第45話 歌姫、誘いをかける
「ブランルージュ」予選会は、大盛況のうちに幕を閉じた。セイジア・タリウスに触発された参加者たちが次々に最高のパフォーマンスを見せ、観客たちもそれにいい反応を見せたのだ。これには「一時はどうなることか」と気を揉んでいた審査員たちもほっと胸を撫で下ろし、ジャンニ・ケッダーも大いに満足していた。
(あのセイジアという子のおかげだ)
芸能界の大物にとっては最強の女騎士も子供扱いであった。
「それでは、これより別室で審議に入りましょう」
審査委員長に促されて、一同は立ち上がった。
(本大会もこれくらい盛り上がってくれるといいが)
誰もいなくなったステージと空になった客席を見てジャンニはしばし物思いに浸る。祭りの後にいつも残される寂寥は、次の祭りへの期待も伴っていて、彼は決して嫌いではなかった。
「よっしゃー!」
王立大劇場の正面玄関に張り出された予選通過者の表を見たセラがガッツポーズをする。そこには「73」という番号がしっかりと書かれていた。
「やったー!」
「わーい」
ヒルダとシュナが手を組んでぴょんぴょん飛び回る。
「まあ、あれだけの演技をすれば当然、ってなもんだ」
キャプテン・ハロルドがにやにや笑い、
「ブラザーの演奏も最高だったしな」
カリー・コンプの背中を叩いた。
「いえ、わたしはあくまでみなさんをほんの少しだけお助けしただけですから」
自らの功を誇らない吟遊詩人を5人の少女たちは熱いまなざしで見つめる。その視線には明らかな好意があると端から見てもわかる。
(外見だけじゃなくて中身までイケメンときたらこっちには勝ち目はねえよ)
前からの知り合いなのに、女の子たちから一度もそういう風に見られたことのない南方から来たダンサーは思わずひがんでしまう。
「っていうか、セイも通ってるじゃない」
リアス・アークエットがつぶやく。「73」の次には「75」と書かれている。
「いや、それも当然だろ? セイジアもよくやった、やりすぎたくらいだったからな」
「おっしゃる通りです」
ハロルドの言葉にカリーも同意する。
「ところで、そのセイはどこいったんだ?」
イクがあたりをきょろきょろ見渡す。
「着替えに行ったよ。体中びしょびしょだったからね」
シーリンが答えると、
「じゃあ、またあのダサダサになって戻ってくるんだ?」
「あれ、本当にやめればいいのに。セイは美人なんだから、ちゃんときれいにしてほしいよ」
シュナとヒルダがうんざりした顔をしているのに、リアスが「まあまあ」ととりなす。有名人である女騎士は簡単に素顔を曝せない、という事情もあるのだ。
「そんなにひどいのですか? セイジアの格好は」
「おうよ。あんたでもそれはわからないのか?」
「はい。でも、この場合はわからない方がいいかもしれませんね」
カリーの言葉にみんなで笑っていると、
「ちょっといいかしら?」
吹きすさぶ寒風よりも冷たくよく切れる言葉が投げかけられる。縦にロールした銀色に輝く髪、薄い紫色のドレスに身を包んだディーヴァがそこにいた。マズカ帝国の歌姫、アゲハだ。思いがけない人物の登場に誰もが驚いていると、毒を持った美しい蝶々はふわりと漂うかのように歩き出した。その赤い瞳に少女たちの姿は映っていない。「彼女」のお目当てはただ一人だった。
「あなた、カリー・コンプというらしいわね」
吟遊詩人の目の前に立った歌姫は彼の整った容貌をじっと見上げた。
(目が見えないようね。その代償として音楽の才能があるのかしら)
ますます気に入った、と言わんばかりににんまりと笑うアゲハに、
「何のご用でしょう?」
カリーは平静なままで訊き返した。歌姫は、ふふん、と微笑んでから、
「まわりくどいやりとりは嫌いだから、単刀直入に言うわ。あなた、大晦日はわたしのバックで演奏しなさい」
えっ、と誰かが叫んだのを耳にして、そこで初めて子供たちの存在に気づいたかのように、天才歌手はあたりをねめまわす。
「こんな子たちを相手にしていたら、あなたほどの才能が泣く、というものよ。与えられた才能はしかるべき場所で輝く役割があるのよ」
あまりにも傲然とした言い分だったが、少女たちもリアスもハロルドも反論できない。巨大な才能に裏打ちされた発言には説得力がありすぎたのだ。
「もちろん、それなりの対価を支払う用意もある」
そう言いながらダキラ・ケッダーも近づいてきた。アゲハが吟遊詩人に執心な様子なのは複雑だったが、それでも「彼女」のために尽くすのが、青年の何よりの喜びでもあった。
「いや、それは考えるまでもないことです」
カリーはからっとした笑いを浮かべる。
「あら、それはよかった」
ほら、見なさい。わたしの誘いを断れるやつなんていないんだから、とアゲハが勝利を確信していると、
「お断りさせていただきます」
吟遊詩人が頭を下げた瞬間、その場に居合わせた人間には、ぴし、という音が聞こえたかのように思えた。歌姫のプライドにひびが入った音なのかもしれない。
「なんだと、貴様」
激怒してカリーにつかみかかろうとしたダキラをアゲハが手で制止する。
「どういうことなのかしら? あなたに断る理由があるとは思えないのだけど」
歌姫の口調はあくまで冷静だったが、顔色がいつにも増して白くなっているのは「彼女」の怒りの激しさを物語っているかのようにハロルドには思えた。
(おいおい、ブラザー。おまえ、地雷を踏んじまったんじゃねえか?)
