第43話 激戦! 予選会(その7)

(ふうむ)

チェ・リベラは考えていた。今終わったばかりの5人の少女たちの演技について、である。彼が気にしていたカリー・コンプの演奏は期待にたがわぬもの、いやそれ以上と言っていいものだった。いずれソロで聴いてみたいものだったが、問題はそこには無かった。メインの少女たちが気になっていたのだ。

(悪くはなかった)

「デイリーアステラ」文化部部長はそう思っていた。とはいえ、特筆すべきほどよくもない、とも思っていた。まだまだ鍛錬が足りない、追求すべき余地は残っている、と彼には見えていた。リベラにとっての芸の基準は何よりも完成度をもって判断されるべきものであって、たとえ子供相手でもそれを変えないのは、彼にとっては公正な態度のつもりであった。舞台に上がれば年齢など関係はないはずなのだ。しかしながら、場内の反応は彼の思いとは違っていて、少女たちの演技に熱く拍手を送っていて、

「すごい! すごい!」

と隣に座ったユリ・エドガーは興奮して眼鏡の奥の丸い目を輝かせている。そういった自分と周囲のずれについて彼は考えていたのだ。

(わたしに見えないものが、みんなには見えているのかもしれない)

いついかなるときも自分が正しいとは考えないのが、リベラの特徴であった。確かに自分は芸能が好きでよく見ていて目は肥えていると言っていいだろう。しかし、だからこそ見過ごしている点があるかもしれない。素人が過ちを犯すように玄人もまた過ちを犯すものなのだ。

(でも、そういうことなら)

とリベラは思ってから、

「ねえ、ユリちゃん」

「はい?」

いきなり声をかけられて少女記者はきょとんとする。

「今日じゃなくてもいいから、後であの女の子たちに取材をしてきて。たぶん面白い話が聞けると思うわ」

「あ、そうですね。たぶん本大会にも出てきますしね」

ユリは深く頷き、それを見た上司もまた頷く。部下の少女の優秀さは文化部に来てまだ間もないとはいえよくわかっていた。きっと自分には見えないものを見つけてくれるはずだ、と信じていた。

「じゃあ、ついで、と言ったらなんですけど、カリーさんの取材もしてきましょうか?」

「それはダメ」

「え? でも、その方が手間が省けて」

「それはわたしにまかせて。勝手に取材したら百代祟るわよ」

いつも女性的な上司に至近距離から血走った眼で睨まれては、意見を押し通すわけにもいかず、

「わかりました。チェさんにおまかせします」

ユリはあっさりと退いた。

(まったく。いくらダサダサでもユリちゃんもやっぱり女の子ね。油断も隙もありゃしない)

部下の少女に厳しい評価をしながら、チェ・リベラは鼻息を荒くする。誰にでも譲れない一線があるもので、彼にとっては美形を相手にした取材がまさしくそれだったのだ。


「やったな、ガールズ!」

舞台袖に戻ってきた5人の少女たちをキャプテン・ハロルドは満面の笑みで迎えた。崖っぷちまで追い詰められた状況で最高のパフォーマンスをやってのけた子供たちをいくら褒め称えても足りない、という思いだった。

「あんたのおかげだ。サンキュー、ブラザー!」

遠慮のない力で屈強なダンサーに肩を叩かれたカリー・コンプは苦笑いをする。

兄弟ブラザー、とはいったい?)

「リアス?」

ヒルダが驚きの声を上げる。それもそのはずだ。教え子が演技を成功させ、予選通過も間違いない、というのに、コーチをつとめてきた少女はうずくまって顔を掌で覆って泣き崩れているのだ。

「さっきからずっとあの調子さ」

手の施しようがない、といった表情のハロルドを尻目に、5人はリアス・アークエッとへと駆け寄る。

「ごめんね。ごめんね、みんな。わたしのせいでつらい思いをさせて」

リアスは5人が最初に失敗してしまったショックから立ち直れていなかった。2度目のチャンスが与えられたのも、その結果として上手くいったのも彼女の力ではない。偶然が味方しなければ、吟遊詩人が助けてくれなければ、子供たちは失敗したままだったのだ。それも全てコーチである自分の責任なのだ、と黒衣をまとった少女はただひたすら自分を責め続けた。危うくみんなの努力を無にしてしまうところだった、と思うと涙が止まらなかった。

「泣かないでよ、リアス」

「そうだよ。みんな上手くいったんだから」

5人は口々に慰めるが、姉のように慕っている娘の悲嘆を止めることは出来ず、青空に黒雲が立ちこめてきたかのように、次第に顔つきが暗くなっていく。それを見守るハロルドとカリーの顔も不安げになっていく。

「すみません、74番の方はいらっしゃいますか?」

そこへ係員がやってきて出番を告げるが、

「いや、見かけないな。どうもすっぽかしたようだ」

と答えたのはセイジア・タリウスだ。アゲハの圧倒的な歌唱力に打ちのめされて、多くの参加者が辞退してしまったのだが、74番もその中に含まれているのだろう。

「だが、心配には及ばない。次はわたしが出よう」

セイがそう言いながら「75番」と書かれた名札を見せると、係員の顔に安堵の色が見えた。

「ありがとうございます。それでは急で申し訳ありませんが、演技の方をお願いします」

「こちらこそよろしく頼む」

女騎士は頭を下げてから、リアスと5人の方を振り返った。ふたつの青い瞳が鋭く光る。

「リアスもみんなも、今からわたしがやることをよく見るんだ」

決して大きくはないが、心にずしりと重く響く声を残して、彼女は舞台へと向かった。

「セイ、怒ってた?」

シュナの戸惑いは、その場に居合わせた全員に共通する思いだった。いつも陽気な彼女らしからぬ怖い雰囲気を漂わせていたのだ。

(えれえおっかない顔だぜ。それでも美人は美人だけどよ)

キャプテン・ハロルドは思わず肩をすくめ、

(あれはわたしの知らないセイジアだ)

カリー・コンプはそう思ってから、

(いや、考えてみれば当たり前の話だ。あの人は「金色の戦乙女」なのだ。ただ明るいだけの、ただ優しいだけの人であるはずがない)

かつてセイからもらった杖を握った右手に力がこもった。

(見せて下さい。本当のあなたを)

恋する女性の演技を心の目でしっかり見届けようと吟遊詩人は舞台の方へ顔を向けた。


「それでは、75番の方、どうぞ」

司会進行役のアナウンスに促されて、ステージにゆっくりと登場した75番の参加者を見た観客の心がかすかに動いた。静かな水面に小さな波紋ができたかのような、あまりにささやかな動きではあったが、それでも確かに心は動いていた。白のスーツ、白い帽子、白い靴、白のネクタイ。ワイシャツだけが黒い。

(女性か)

ジャンニ・ケッダーは気づく。しっかりと鍛えられていながらどことなく優美さを感じさせる体形は男のものではない。帽子に隠れて見えないが、ぜひとも顔を見てみたい、と胸がざわめく。きっと美しいに違いなかった。

「わたしの動きに合わせて好きに弾いてくれればいい。きみたちを信用している」

バックバンドのメンバーが曖昧に頷いたのは、指示に納得できなかったからではなく、男装の麗人の魅力でのぼせてしまったからだった。

(ここからは好きなようにやらせてもらう)

セイジア・タリウスは腹を決めていた。ここに至るまでに、彼女もいろいろ考えていた。どうしたら予選を通れるか、どうすれば練習の成果が出せるのか、そういったことを真面目に考えて悩んでもいた。だが、今となってはそういうことはどうでもよくなっていた。

そうさせたのは、あのアゲハという娘の歌が原因だ、とセイにはわかっていた。絶大な威力で人々をひざまずかせた悪魔的といっていい歌のせいだ。それに対して、この女騎士は怒っていた。といっても、芸術を悪用することへの反感や、大事な友人やかわいがっている子供たちを悲しませたことへの憤り、というものではない。ただ単純に自分を威圧しようとしたことに怒っていた。誰にも舐められたくない、という戦士の本能を、マズカの歌姫は刺激してしまったのだ。

(理由はどうあれ、やりかたはどうあれ、貴様はこのセイジア・タリウスに戦いを挑んだのだ)

鷹のような視力を誇る女騎士の瞳は、劇場の最後部に陣取った少女の形をした「敵」の姿をしっかりと捉えていた。

(ならばこちらも全力でやらせてもらう)

びしっ、と音が聞こえてきそうな素早い動きで、セイはアゲハを指さした。もはや彼女は演技をするつもりなどなく、舞台の上でたったひとりだけで戦争を始めるつもりでいた。


セイジア・タリウスがこちらを指さした、というのはアゲハにもわかっていた。遠く離れた場所にいるはずなのに、目と鼻の先に指を突きつけられた錯覚を覚えたのだから、わからないはずもなかったのだが。

「なんか、喧嘩を売られてるみたいなんだけど」

苛立ちをあらわにする歌姫に、

(おまえが先に売ったんだろ)

ダキラ・ケッダーは心の中で突っ込みを入れる。しかし、アゲハの歌を聴いてそれでもなお刃向かおうとする人間などこれまでにいなかったのは確かで、色の濃いサングラスの奥で青年の目が不安げに揺れる。それに加えて舞台上の白いスーツの人間がこちらを指さした瞬間、アゲハの頭が小さくのけぞったのを彼は見逃していなかった。

(まさか、おまえ、びびってんのか?)

彼の寵愛しているディーヴァの顔色が変わったようには見えない。内心の怯えを自覚していないのか、あるいは隠そうとしているのかはわからない。だが、たとえアゲハが不安を感じていたとしても、青年に何かが出来るとは思えなかったし、「彼女」が助けを求めるとも思えなかった。確かに2年前に少年をスカウトして「彼女」へと変貌させたのはダキラだったが、デビューしてからのしあがっていったのは、アゲハ一人の力だと言ってよかった。自分の功績として誇れるものなどなく、歌姫のマネージャーではなく愛玩動物ペットというのが真実の立ち位置だ、と自嘲を込めて彼は思う。

(たぶん、あいつは本当の意味でおれに心を開いてはいないんだろう)

青年がおのれの無力を痛感しているのも知らずに、アゲハは身の程知らずにも挑戦してきた参加者を呪い殺すかのように凝視した。

「やってみなさいよ。あんたなんかに、わたしをどうにかできるわけなんてないんだから」

憎悪を剥き出しにして笑おうとも、帝国の歌姫はそれでも美しかった。

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