出来に満足していない」
女騎士の言葉に和気藹々とした雰囲気はいっぺんに消し飛び、少女たちもリアスもカリーもみなセイの方を見た。
「満足してない、って、今日のあんたはすごかったじゃないか。スタンディング・オベーションまでされてたぞ?」
「お客に喜んでもらえたのはありがたいが、それとこれとは別の話だ。訓練の足りなさと技術のなさを勢いでカバーしたに過ぎない、というのがわたしの感想だ。とても満足できるものじゃない」
ハロルドの言葉にも金色の太めの眉をひそめてセイは俯くだけだった。それを見た少女たちも我が身を省みて黙り込む。自分たちこそ反省すべきだ、と気づかされていた。最初の演技は取り繕いようのない大失敗だったではないか。あれをなかったことにしてはいけない、浮かれている場合ではない、と思い知らされていた。
「それを言うなら、わたしたちだってひどかった。全然ダメダメだった」
唇を噛み締めたセラに続いて、「そうだね」「だめだったね」と子供たちはみな落ち込んでしまう。店内の空気が一気に重くなったところへ、
「わたしの踊りの先生がよく言ってたんだけどね」
リアスがテーブルへと近づいてきた。
「『失敗したときこそが最大のチャンスなんだ』って。自分のダメだった点に気づいて直すことのできるこの上ない機会なんだ、って。だから、みんなは今日とてもつらくて恥ずかしい思いをしたはずだけど、それをそのままで終わらせてはいけないし、わたしがそうはさせない」
ショーで失敗して落ち込んでいると、そのたびにロザリーが優しく微笑んで奮い立たせてくれたのをリアスは思い出していた。
(今のわたし、あのときのロザリーみたいに笑えてたらいいんだけど)
そう思いながら黒いドレスをまとった美しい少女は教え子を励まそうとする。
「あなたたちが上手く行かなかった原因は明らかよ。一言で言えば経験不足ね」
けいけんぶそく? とシュナが鸚鵡返しに呟くと、
「でも、わたしたち、毎晩ここで踊ってたけど、それでもまだダメだったの?」
ヒルダが悲しそうな顔で問いかけてきた。
「あなたたちはよく頑張ってた。練習もしっかりやっていたのも知ってる。でも、量は十分だったかもしれないけど、質が十分じゃなかったんでしょうね、きっと」
リアスの言葉がいまひとつ理解できない様子の子供たちに、
「おれも少し思ったんだが」
キャプテン・ハロルドが言葉を継いで補足する。
「おれはダンサーを無駄に長くやってるから、いろんな経験をしている。ここよりひどい店で踊ったこともあるし、おかしなリクエストを聞かなきゃいけないときもあった。酔っぱらいにからまれたことなんて数えきれないくらいだ」
ぐび、と酒を一口飲んで、
「まあ、今となってはいい思い出、とは言えない、忘れたい話ばかりなんだが、それでも役に立ったことがあるとすれば、面倒くさいトラブルに巻き込まれたおかげで何か予想外のことがあってもいちいち動じなくなった、というのは確かにあるかもしれねえ。オタオタしてたらおまんまの食い上げだからな」
「ハリーの言う通りですね」
カリー・コンプが頷く。
「わたしたちが何よりも戦うべき相手は自分自身です。お客がどうあろうと、共演者が誰であろうと、自らを強く保てるのであれば、どうということはありません。演技が失敗したのを他の何者のせいにすることなどできないし、あってはならないのです」
それがアゲハの歌に脆くも崩れ去った自分たちへの叱咤であるのは疑いようもなかった。心の未熟さを容赦なく突き付けられた少女たちの目に涙が浮かぶ。
「泣くんじゃない」
セイの言葉に5人の小さな体が、びく、と跳ねあがる。
「涙はその場限りのものだ。そうやっていつまでも失敗を悔やんでるつもりか?」
と言ってから、
「だいたい、おまえたちにはこのセイジア・タリウスがついてるんだ。どうして泣くことがある?」
にやりと笑う。
(この人がトップだったなら、アステラの騎士たちが強かったのも納得だわ)
他国で生まれ育ったリアスにもそれがよくわかった。励まされた5人の顔の何と勇ましいことか。女騎士の激励にはどんな臆病者でも勇者へと変える力があるのだろう。
「それに、リアスとハロルドがちゃんと作戦を考えてくれてるはずだ」
そこは他人任せなの? と思いながらも美しいコーチは対策を伝授することにした。実際、予選会が終わってからずっと考え続けていたのだ。
「実を言うと、さっきハリーが言ったのは前からわたしも思ってたんだ。みんなにもっといろんな経験をさせなくちゃいけない、ってね。でも、よそで出演させてもらおうにも、なかなか難しくて、いろいろ当たってみたけど断られちゃってね」
申し訳なさそうな顔をするリアスを見て、「無理もない」とベックは思う。ただでさえまだ若い彼女がコネも金も無しに交渉するのは相当厳しかったと想像するに難くなかった。
「だが、それならもう平気だろう」
キャプテン・ハロルドが剃り上げた頭をなでながら請け合う。
「なにしろ、ガールズは『ブランルージュ』の出場を決めたんだからな。肩書きもできて、しっかり箔もついたんだ。むしろ『ぜひ出演してくれ』って店の方から言い出しそうなもんだ」
コップの酒を飲み干して、
「それに、おれも知り合いにあたってみることにするよ。いくつか心当たりもある」
「ありがとう、ハリー」
黒薔薇がほころんだかのようなみずみずしい笑顔を見て、
(これでポイントが稼げるなら安いものさ)
リアスとお近づきになりたい若者はひそかに喜ぶ。
「それから、路上でライブをするのもいいのではないですか? わたしもよくやってますから」
カリーが提案すると、
「いや、それはどうかな。無断でやってると、ヤーさんにからまれるかもしれねえし、ギルドもあまりいい顔はしねえしな」
ハロルドが眉を顰める。彼も不快な思いをしたことがあるかもしれない。
「それがそうでもないのですよ。以前は確かにわたしもいろいろ面倒な思いをしましたが、ここ最近は何故か地回りを見かけることもなくなりましたし、ギルドの締め付けもあまり効かなくなっているみたいです」
「マジか? いったいどういうことなんだろうな」
首を捻るハロルドに、
「どこかの誰かが大暴れしたから、かもしれないわね」
リアスがにやにやする。セイが芸人ギルドを牛耳っていたサンシュ一味を壊滅に追い込んだのが、王国の首都の風通しがよくなったことに無関係だとは思えなかった。
(リアスだって大暴れしたじゃないか)
女騎士はそう反論したかったが、少女たちがいる前でリアスが拳銃使いだと明かすわけにもいかないので、黙って顔を赤らめるよりほかになかった。「あの子たちには言わないで」と前に頼まれていたのだ。
「とにかく、本大会まであと15日だ。それまでに出来る限り場数を踏むんだ。そうすれば、大晦日の舞台であがることだってないはずだ」
キャプテンが大きな黒い瞳で生まれ故郷の日射しのような強く熱い視線を送ると、
「うん、わかった」
5人の少女は大きく頷いた。15日しかない、と思えたが、短い時間でも出来る限りのことをやって力を尽くそう、とみんなで決意を固める。今日と同じ失敗だけは二度としたくなかったのだ。
「それから、セイジアはリアスに教えてもらえ」
「え?」
思いも寄らぬことを言われて固まる金髪の騎士。
「さっきあんたが言った『訓練不足』『技術のなさ』を解決するのはおれよりもリアスが適任だ。しっかり教わりな」
黒豹に似たダンサーが白い歯をひらめかせて笑う。
「いや、そういうことなら、わたしからもリアスにお願いしたい。どうだろう、引き受けてくれるだろうか?」
そもそもリアスに教わるつもりだったのが、方針転換でハロルドに教わっていたので、長い黒髪の美少女に指導されるのは大いに望むところであったが、
「そうね、実を言うと、今日のあなたの踊りを見ていて気になるところはいくつかあったのよ。『こうすればもっとよくなるのに』『あれではダメ』っていうのがね」
そう言って指折り数えると、
「ざっと26ほど問題点があったわ」
「そんなにか?」
そこまでひどいとは思っていなかったセイは愕然とするが、
「でも、安心して。わたしがつきっきりで大晦日までになんとかするから。かなりのハードスケジュールになるはずだけど、あなたなら大丈夫でしょ?」
「ああ、もちろんだ」
と答えてはみたが、リアスの大きな目が全く笑っていないところを見ると、背筋が凍る思いを止めることができなかった。騎士団に入りたての頃の新人トレーニングキャンプ以来の地獄を見ることになるかもしれない、と思うと、さすがの女騎士も目の前が暗くなってしまう。
「わたしからもよろしいでしょうか?」
カリーが手を挙げていた。
「うん、どうした、カリー?」
セイに訊かれると、
「はい、誠に申し訳ないのですが、本大会ではみなさんと一緒に演奏することはできません」
えーっ! とこの世が終わったかのような叫び声を少女たちがあげると、
「何かわけありのようね」
リアスが冷静に聞き返す。
「ええ。他にやるべきことがあるのです」
頼れる吟遊詩人に去られてしまって、そんなあ、と5人は失望をあらわにするが、
「わたしはカリーがいない方がいいと思うが」
ずるずる、とやはり味付けの濃い南方のソバをすすりながらセイが言う。
「どうしてそんなことを言うんだよ?」
ショートカットの娘にやつあたりされて、女騎士は青い瞳を光らせる。
「セラ、考えてもみろ。今日のおまえたちの演技は素晴らしかったが、それは5人だけの力じゃない。人によっては、カリーの方がずっとよかった、と思う人がいてもおかしくない。カリーがメインでおまえたちはおまけだ、と思った人もいるかもな」
セイの言葉が5人の胸に突き刺さる。痛いところを突かれた、という気がした。
「そう思われるのが嫌なら、今度は純粋におまえたちだけで勝負するんだ。誰に頼ることもなく、自分たちだけでもやれる、とみんなに見せてやれ」
胸に突き刺さった言葉が熱く燃え盛り、心のエンジンに火がついたように、子供たちは感じていた。そうだった。自分たちが「ブランルージュ」を目指したきっかけは、まだ小さな自分たちでも荒波に立ち向かっていける、と世間に証明したかったからだった、と思い出す。それなのに、まだ誰かに頼ろうとしていたのを恥ずかしく思い、そんな弱さとは今夜でお別れしないといけない、と思っていた。
「ごめん、カリー」
「はい?」
イクに唐突に謝られて詩人はとまどう。
「そういうわけだから、大晦日はわたしらだけでやることにしたから、共演できなくてごめん」
「ごめんね、カリーさん」
「さびしくない?」
「また遊んであげるから」
(いや、そもそもわたしの方から断ったのですが)
少女たちに口々に謝られたカリーは困ってしまうが、しかし、それでも、
(みなさんの気合は伝わってきました。これなら十分やれるでしょう)
来たる本大会での彼女たちの成功を確信し、自分は自分のやるべきことをするだけだ、と決意を固めていた。
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