しかし、盲目の美青年は微笑みを消さないまま、
「簡単なことですよ。わたしとあなたが共演しても、お互いに得るものはない、と思うのですよ」
「へえ。それってどういう意味?」
カリーを見上げるアゲハの目にさらに力がこもる。
「喧嘩別れに終わればまだいい方でしょう。最悪の場合、どちらかが破滅することになります」
あはははははははは、と歌姫の哄笑が劇場の前に響き渡った。正気と狂気の境目を揺蕩うような笑い声に少女たちが背筋を凍らせていると、
「つくづくわたしを舐めてくれるわね、カリー・コンプ」
「いえ、そんなつもりは」
「あんた、わたしの方が破滅すると思ってるでしょ? 自分が勝つつもりでいるんでしょ? それが舐めてなくてなんだっていうのよ?」
吟遊詩人は困ったように笑っただけで何も答えない。つまり、アゲハの疑問が正しい、と認めたのだ、と悟ったのと同時に「彼女」の怒りは頂点に達し、そしてその怒りは瞬く間に消滅して、いつものアゲハに戻っていた。歌姫の感情の振り幅は一般人よりも大きい代わりに、持続する時間は短いのだ。
「まあ、いいわ」
白い両手を重ねながらマズカの女性シンガーはそっとつぶやく。
「やりたくない、というのを無理にやらせても仕方ないわ。そういうことなら諦めるけど、きっと後悔するわよ、カリー・コンプ」
「申し訳ありません」
頭を下げる吟遊詩人を見ることなく、アゲハはその場を立ち去ろうとする。その背中に、
「ところでひとつおうかがいしたいのですが」
カリーが声をかけるが、歌姫は立ち止まらない。誘いを断られた時点で詩人への興味を完全に失くしてしまったかのようだったが、
「あなた、声変わりはどうされたのですか?」
かつん、とローヒールの足音を高く響かせてアゲハは立ち止まると、恐ろしい目つきでカリーをにらんだ。並の人間ならその視線を受けただけで石になってしまってもおかしくない、それほどの迫力があった。
(一体何を言ってるの?)
リアスにはカリーの言葉の意味がわからず、それは子供たちもハロルドも同じことだった。アゲハの正体を知る者にしか、その意味はわからない。つまり、アゲハ自身とカリーとダキラだけがわかっていたことになる。
「てめえ」
ダキラがカリーに殴りかかる。聖域を土足で踏みにじられたかのような怒りで視界が赤く染まっていた。目の見えない男をぶちのめすことなどたやすい、と思っていたが、信じがたいことに吟遊詩人はダキラの拳を事も無げにかわしていた。
(なに?)
さらに続けて殴ろうとしたが、今度もあっさりとよけられた。どういうことなのか、疑問が膨れ上がるが、愛する妖精を冒瀆した者には制裁を下さなければならない、とさらに身を乗り出したところで、
「やめておいた方がいいぞ」
腹に重く響く声をかけられて、ダキラの動きが止まる。劇場から出てきた何者かがこちらへと近づいてくる。
「いくらやったところで、そいつには当たらない」
野球帽、銀色のスタッフジャンパー、そして眼鏡、というどう見ても不審人物だが、
動きに隙がなく、かなり喧嘩慣れしていることがダキラにも見て取れた。
「そうよ。もうやめておきなさい。みっともないったらありゃしない」
主人にはっきり命じられた下僕は肩を落として、ようやく動きを止めた。
「どうしてそんな馬鹿な格好をしているの? セイジア・タリウス」
アゲハに声をかけられたセイは驚いて目を大きくする。
「わたしはきみがアゲハだと知っているが、きみはわたしを知らないはずだが」
「一度聞いた声は忘れない。特にあんな馬鹿みたいなでかい声はね」
それも才能の一つなのだろうか。アゲハの紅い瞳とセイの青い瞳が見つめ合う。
「わたし、あなたのことが嫌いよ」
「おや。きみに嫌われるようなことをしたおぼえはないが」
きらり、と歌姫の瞳が赤く妖しく光る。
「わたしの言うことを聞かない人間は嫌い。わたしの思い通りにならない人間は嫌い。わたしに逆らう人間は嫌い。だから、あんな踊りをしたあなたのことは当然嫌いなのよ」
無茶苦茶を言う、と笑いそうになってしまうが、セイは目の前の「少女」を100パーセント嫌いになれないでいることに気づく。本人も気づいていないようだが、アゲハという人間は絶大な才能のみでできあがっているわけではなく、ほんの少しだけ人間らしさが、かわいらしさが残っているように思えたのだ。
「どうすれば機嫌を直してくれるのかな、お姫様」
ふん、とアゲハは胸を張って周囲に威容を示すと、
「大晦日のステージを見ることね。わたしの才能にひざまずけば許してあげる」
吟遊詩人の方を向いて、
「カリー・コンプ。あなたも叩き潰すから覚悟なさい」
と言ってから、今度こそ立ち去っていく。
「待ってくれ」
ダキラ・ケッダーが縋りつくように歌姫を追いかけるが、青年を一切見ることもなく、アゲハは姿を消した。
「やれやれ」
キャプテン・ハロルドが弱った顔で肩をすくめる。
「せっかく予選を通ったと思ったら、また厄介なことになりそうだな」
「人生とはそういうものさ。厄介事が片付けば、また新しい厄介事がやってくる。その繰り返しだ」
女騎士が訳知り顔で微笑む一方で、カリー・コンプは何かを深く考えている様子で黙り込んでいる。そこへ、
「間に合った」
男が息を切らし走ってきた。マズカ帝国の芸能界のドン、ジャンニ・ケッダーだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます