第47話 帰り道で

セイジア・タリウスとカリー・コンプは「テイク・ファイブ」を一緒に出た。

「えーっ? 帰っちゃうの?」

「泊まっていけばいいのに」

「わたしたちが眠るまで子守唄を歌ってよ」

吟遊詩人は少女たちの執拗な引き留めを振り切ってなんとか表に出ていた。「いい加減になさい」とリアス・アークエットが叱ってくれたおかげでもあった。

(よくわかりませんが、身の危険を感じました)

5人の娘の積極的なアプローチを受けてカリーは疲れ果てていた。

「おまえ、あの子たちに好かれてるな」

セイはのんきに笑っている。

(わたしが欲しいのは、あなたの愛だけなのですが)

その思いは昼間に彼女の迫真の演技に接したことでさらに強まっていた。この人こそが自分のミューズ、芸術の女神なのだ、と確信していた。

「そういえば、カリー、おまえは何処に泊まっているんだ?」

「ご縁のある方のお宅に厄介になっているのですよ。身の回りの世話をしてもらっていて、助かってます」

そうか、と女騎士は頷いてから、

「それにしても、あのマズカの人の頼みようはすごかったな」

そう言われて、カリーは夕方の出来事を思い出す。アゲハの誘いを断った後で、今度はジャンニ・ケッダーがやってきて、マズカ帝国にある自分の劇場でぜひともコンサートを開いてくれ、と頭を下げてきたのだ。

「自分は劇場で公演するほどの大した者ではない」

と詩人は断ったのだが、貫禄たっぷりの立派な身なりの男が涙を流さんばかりに懇願してきたので、とうとう断れなくなったのだ。

「おまえがあのまま承知しなければ、あの人、土下座もしかねなかったぞ」

「まあ、考えてみれば、あのお方、ジャンニさんには助けてもらったご恩もありますから、無下にはできませんしね。それに芸術を愛しているのも本当でしょうから」

同じ志を持つ者の気持ちには応えたかった。

「というわけなので、『ブランルージュ』の本大会が終わってから、マズカまで行かなければならなくなりました。どうもあの国は空気が重いのであまり好きではないのですが」

「そう言うなって。向こうにもおまえの歌を待っている人がいるはずだ。しっかり演じてきたらいい」

微笑むセイの身体が暖かな光を放っているようにカリーには思えた。抱きしめてその熱をじかに感じられれば、どれほど幸せだろうか。

「わたしからもお尋ねしたいことがあるのですが」

「なんなりと訊くがいい」

女騎士は鷹揚に頷いた。

「その夕方の話なのですが、わたしが殴られそうになったとき、あなたは全然心配していなかったように思えたのですが」

「ああ。確かにそうだ。おまえならみんな避けるとわかってたからな」

かつ、と杖を地面に立てて詩人は足を止めた。

「どうしてそう思ったのですか?」

「だって、おまえは相当腕が立つだろ? 目が見えない優男、というのでみんなごまかされるのだろうが、わたしの目をごまかすのは無理だ」

なにしろアステラ王国最強の女騎士なのだ。相手の能力を見抜けないはずがない、とカリーは思わざるを得ない。

「最初に会った時から、おまえが強いのはわかっていた」

「でも、あのときわたしは袋叩きにされて怪我をしていたのですが」

「それでも、だ。だから、言っただろ? 『よく我慢したな』って」

吟遊詩人は誤解をしていたのに気づいた。あのときセイは「」という意味で言っていたのだ、と。彼女には最初からお見通しだったのだ。

(やはりこの人にはかなわない)

観念して正直に話すことにする。

「以前、同じように大勢に囲まれたときにやっつけたことがありまして。そうしたら、もっと大勢を連れてきてかなり面倒なことになったので、それ以来黙って殴られておくことにしたのですよ。何回かやられているうちに大怪我をせずに済ませるコツもわかってきました」

「あまり覚えたくないコツだ」

こいつも苦労してるな、と思いながらセイが溜息をつく。

「生まれてこの方、わたしはただひたすら歌と演奏だけを考えて精進してきたので、たとえ他人より強かったとしても、それは副産物でしかありません。強さ、というのに取り立てて意味も感じないことですし」

「耳が痛いことを言ってくれる」

ははは、と女騎士が笑ったので、くすんだ銀髪の詩人は慌てる。

「あ、いえ、あなたを貶めるつもりは」

「わかってるさ。でも、実際おまえの言う通りだ。わたしの強さも戦争のときはまだ生かしようもあったが、今となっては何ほどの意味もない代物だ、と毎日考えてるんだ。これからどうやって生きていったらいいのか、それをずっと考えてる」

セイが振り向くと、金色のポニーテールが揺れたのがカリーにもわかった。

「試行錯誤の繰り返しで悩みは尽きないが、それが楽しくもある。思い通りに行かないのが面白いのだから、我ながら妙だとは思うが」

そこがあなたの素晴らしいところです、と言おうとした詩人が何かにつまずいてしまう。

「おい、大丈夫か」

見ると地面にはゴミが散乱していた。裏通りは掃除が行き届いていないのは当たり前とはいえ、散らかりすぎている。杖を持っていない空いている左手をセイの右手が不意につかんだのでカリーは驚く。

「えっ?」

「手を引いてやろう」

そこまでしてもらうわけには、と断ろうとしても、女騎士の歩調は早く、どんどん先に行ってしまうのでその余裕がない。それ以上に心臓がバクバク言い出している。

(なんということだ。色恋を知らぬ若僧でもないというのに。手を繫いだだけでこんなに興奮するとは)

一流の歌うたいであり、美形でもあるカリー・コンプにはそれなりの女性経験があった。だが、互いの掌を重ねただけで、そういった過去がまるで無価値に思えてきて若き詩人の身体は震えそうになる。ときめきも行き過ぎれば恐怖に近くなる、とも感じていた。

(それにしても)

カリーは目が見えない代わりに他の感覚が優れていて、触覚もまた人一倍鋭かった。そんな彼は女騎士の右掌から何かを感じ取っていた。

(この人は変わりつつある)

雄々しくも凛々しい戦士の中から別の何かが目覚め始めている、と吟遊詩人は感じていた。種が芽吹くように、蕾が開くように、彼女の中にある素晴らしいものが表に出てこようとしているのだ。

(それをわたしのものにしたい)

そう思った瞬間に、ぱっ、と手が振りほどかれていた。

「ほら、着いたぞ」

邪心に気づかれたからではなく、表通りに着いたから掌を離したのだ、と気が付いて、カリーはほっとしたようながっかりしたような、自分でもよくわからない気持ちになる。

「ここからなら一人ででも大丈夫だろ?」

「ええ、そうですね」

暗い夜道も詩人にとっては特に苦にはならない。

「あの、セイジア」

「ん、なんだ?」

眉を顰める詩人をセイはいくらか不審そうに見る。

「これからしばらく、あなたもわたしも忙しくなると思いますが」

「ああ、そうだな。わたしは『ブランルージュ』があるし、おまえはマズカに行かなきゃならないし」

ずい、と詩人の顔が女騎士の顔へと近づいていく。

「それが済んだら、何処かで2人きりでゆっくりお話ししたいのですが」

「2人きり、でか?」

なおも2人の顔は近づき続け、距離がなくなっていく。

「はい。考えてみれば、わたしたちが知り合ってから、そんな風に過ごしたことはありませんので」

「わたしは別に構わないが」

鼻と鼻がくっつきそうになったところで、「ありがとうございます」と言って、カリーは身を引き、2人の身体は離れた。

「それでは、本大会、頑張ってください」

「ああ。今日は本当に助かったぞ、カリー」

頭を下げてから、遠ざかっていくカリーの後ろ姿にセイは大きく手を振る。

(いつまでもぼやぼやしてはいられない。レオンハルトさんやフィッツシモンズさんだって手をこまねいてはいないだろう)

わたしはどうしても彼女が欲しい、と思う詩人の顔は真剣そのもので、さらなる攻勢をかけることを決意していた。だが、今はとりあえず「ブランルージュ」を乗り越えるのがセイにとっての最重要課題であり、そして、カリーはカリーでやるべきことがあった。そうなると、カリー・コンプがセイジア・タリウスに再挑戦するのは、まだだいぶ先の話になるのかもしれなかった。



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